6話 どうして青蘭学園なんかに(回想)
青蘭学園は初等部、中等部、高等部、大学までエスカレーター式の学校。
中学まで公立に通っていた桜子が、突然そのような私立の高校に行く予定はなく、もともとは都立高校に行こうと思っていた。
ところが高校入試当日、桜子が試験会場の高校へ向かう途中、胸を押さえてうずくまっている老女に遭遇。
声をかけても返事もままならない様子で、桜子はすぐに救急車を呼び、そのまま一緒に病院までついていったのだ。
老女の命に別条はなかったのだが、家族との連絡がなかなか取れず、桜子もそのまま放置して帰るわけにもいかない。
結局、桜子が医者にもう帰ってもいいと言われて病院を出た時には、試験開始時間は過ぎてしまっていた。
試験をすっぽかしたのだから、当然、都立高校進学はそこで断念するしかなかった。
あいにく都立1本に絞っていた桜子は、私立の併願をしていなかった。
つまり、その時点で高校浪人が決定。
「まあ、人の命を助けたと思えば、1年くらいのんびりしていればいいさ。来年は受験さえすりゃ、受かるんだろ?」
家に帰ってきた父親が慰めなのか、よくわからないお気楽なコメントをすると、母親が目を吊り上げた。
「のんびりなんて冗談じゃないわよ。せっかく1年も時間があるなら、私の仕事を手伝ってもらうわよ。桜子、私の仕事に興味あるんでしょ? 働かざる者食うべからずよ」
「そうだね。1年、プラプラしててもしょうがないから、バイトでもしようかと思ってたんだけど。お母さんのところでやれることがあるなら、それでもいいよ」
慈善事業で学校や児童施設を運営する母親は、常々できる限り人件費を減らして、その分を支援に充てようとしている。
母親がその仕事を手伝ってほしいと言うのなら、桜子も望むところだ。
「そしたら、来年は僕と一緒に高校に通えるんだ。楽しみだなー」
彬に心底うれしそうな顔をされて、桜子は複雑な気分だった。
「一緒にって言っても、あたし、青蘭には行かないし」
彬は中等部から青蘭学園に通っている。
お金がバカ高くかかるのを承知で、将来のために上流階級の人間とのコネクションがほしいとゴリ押ししたのだ。
「姉さんが都立に行くなら、もちろん僕もそっちに行くよ。中学3年間で青蘭は充分だし」
「彬くん、ずるーい! あたしだって、桜ちゃんと同級生になりたいのに! 桜ちゃん、もう1年浪人して、あたしと一緒に高校に行こうよ」
「薫子、冗談はやめて……」
あまりに薫子が真面目な顔で訴えるので、桜子は笑顔が引きつってしまった。
このいつまでも姉離れしない弟と妹をかわいいと思う一方で、この先、このままだったらどうしようという不安がある。
二人ともよく似ていて、父親譲りのさらさらの黒髪と目じりがほんのり上がった猫目。姉の欲目を除いても整ったきれいな顔立ちをしている。
薫子は小さい頃、髪が短かかった上、彬のお下がりをよく着ていたせいか、二人は双子に間違えられたものだ。
そんな薫子も中学に入って制服のスカートに合わせて髪をおかっぱにしたせいか、モテるようになったらしい。すでに何人もの男子に告白された話を桜子は聞かされていた。
が、当の本人は『男の子には全然興味がない』と、あっさり振ってしまう。
友達もたくさんいるはずなのだが、桜子と一緒にいることを優先して、どこに行くにもくっついて歩こうとする。
彬も毎年のバレンタインに山ほどチョコレートをもらうくらい女子に人気があるらしいが、誰かと付き合っている様子はない。
中学に入ってから、桜子のことをそれまでの『桜ちゃん』から『姉さん』に呼び方を変えたので、てっきり誰かに恋でもしたのかと思っていたが、どうも違うらしい。
この二人が誰かに恋するには、まず姉である桜子が何とかしなければと思うのだが、それは単純な話ではない。
結局、恋愛には程遠い世界で兄弟仲よくやっているしかないのだ。
ともかく、家族は高校浪人に関して賛成らしいので、桜子はそのまま卒業式を待っていた。
しかし、数日して、願書も出していない青蘭学園から入学許可証が届いた。
しかも、授業料免除の特待生扱いになっている。
奇妙に思って学園に問い合わせてみると、確かに桜子の入学枠はあるという。
理由はというと、青蘭学園には兄弟枠というものがあって、彬が中等部に在籍しているので、桜子は受験する必要なく入学できるらしい。
「あの学校、兄弟で入るのは普通だけど、特待生枠なんてあったかしら」
昔、青蘭学園に通っていた母親が首をひねる。
「20年前に比べたら変わることだってあるだろ。少子化が進んで、学園だって一人でも多く学生がほしいわけだし」と、父親。
「だったら、授業料を取ればいいのに。矛盾してない?」
「けど、授業料以外にも制服やら教科書やら、その他の部分で儲けがないわけじゃない」
「天下の青蘭もせこくなったわねえ。で、桜子、どうするの? 青蘭に行くの?」
母親に聞かれて、桜子は「うーん」と唸った。
「正直、あんまり気が進まない。絶対合わなそうだもん」
「確かに、姉さんにはキツいかもなあ」と、彬がしみじみと言う。
桜子は散々悩んだ結果、青蘭学園への入学を決めた。
同じ母親の仕事の手伝いをするにしても、高校を出て、大学できちんと専門の勉強をしてからの方が貢献できる。
1年を浪人して中途半端に過ごすより、1年早く社会に出た方がいい。
そう思ったのだ。
おかげで、自分だけ青蘭に通えない薫子がダダをこね、結局、中学2年という中途半端な時期にも関わらず、編入することになってしまった。
青蘭に2人分も授業料を払わなくちゃいけないなんて、と母親がぶつくさ言っていたのは言うまでもない。
次話、再び桜子の現在の話に戻ります。