5話 まさかの『人魚姫』パターン?
「いきなり、なんだよ」
目の前には差し出された卵焼きに、言われた通りに口を開けていいものか、圭介はためらう。
女子に『あーん』されたことがないし、ましてや相手が薫子というだけで、何か企んでいるのではないかと、警戒心の方が先に来てしまう。
「せっかくだから、仲のいいところを見せてあげようかと思って」
「ほんとは、すっげえ嫌なんだろ?」
「うん、すっごい嫌。でも、仕方ないからガマンしてあげる。このままだと付き合ってないことがバレそうだから」
「バレるって……?」
「とにかく、疑いを晴らすためにも、うれしそうに口開けてよ」
「……わかったよ」
はたから見てうれしそうに見えたかどうかは定かではなかったが、圭介は口を開けて、卵焼きを突っ込んでもらった。
「どう、おいしい?」
「うん、うまい」と、その一言は素直に出ていた。
「ま、この程度で信じてくれればいいんだけど。本当にキスまでしなくちゃなんなくなったら、最悪だよ」
「いくらなんでも、そこまでしなくても、大丈夫じゃないか?」
「瀬名さんはこの卵焼きより甘いねー」
薫子は箸につかんだ卵焼きを愛しそうに束の間眺め、それからぱくりと口に入れた。
「どこがだよ?」
「桜ちゃんとはクラスメートで、休み時間とかいつも二人でいるんでしょ?
で、あたしとは行き帰りが一緒ってくらい。しかも、桜ちゃんや彬くんも一緒。
どっちと仲がいいかって聞かれたら、誰だって桜ちゃんの方だと思うよ」
「妹のカレシだから、仲よくしててもおかしくないとも思えるけど……」
「1番失敗したのは、土曜日にうちに来てもらったこと。
付き合い始めのお休みに、いきなりカノジョの家に行くのはやっぱり変でしょ」
「けど、休みのことだし、誰も知らなければ、それまでだろ」
「誰も知らないと思ってるの? 学校での桜ちゃんが瀬名さんに監視されているように、学校の外で誰かが監視してるとは思わなかった?」
「……あ、そういえば、興信所の人間も校内に入って調べられないから、おれに頼むとか言ってたっけ。てことは……」
圭介はサアっと青ざめて、思わず貴頼の方を盗み見てしまった。
「うちに来たことくらい知ってるでしょ。
ともかく、駅にはあたしが迎えに行ったし、商店街でも『カレシ』ってアピールしておいたから、多少の疑いはあっても確証までには至らないと思っておこう」
あれも計算の上のことだったのかと、圭介は今さらながら気づかされる。
(やっぱ、こいつ、すげえ先を読んで行動してるんだな……)
「まあ、今のところ、あいつが何にも言ってこないってことは、まだ大丈夫なのかもしれないけどさあ」
「そういうわけで、もうちょっと楽しそうな顔しててよ。せっかくのかわいいカノジョとのランチなんだから」
そう言う薫子は会話の内容にかかわらず、1度も笑顔を崩していない。
周りからは見えないのかもしれないが、目だけが笑っていない。
それが逆に圭介には怖いと思ってしまう。
「楽しそうな顔って言われても、こんな緊張感ある中でかなり難しいものが……」
「退学したくないなら、そこは気合いで何とかするってもんでしょ」
「……了解しました。
あ、そういや、今日の放課後、桜子と出かけるんだったっけ。二人で出かけて大丈夫かな」
「あたしも桜ちゃんに聞いたよ。呪いを解くのを手伝うんだって?」
「成り行きで……」と、思わずゆううつなため息が出てしまう。
「実はあんまり乗り気じゃないって感じだねー」
「桜子もずっと悩んできたみたいだし、あいつのためにも呪いなんか解けた方がいいんだろうけど、解けた後のおれの立場ってどうなるんだろうな、と思ってさあ」
「ああ、なんかそれって、あの話に似てるよね」
「あの話?」
「『人魚姫』。
せっかく王子様を助けたのに、助けたことに気づいてもらえないで、別の人と結婚されちゃう辺り」
「やめてくれ。おれはあの話が大嫌いなんだ」
「そうなの? 男の子はそういうものなのかな」
「男とか女とか関係ねえ。
助けた相手を間違えるバカな王子といい、言葉じゃなくても愛を伝える方法は他にもあるのに、それをしなかった人魚姫といい、すべてが悲劇に向かっていくのが嫌なんだよ」
「それは同感だわ。わざとらしいくらいに悲惨な方向に話を持っていくもんね」
薫子は「うん、うん」と、納得したようにうなずいている。
「わざとらしい?」
「そもそも、人魚姫が人間にならなくちゃいけない理由がないじゃない。
人魚が人間になれるなら、人間が人魚になればいいだけのことでしょ?
人魚姫は人魚の王国のお姫様なんだから、他にライバルがいるわけもなし、王子様だって、王族待遇で迎えられるんだから、不満はないだろうし。
話はそれで終わり、めでたしめでたし」
「……まあ、確かに。けど、人魚姫が魔女に大事なものを代償に取られるのは、変わらないんじゃないか?」
薫子はチッチッチと立てた人差し指を振る。
「それも間違ってるんだよ。いくら切羽詰まった状況でも、『なんでも言うことを聞くから、助けて』なんて言っちゃマズいんだって。
足元見られて、1番大事なものを取られちゃうに決まってるでしょ。
そういう時は、相手の欲しがりそうなものをちゃんと用意していって、『あたしの願いを叶えてくれたら、あげてもいいわ』的に話を持っていくんだよ。
それが取引の重要ポイント」
「そんな人魚姫だったら、童話のお姫様にはなれねえな……」
(ていうか、薫子、おまえは『姫』にはなれねえ!)
その一言は圭介の胸のうちに収めておいた。
次話、この場面の直後、ランチから戻った圭介と桜子の話になります。