9話 呪いが解けたら
この話は桜子視点です。
藍田家の夕食は7時。
たいてい家族がそろう。
世の中は『ノー残業デー』を作らなくてはならないくらいに、残業をするのが当たり前だ。
にもかかわらず、桜子の父親は週の半分以上、6時には仕事を終えて家に帰っている。
(このお父さん、ほんと、いつ仕事してるのかな……)
母親と楽しそうに話している父親を見て、桜子はしみじみと思ってしまった。
(やっぱり経済界のトップに立ってるとは思えないわ。
絶対、優秀なブレインがいて、お父さんってば、全部任せっぱなしにしてるのよ)
そして、いつの間にか社長職を解任させられ、気づいた時には藍田グループが人手に渡っていることが想像できる。
(お父さん、ヒマになったら、これ幸いとばかりにお母さんの周りをウロチョロしちゃうわよ。
で、お母さんはそんなお父さんにウンザリして、離婚しちゃうかも。
そうしたら、家族バラバラ、一家崩壊よ)
「どうしたの、姉さん。険しい顔して。何かあった?」
左隣に座っていた彬に声をかけられ、桜子ははっと我に返って笑顔を向けた。
「ううん。何でもないよ。ちょっとうちの未来がどうなるのかなーって、考えちゃったりして」
「心配なことでもあるの? 父さん、今のところ元気だし、グループも安定してると思うけど」
不思議そうな顔をする彬に答えたのは、桜子をはさんで反対側に座っていた薫子だった。
「違うよ、彬くん。桜ちゃんは自分の代になった時のことを心配してるんだよ。
桜ちゃんがうちを継ぐってことは、いいお婿さんをもらわなくちゃいけないんだもん。
そのお婿さんがお父さんみたいにグループを維持できるのか、やっぱり心配になるでしょ?
それに、どんなにいいお婿さんでも、桜ちゃんが好きになれるかどうかもわからないし」
(なんか、話が変な方向に……)
「あら、桜子、そんなこと心配してるの?」
母親が興味をそそられたように、子供たちの会話に入ってくる。
「……ええと、そこまで将来のことは考えてないんだけど」
「なに、もうじき『呪い』が解けるから、どんな人と恋愛しようか考え出したの?」
「それは――」
祐希の話を聞いて、『呪い』が解けるかもしれないと思った瞬間、真っ先に思ったのは圭介のことだった。
関係に名をつけるのなら『友達』ではあるが、小学校や中学の頃の友達とは違うと思う。
桜子はいつでも大勢の友達と一緒に過ごしてきた。
その中には男子もいれば女子もいた。
みんなで過ごすのが好きだった。
青蘭に入ってからは、仲間外れにされている圭介を一人にしないように、桜子はなるべく一緒にいようとしていた。
あからさまなイジメがなくなった今、桜子が間に入れば、圭介をクラスの輪に入れることは難しくはない。
学校生活を楽しくするなら、クラスがまとまるに越したことはないのだ。
なのに、1度も『みんなで』と思ったことがなかった。
誰かに誘われても、「圭介と一緒じゃなければ行かない」と、桜子が言えば、誰も断らないだろう。
しかし、相手の出方を見るだけで、桜子の方からあえて言おうと思わなかった。
今までの桜子からしたら、ありえない行動だった。
(あたし、圭介と二人の方がよかったんだ。誰にも邪魔されたくなかったんだよ……)
圭介が桜子の家を訪問した帰り道、父親を憧れだと言ってくれた。
父親のことを怖いと言う人はたくさんいるが、圭介のように目をきらめかせて『カッコいい』と言ってくれる人は数少ない。
あの時、桜子は急に胸が熱くなって、圭介をぎゅうっと抱きしめたい衝動にかられた。
その感情に名前を付けるとしたら、間違いなく『恋』。
この言葉が今、圭介に対しての思いを端的に、正確に表現してくれた。
「――それはもう決まってるから。『呪い』が解けたら、付き合いたい人」
桜子がつぶやくように言ったことに、誰も驚かなかった。
みんなにもわかるくらいに圭介に恋をしていたというのに、桜子自身はなかなか気づけなかった。
今ならわかる。
圭介が薫子と付き合っていると聞いた時、桜子の頭が真っ白になったのは、圭介を盗られたと思ったからだ。
圭介の1番近くにいるのは自分だと思っていたのに、いつの間にか薫子の方が近かったことに納得できなかった。
「早く『呪い』が解けるといいわね」
母親の元気づけようしてくれる笑顔に、桜子は胸が苦しくなった。
「でも、あたし、ずるいんだよ。あたし、自分がこんな嫌な人間だったなんて思ってもみなかった」
「どうして?」
「だって、圭介に『呪い』を解く協力してって、『呪い』が解けるまで、無理やり自分に縛り付けてるんだよ。
解けた時、真っ先にあたしが告白できるように。
それまで圭介が誰のものにもならないように、近くで見張ってるの。
こんなのあたしらしくないよ」
母親は桜子の言葉を真剣な顔で聞いていたが、どこか笑い出したそうにも見えた。
「桜子、恋をしたら、それって当たり前のことよ。特別な一人なんだから、自分だけのものにしたくなるに決まってるじゃない。
みんな経験することよ」
「でも、圭介はそういうあたしに気づいてないんだよ。
気づいた時、こんな奴だって思わなかったって、離れていっちゃったらって思うと、怖くなるの」
「ああ、もうウジウジしない」と、竹を割ったような性格の母親は、ウンザリしたように言った。
「桜子には他にもいい部分があるでしょ?
だいたい恋なんて大半が片思いなんだから、うまくいく方が奇跡だと思った方がいいの。
せっかく恋したんなら、ダメだってわかるまではあきらめない。
誰にも盗られたくないんでしょ?」
桜子は母親の言葉に「うん」と大きくうなずいた。
「とにかく、1日も早く『呪い』が解けるように頑張る!」と、桜子は拳をかかげてみせた。
桜子の気持ちがはっきりしたところで、次話は圭介がいよいよパーティに潜入。
そこで何が起こるのか? になります。