9話 赤い宝石はすぐそこに
前話の続きです。
同窓会は当然のことながら1次会で終わるはずもなく、圭介は元クラスメートたちとともにレストランを出て、2次会のカラオケ屋に向かって歩いていた。
「お、なんか人だかりができてる」
渋谷公会堂の近くを通りがかった時、誰かの一言に圭介も振り返ると、そこには人垣ができていた。
「見に行ってみようぜ」と、クラスメートの何人かが人ごみに消えていく。
「なに、芸能人でも見えるのか?」
圭介も好奇心をそそられ、後に続いた。
「ちょっと押さないでよ」と、ののしられながらも無理やり最前列まで身体を押し出す。
そこでは規制ロープが張られ、制服の警備員が近寄ろうとする人を押し戻していた。
周りの人の会話に耳を傾けると、どうやらこれから映画の試写会がここであるらしい。
そこに出席する俳優や女優がこれからやってくるので、それをひと目見ようと集まっているのだ。
「『森の音』の制作発表会、今日だったんだー。成瀬ジュン、見られるかなー」
いつの間にか涼香が圭介の隣に来ていて、規制ロープから身を乗り出して目を輝かせている。
「成瀬ジュンの凱旋記念映画って売り出してるやつ?」
「そう。2年前にハリウッドに行って、去年アカデミー賞の国際映画部門の主演男優賞を受賞。今、世界で1番有名な日本人俳優」
「よく知ってんなあ」
「だって、ハリウッドに行く前からファンだったんだもん。これだけ人が集まってるってことは、確実にひと目見られるよね」
何年か前、圭介も成瀬ジュンの主演するドラマは1度だけ見たことがあった。
その当時で彼は中学生だったはず。
余命3か月を宣告されたがん患者という役どころもあったのか、光に溶けて消えそうなほど儚い美少年――というのが、圭介の印象だった。
(演技には見えなくて、思いっきり泣いたドラマだったけどさー)
圭介がそんなドラマの内容を思い出していると、リムジンが1台正面入口に停まった。
降りてきたのは、タキシードをエレガントに着こなした背の高い男だった。
金色にも見える色素の薄いサラサラの髪をなびかせ、サングラス越しにも整った顔立ちがわかる。
それがまさしく今の成瀬ジュンだった。
(かわいい系美少年は、大人になるとイケメン王子になるのか……)
成瀬ジュンは大物俳優の風格で、嵐のような激しい歓声が突然わき上がっても動じた様子はない。
これが当たり前だと言わんばかりに、手を軽く上げて応えながら正面階段をゆっくり上っていく。
――が、その後すぐに別の黒塗りの車が到着すると、サングラスを外しながら階段を降りてきた。
そのまま彼自ら車の後部ドアを開け、その中に手を差し出す。
成瀬ジュンの手を取りながら下りたのは、他でもない桜子だった。
真紅のロングドレスにやわらかそうな長い巻き髪を身体にまとい、まるでどこかの王族の姫のような高貴な笑みを成瀬ジュンに向けた。
そして、桜子は黒スーツの若い男を後ろに従え、成瀬ジュンと並んで階段を上っていく。
この1週間、圭介がずっと会いたいと思っていた桜子が、声をかければ聞こえるところにいる。
しかし、うれしいという感情より先に圭介の頭をよぎったのは、子供の頃の記憶だった。
母親と一緒に行ったデパートでやっていた世界の宝石展――。
その催し物の目玉は、イギリスの女王が結婚式に着用したという無数のダイヤに縁どられた大きなルビーの首飾り。
ガラスケースの中でもひと際きらめいていた。
もっとよく見ようと圭介が近寄ろうとしたところ、警備員に止められた。
「こら、ボク、この線の中に入っちゃいかんよ」と。
手の届きそうなところにあるのに、触れることは許されない。
それを身に着けられるのは女王だけ。
一般庶民は規制ロープの外で「きれいだね」と、ただ見ていることしかできない代物だった。
今、圭介の目に映る桜子の姿は、いつか見た宝石によく似ていた。
圭介が学校でいつも見ている桜子とは違う、とどうしても思ってしまう。
桜子を遠く感じてしまう。
いつもよりずっとおしゃれをしている女性を褒めるのが普通だというのに、そんな格好をしないでくれと言いたくなってしまう。
船上パーティの時も、圭介はまったく同じ思いを抱いて落ち込んだ。
にもかかわらず、自分が今、また同じことを繰り返していることに気づき、圭介は気が滅入るのを感じた。
(おれは何度こういう思いを味わうんだろう)
階段を上り切った二人は最後のあいさつと言わんばかりに、群集を振り返って笑顔で手を振っている。
と同時に、圭介は身をひるがえして人垣の外に逃げていた。
「ちょっと、瀬名くん! もう、待ってよー!」と、涼香が追いかけてくる。
「あ、悪い」
圭介は同窓会の最中であることをすっかり忘れ、一人でずんずん先に歩いていたのだ。
「2次会、行くんじゃないの?」
「おう、もちろん。なんか、人ごみに酔っちまった。他の奴らは?」
圭介は気分が落ちていることを気取らせないように、無理やり笑顔を張り付けながら言った。
「相手役の小嶋詩織が来るのを待ってるって」
「あ、そう。おまえは見なくていいのか?」
「成瀬ジュンが見られたからもう充分。このあたりで待っていれば、そのうちみんな来るよね」
「そうだな」
圭介がガードレールに腰を下ろすと、涼香も隣に座りながら「ねえ」と話しかけてくる。
「なに?」
「さっきの女の子、クラスメートじゃないの?」
(ぎゃ、しまった。こいつには桜子の写真、見せてあったんだ!)
とはいえ、圭介の今の精神状態で桜子の話をしたら、余計なことまで話してもおかしくない。
圭介としてはウソをついてでも、桜子の話題からは離れたいところだ。
「人違いだよ。さっきの女の方がずっと美人だった。あいつ、写真映りが良過ぎるんだよ」
「そう? さっき、瀬名くんに向かって手を振ってるみたいに見えたからさー」
「気のせいだって」
あんな人ごみに埋もれている圭介を見つけて、手を振るなんてことは実際にはありえない。
しかし、もしも本当だったら、どれだけうれしいことだろう。
大勢の人間がたむろする中で、自分だけが特別の一人になれる。
(バカだな、おれ……。なりたいのになれないから、今ここで自分にイラ立ってるってのにさあ)
「でも、悔しいけどお似合いだったよねー。美男美女のカップルって感じー」と、涼香は足をプラプラさせながら頬をふくらませている。
「あれだけのイケメンで有名俳優とあれば、女なんてより取り見取りだろーよ」
「嫉妬しないの?」
「何のとりえもない人間が、かけ離れた人間に嫉妬しても意味ないだろ。あまりに関係なさ過ぎて」
「おお、なるほど」と、涼香は感心したようにうなずいた。
(ああ、でも、金持ちじゃなくても、成瀬ジュンみたいに一芸に秀でたものを持っていたら、桜子とはつり合ったりするのか? ……て、おれ、一芸もないし)
圭介はそんなことを思って、頭ががっくりと落ちた。
これ以上、桜子とのことを考えていても、結局落ち込んでいくだけだ。
こんな時はバカ騒ぎでもして、一時でも気分を盛り上げるに限る。
圭介は気を取り直して、同窓会を楽しむことにした。
次話、涼香の本音をコッソリ聞いちゃいます。