12話 城主を落とす3つの方法
ワルツが終わり、桜子と蓮は大広間を出ていった。
貴頼にその旨を伝えながら、圭介も後を追う。
本当はこれ以上、二人を見続けていて、みじめになりたくないと思っていた。
その一方で、二人の関係がどうなるのか気になって、放っておくこともできない。
今は『バイトだから』、『貴頼に頼まれたから』と、圭介は自分自身に言い訳をしながら足を奮わせる。
甲板に出た桜子たちは、潮風を浴びながら海をのぞき込み、顔を寄せ合って何かを話していた。
他に人がいないこともあって、圭介は見つからないように船室の陰に隠れて、二人を見ているしかない。
波の音がうるさくて、そこからは二人の会話も聞こえなかった。
『なんか、二人でいい雰囲気』
ぼそりと圭介がマイクにつぶやくと、耳をつんざくような大声が返ってきた。
『邪魔してください!』
『無理に決まってんだろ!』
(それができていたら、とっくにやっている!)
圭介が貴頼に対し、自分に対して一人怒り狂っていると、すぐ脇を誰かが通り過ぎた。
それが誰かに気づいた時には、甲板にいる二人もその人物を振り返っていた。
今夜、パーティで1度も見かけなかった貴頼が、二人に対峙していた。
「久しぶり、桜子さん」
スイッチが入りっぱなしのマイクを通して、圭介の耳にも会話が届いてくる。
「ヨリ……。驚いた。来てたんだ」
桜子が親しげに貴頼を呼ぶ声に、圭介の胸がずきんと痛んだ。
二人は以前からの知り合いだったのだ。
貴頼が桜子を手に入れようとしたのは、昨日今日のことではない。
もっとずっと前から、おそらく子供の頃から桜子だけを見てきたのだ。
圭介はそのことを初めて知った。
「その呼び方、まだしてくれるとは思ってもみなかったな」
そう言って貴頼はクスリと笑う。
「おや、代議士のジュニアが何か用かい?」と、蓮が二人を遮るように問いかけた。
「もちろん。彼女は将来、僕の妻になる人。遊び半分に手を出してもらっては困ると、忠告しに来たんですよ」
「遊び半分とは失礼な。彼女への僕の愛は本物だよ。彼女の前では、どんな女性も色あせる。
君が真剣に彼女を好きだというのなら、僕の気持ちがわかるんじゃないか?」
「あなたの腐った愛なんかと一緒にされるのは心外ですね。
彼女を手に入れて、他の女性は愛人にでもするつもりですか?
彼女を欲しいと思うなら、まず先に身辺整理でしょう」
貴頼はスーツの内ポケットから何かを取り出し、蓮の前にトランプのように広げて見せた。
「写真?」と、蓮は怪訝そうな顔でそれを覗き込む。
「この1週間で、あなたが一緒だった女性たちですよ。
モデルにアナウンサー、フライトアテンダント、とある会社の社長夫人。まさか不倫までしているとは。
よくまあ、毎日とっかえひっかえできる軽い下半身ですね」
貴頼はカードを切るように1枚1枚写真を投げていく。
写真は次々と風に運ばれて海の方へ落ちていった。
「童貞の坊ちゃんに言われたくないけどねえ」と、蓮は動じた様子もなく、ふんと鼻で笑う。
「それにこの女性はまずいのでは? お父上の愛人を寝盗るとは。バレたら勘当ものでしょう」
勝ち誇る貴頼に、蓮は嘲笑を浴びせかけた。
「悪いけど、その程度で僕が怖気づいて手を引くと思ったか?
かわいそうに、子供の浅知恵としか言いようがない。
君の言う通り、彼女と付き合うために、僕はちゃんと身辺整理したよ。
嫌いで別れるわけじゃない。最後に思い出が欲しいって言われたから、付き合ってあげたんだ」
「そんなの詭弁でしかない」
「写真はあるけど、会話まで聞いたのか? そうでないと証明できるのか?」
「それは……」と、貴頼の声が小さく口ごもる。
「もっとも、親父の愛人を寝盗ったことが発覚して勘当されても、彼女さえいれば何の問題もない。
僕の愛は彼女一人に捧げるって決めたんだ。何を失っても、彼女さえいれば、僕は幸せになれる」
二人の言い争いをこれ以上聞いていられなくなって、圭介はイヤホンを耳から引きちぎるようにはずした。
(おれは貴頼みたいに、桜子が誰かとくっつくのを止めようと飛び込んでいくこともできない。
相手を陥れるために着々と準備をして、用意周到に事を運ぶこともしてない。
羽柴蓮のように相手の追及をかわせるほど、雄弁にウソがつけるわけでもない)
あの争いの中、名乗り出ることのできない自分は、二人が桜子を欲しいと思うほどには、桜子を欲しがっていなかったという証拠。
ただ『好き』という気持ちだけでは、桜子は手に入らないのだ。
「君はそこで何をしてるんだい?」
「何も……」
不意に聞こえた声に圭介は思わず答えてから、はっと振り返った。
圭介の後ろにいつの間にか、桜子の父親、藍田音弥が壁に寄りかかって腕を組んでいた。
どうしてここに、という疑問はなかった。
大企業の次期社長の婚約パーティとあれば、藍田グループの総帥として音弥が招待されていてもおかしくはない。
「二人の争いを高みの見物して、漁夫の利を得ようとしているのか。それとも、足がすくんで動けないのか」
音弥に見破られていることがわかっていながら、圭介はあえて口に出すこともできずに俯いた。
「まあ、桜子の相手としては悪くないカードが並んでいるね。大企業の御曹司に代議士のジュニア。
君だったら、どっちが桜子にふさわしいと思う?」
「さあ……」と、圭介は間を置いてから答えた。
「甘い言葉を並べて平気でウソをつく奴も、彼女に近づく男を徹底的に貶める奴も、ふさわしいとは思えませんけど。
ただ、あの二人が彼女を欲しいと思う気持ちは、本物だと思います」
「どっちもやり方として、間違ってはいないな。守りを上手にすり抜けて城主を1発必中で狙うのも、城の周りを攻めて城主を孤立させてから狙うのも」
「僕にはどっちもできない芸当です」
「もう一つ城主を落とす方法があるって知ってる?」
「いえ……」と、圭介は首を横に振った。
「城主の信頼を勝ち得て、油断したところを狙う」
「……それって、裏切り者じゃないですか」
圭介は反論しようとしたが、音弥が畳みかけるように返してきた。
「君のことだよ。友達のフリをしながら1番近くにいて、自分の本当の気持ちを伝えることなく、桜子と付き合うチャンスが来るのを待っている」
圭介はその通りだと思った。
桜子を想う気持ちは負けていないと思う。
しかし、それだけでは巧妙に仕掛けてくる敵には勝てない。
結局、自分には無理だと、すごすごと尻尾を巻いて逃げ出すだけだ。
(どれだけ情けない奴なんだろう……)
「軽蔑しますか?」
「別に。君の気持ちがその程度だったっていうだけで、軽蔑するようなことじゃないよ」
音弥の返事は『どうでもいい』、『おまえなんか興味ない』と無視されるようなものだった。
軽蔑されるより、どうしてか、圭介にはもっと身に堪える言葉だった。
1度会って、どうしようもなく憧れた人に、取るに足らない存在だと思われたくなかった。
好きなだけでは、人魚姫のように最後は世界の違いに負けてしまう。
勝つために自分に何かできるのか。
少なくとも今、何かしようと思わなければ、何も始まらない。
今まで何か始めようとすらしていなかった。
桜子が他の男と幸せになるのを遠くから見て、不完全燃焼な思いを抱えて一生を生きていくくらいなら、今できること、やれることを全部やって、燃え尽きる方がいい。
たとえ、それが失敗に終わったとしても、後悔だけはしたくない。
(おれは人魚姫と同じ轍は踏まない)
「僕は負けたりしません。他の男たちにも、自分自身にも。
あなたを『お父さん』と呼ぶって決めたんですから!」
圭介は音弥にというより自分に言い聞かせ、甲板に向かって駆け出した。
次話、勢いよく飛び出していった圭介はどうなるのか? になります。