3話 『社交界の姫』ですから
この話は桜子視点です。
桜子は蓮の運転する車の助手席から窓の外をむっつりと眺めていた。
教室から半ば無理やり連れ出され、何の用かと問う桜子に対して蓮の返事は、「詳しい話は車の中で」。
桜子が黙って付いてきたのは、蓮の見た目の軽薄さの裏に見え隠れする緊張と真剣さに気づいたからだった。
ついついムスっとしてしまうのは、隣にいる蓮に対してではなく、先ほどの圭介の態度だ。
(ああいう時は普通止めない? あたし、知らない人にさらわれちゃったんだよ?)
せめて追いかけるそぶりでも見せてくれればいいのに、圭介はボケっとしたまま見送っていた。
しかも、桜子が言い寄られて困っていた時も、圭介は『どうぞ、勝手にやってください』レベルで見ていただけ。
(そ、そりゃあ、あたしたちは『友達』だから、それが普通なのかもしれないけど……)
桜子は『おれのカノジョに触らないでくれるかな?』と、圭介が言ってくれるのを一瞬、期待してしまったのだ。
期待をはずされて不満に思うのは単なる逆ギレでしかないのだが、どうも胸の辺りがモヤモヤして気分が悪い。
(そもそも、あたしは何を期待してたんだろう……)
「車って、羽柴さんが運転するとは思ってもみませんでした。運転手、いるんでしょう?」
桜子は気分を変えるように蓮に声をかけた。
「もちろん。でも、ずっと自分で運転したかったんだよね。やっと18になったから、即行免許取って、車買ってもらったんだ。
君が助手席第1号。好きな女の子を最初に乗せるって決めてたんだ」
(乗せてる女の子、全員に言ってるよね……)
桜子は助手席の足元に落ちている金のピアスを見てため息をついた。
真新しいシルバーのスポーツカー。
同じ高級車でも座席が固くて乗り心地はいまいちだが、助手席に乗っている女性を気分良くさせるためには、うってつけの車だ。
(ナンパ用の車って感じ?)
「それで、話って何ですか?」
蓮の女性関係には興味はないので、桜子は単刀直入に聞いてみた。
「そんなにせかさなくても。せっかくのドライブ、楽しまない?」
「授業をサボってまで、ドライブを楽しむ余裕はありませんので」
「つれないなー。これで戻っても、4限は半分以上終わってるよ。
せっかくならどこかでランチして、午後から授業に出ようよ」
桜子はナビに表示される時計を見て、うなずくしかなかった。
「わかりました」
桜子がすぐに帰ると言い出さなかったことに安堵したのか、蓮はようやく本題に入ってくれた。
「実は今度の土曜日、兄の婚約披露パーティがあってね、君に僕の同伴を頼みたいんだ」
「今度の土曜日って、ずいぶん急ですね。行く予定の人、行けなくなっちゃったんですか?」
「んー、もともと行くつもりなかったんだよね。ほら、親戚だの仕事関係だの、いちいち挨拶するのめんどくさいじゃん。
で、スルーしようと思ってたら、親父に来るのが当然みたいに言われてさあ。一人じゃなんだし、誰か誘おうかなと」
「じゃあ、誰でもよかったんですね。羽柴さんが誘えば、誰でも喜んで来てくれると思いますよ」
「なら、君もオーケーってことで」
「せっかくのお誘いですけど、あたしも仕事関係みたいなパーティは苦手なので、遠慮させてもらいます」
「じゃあ、パーティなんて堅苦しいこと考えないで、ただのデート。
そもそもこれをきっかけに君と仲良くなりたいなーって思ってるんだから、ただのデートのお誘いだよ」
「デートなら、なおさらお断りします」
「どうして? カレシに怒られる?」
蓮に聞かれ、桜子の頭に浮かんだのは圭介の顔だった。
(もう、何考えてるの!? 圭介は友達でしょ!?)
「か、カレシとかはいませんけど……っ」と、桜子は慌てて前置きをしていた。
「そもそもデートって、恋人同士でするものですよね? だから、お断りしているんです」
「それ、定義が違ってるよ。お互いに好意を持ってる二人が一緒の時間を過ごせば、デートになる。
君は僕のこと嫌い?」
「いえ、そんなことはないですけど」と、桜子は即答した。
今までに『嫌い』と思う人間に会ったことがないので、当然の答えだった。
「僕は君が好きで、付き合いたいと思ってる。君は僕のことを嫌いじゃない。
これから恋人同士になれる可能性はゼロじゃないってわけだ。
お互いをよく知り合うための最初のデート。『デート』って表現がしっくりこないなら、パーティの同伴でどう?」
結局、話が戻っている。
「……どうしても、あたしじゃなくちゃダメなんですか?」
「うん、ダメ。君が来てくれなかったら、僕もパーティに行かない。
すっぽかしたら、親父、怒るだろうな。下手すると勘当されるかも。
そうなったら、僕、死んじゃうよ」
パーティに行かないくらいで勘当されるかどうかはともかく、見るからに親のお金で遊び回って、人生を楽しんでいる苦労知らずの男は、本当に勘当されたら生きるすべもなく、野垂れ死ぬかもしれない。
(まあ、そうでもないか。この人、女の子に人気あるし、扱いも慣れてそうだし。うまーく逆玉狙って、今と同じような生活くらいできるよね。
……で、狙いを定めたのが、あたし?)
蓮が呪いのことを知っているにしろ知らないにしろ、久しぶりに近づいてきた男は、やはり桜子の後ろにある『藍田グループ』が目当てだったということだ。
先代の総帥であった祖父が亡くなるまで、桜子はその祖父に連れられてよくパーティに行った。
祖父は初孫の桜子をことのほか可愛がっていて、だれかれ構わず自慢するために、どこに行くにも連れて歩きたがったのだ。
「桜子は大きくなったら、世界で最高のお婿さんをもらって、世界で1番幸せになるんだよ」
それが祖父の口癖だった。
祖父からすれば、孫に対する愛情から出た言葉でしかないのだが、それを聞いた周囲は『桜子は婿を取って藍田家を継ぐ』と認識した。
おかげで、藍田とよい関係を築きたいと思っている大人たちは、歳の近い子息を次から次へとお勧めにやってくるようになった。
その息子たちも親に言いくるめられて、小さいながらも野心のある男の子は積極的に、気の弱い子も親に怒られるのが怖くて、結局、どんな男の子も桜子の気を引こうと、あれこれ手を尽くしていた。
子供たちにも親たちにも恭しい態度でかしずかれ、桜子としては非常に不本意ながら、『社交界の姫』なるあだ名がつけられてしまったのだ。
誰が『姫』の心を射止められるのか。
射止められたら、『藍田グループ』という大きな国が手に入る。
桜子がどんなに醜かろうが、ひどい性格だろうが誰も気に留めない。
『藍田グループ』の名札がついていれば、中身は何でもいい。
そのことに早々に気づいた桜子は、正直、パーティというものが大嫌いになった。
それでも、先行きの短い祖父のために、苦痛でしかないその時間を過ごしてきた。
だから、祖父の死後は1度たりとも足を運んでいない。
幸い両親は放任主義なので、無理やりに行かせることもなかった。
その後は『呪い』のおかげなのか、青蘭に入っても、今日この日まで同じ悪夢を見ずに済んできたのだが――。
(……やっぱり逃れられないんだな)
それが藍田家の長女としての宿命なのだと、桜子は少し大人になった今、ようやく悟った気がした。
「わかりました。土曜日の件、お引き受けします」
「ほんとに? やった!」と、蓮は大人びたイケメン顔には似合わない、子供のようなはしゃぎ声を上げた。
「でも、今回限り、1度だけです。2度は助けませんよ」
桜子の言葉に羽柴は怪訝そうな顔をする。
「助けるって?」
「どうしても他の誰でもなく、あたしじゃなくちゃいけないんでしょう?
あたしが行かないなら、お父様に怒られてもパーティに行かないんでしょう?」
「そりゃ、君が本命だから、君以外の誰かを連れて行っても、虚しいだけじゃん」
蓮は嘘はついていない。
でも、言葉を上手にすり替えている。
本当の目的が他にあることは、桜子にはわかっていた。
(まったく、『社交界の姫』もつらいよ)
桜子は小さくため息をつきながら、窓の外に流れる海沿いの景色に視線を向けた。
次話、圭介と薫子、ニセカップルのランチタイムになります。