8話 薫子流の取引を試してみた
必要があればこちらから連絡すると言っていた貴頼から、圭介が定期連絡時の『了解』以外のメールを受け取ったのは、その夜が初めてだった。
『土曜日、夕方5時から特別にバイトをお願いしたい。日当1万円、出します』
土曜日といったら、桜子が羽柴蓮の兄の婚約パーティに呼ばれた日だ。
その日を指定してきたということは、桜子を監視するのがその仕事内容。
今まで桜子に近づく人間を片っ端から名指しで知らせてきたが、そのほとんどが桜子を誘って断られた内容だった。
女子の何人かは帰りにお茶をしたこともあったが、その時、貴頼には何の動きもなかった。
それが今回初めて、しかも、連絡してすぐに動いたということは、桜子を誘った相手が男だからか。
(……なんか、おれ、ようやくこいつの意図がわかったような気がするぞ)
『呪い』などものともせず、藍田グループの権力、ひいては桜子を手に入れたい男たちは確かに存在する。
貴頼もその例外ではないということだ。
そう考えれば、桜子の人間関係を調査するように圭介に頼んできたことも納得できるし、桜子に近づくな、恋したら退学という条件も、すべて1本の筋が通る。
そして、貴頼が桜子を手に入れた時、もしくはそれが不可能と確定した時点で、契約解除となるのだろう。
(代議士の息子まで欲しがるお嬢様、か……)
桜子の周りにはそういった思惑のある男たちが水面下で計略をめぐらし、見えない争奪戦を繰り広げている。
そんなことに、圭介は今さらながら気づいた。
(こんなポッと出のおれじゃ、実は出る幕ないんじゃねえ……?)
バイトは『予定がある』と断ることはできる。
しかし、圭介も桜子と羽柴の関係が気にならないわけではない。
うまくのぞき見られる方法があるのなら、それに乗っかってしまいたい。
とはいえ、相手の要求にホイホイとオーケーするのもシャクに障る。
ここは薫子流の取引をしてみるのも悪くない、と圭介はニンマリと笑った。
こっちが実はそうしたいと思っていることは見せずに、相手に押しつけがましく承諾するのだ。
圭介は『日当5万出すなら、やってもいい』と返信してみた。
値段を上げても、圭介にやってもらわなければ困るのか。
それとも、それほど重要な頼み事ではないのか。
相手の返事でわかる。
返事は思いのほか早く、『わかりました。詳細は追って連絡します』だった。
(……ちょっと待て。こいつにとっちゃ、1万も5万もたいして変わりねえんじゃないか?)
数時間で5万ももらえるとなれば、圭介にとっては破格の待遇だが、ここは最低でも10万、いや100万円レベルで吹っかけなければ、相手の意図を測れるはずもなかった。
このやり取りで唯一わかったのは、圭介がいかに貧乏か、ということのみ。
おまけに、薫子の話に乗ったおかげで、変にセコく、ガメつい奴だと思われたに違いない。
(おれは薫子とは違う人種なんだ。間違っても、あいつのマネはしちゃいけない)
後に残ったのは、深い深い反省だった。
次話、桜子がこのところ何を考えていたのか? になります。