29話 解け始めた呪い
【第1章 高嶺の花でも頑張ります。』の最終話になります。
藍田家でのお茶会が終わった後、圭介は桜子の家族に見送られながらその家を出た。
帰りは薫子が言っていた通り、桜子が駅まで送ってくれる。
家の勝手口を出て裏門を抜ければ、目の届くところに果物を買った商店街の入口が見えた。
これなら確かに駅まで10分もかからない。
(どれだけ広いんだ、こいつんち……)
「それで、お父さんとはいろいろ話できた?」と、桜子が隣を歩きながら聞いてくる。
「ああ。いい親父さんだよな」
圭介は素直に思った通りのことを答えた。
「ほんと?」
桜子の顔がうれしそうにほころぶのを見て、圭介は思わず笑ってしまう。
「ボロクソ言ってたくせに、褒められるとうれしいんだ」
「別にボロクソなんて言ってないよー。お父さんはああいう人だけど、大好きなお父さんなんだもん。褒められてうれしくないわけないじゃない」
桜子兄弟たちの語る『父親像』は、確かにその通りだったと圭介も思った。
家族思いの少々頼りない『お父さん』。
気の進まない仕事に出かける姿は『ナマケモノが背筋を伸ばして頑張っている』ように見えるのも事実。
一方で、ウワサに聞く『藍田音弥像』もあながち違うとも言えない。
圭介は実際に会ってそう思った。
桜子の母親も美しい人だった。
若い頃は今の桜子と同じく、たくさんの男から憧れる存在だったということは想像にたやすい。
誰でも選べる立場の藍田家次期当主が選んだたった一人の男が『お父さん』。
そんな人物が凡人なわけがない。
まさしく最高の男だ。
ずば抜けた能力だけではなく、人を惹きつける魅力に圭介も気づかざるを得なかった。
パジャマのような格好など気にならないくらいに、自分が正座していたことも忘れるくらいに、圭介は音弥との時間を夢中で過ごしていたような気がする。
グループ内部でもそんな総帥に惹かれ、ついていこうとする人も多いに違いない。
この人の下で何かを一緒に作り上げていきたい。
この人に認めてほしい。
そう思わせる人だった。
「おまえの親父、マジでカッコいいな。
おれ、今まで『憧れる』って言葉、いまいちピンと来なかったけど、初めてそういう人物に会ったって気がした。理想の父親って感じ?」
(いつか本当に『お父さん』って呼べる日が来てほしいよ)
続くこの言葉は告白もしていない今、口にすることはできなかったが。
桜子は「そっか」と、つぶやいただけだった。
照れくさくなって顔を背けていた圭介は、桜子がどんな表情をしていたのかわからなかった。
「きっかけはどうであれ、会わせてくれてありがとな。
普通だったら話するどころか、会うことすらできなかったんだから」
「どういたしまして」と、圭介の顔を見上げた桜子は、鮮やかな笑顔だった。
そんな最高の笑顔に、圭介はでれっと顔が崩れそうになってしまう。
(やっぱり、この笑顔、おれが独り占めしたいっ)
『お父さんと呼ぶ宣言』をしてしまった今、もう後には引けない。高嶺の花目指して、やれるところまでやる。
圭介は改めて自分に誓った。
「それなら、『呪い』の原因がお父さんじゃないってことも納得できた?」
桜子に聞かれて、圭介は気を取り直しながら「ああ」とうなずいた。
「結局、『呪い』は呪いでしかなくて、解決しようがないのかな」
「そういうことになっちゃうんだよね。あたし、前世で悪い事でもしたのかなあ。……あ、ここなんだ」
桜子が商店街の途中にあるチェーンの牛丼屋の前で、突然立ち止まった。
「ここって?」と、圭介も足を止めながら聞いた。
「最初に告白してくれた子の家の薬局があったの。お店がつぶれちゃって、今はこの通り牛丼屋さん」
日曜日5時という時間、夕食には早いのか、それとももともと客が少ないのか、ガラス越しに見える店の中は閑散とした様子だった。
「あれー、桜ちゃん」と、隣の酒屋の前に出てきたエプロン姿の中年女が、桜子に親し気に声をかけてきた。
「こんにちは」と、桜子も笑顔で返している。
「なに、今日はカレシと一緒?」
(この商店街の連中は、それしか頭にないのか?)
「やだなー、ただの友達だよ。クラスメートなの」と、桜子は答えている。
「それより桜ちゃん、昔ここに住んでた祐希くん、覚えてる?」
酒屋の女が『ここ』と指したのは、今、圭介たちが見ていた牛丼屋だった。
その『祐希くん』が桜子に告白した少年なのだと、圭介はすぐにわかった。
桜子の表情がわずかに曇ったのだ。
「うん、もちろん。小学校の時からずっと仲良かったもん」
「店がつぶれてそれっきり音沙汰なかったんだけど、それが昨日、奥さんがふらっと通りがかってね」
「おばさんが?」と、桜子は意外そうな声を上げる。
おしゃべり好きなのか、その女はぺらぺらと話してくれた。
「もうびっくりしたのなんの。きれいに化粧して、高そうな服を着ててねえ。どこの奥様かと思ったわよ。
声かけて立ち話したら、なんでも今は都心の1等地に3軒もドラッグストアを持ってるんですって。
店がつぶれたおかげで、今は左ウチワよって、笑ってたわ。そうじゃなかったら、一生商店街の薬屋のおカミさんで終わってたわって。
人生、何が起こるかわからないものねえ」
「あの……それで祐希くんは?」
桜子が気になるのは、やはりその少年のことらしい。
「中学は途中だったから公立に転校したけど、高校は有名私立を受験して通っているんですって。
鼻高々だったわよー」
「じゃあ、元気なんですね?」
「そうでしょうよ。おっと、配達に行ってこないと。夕飯の支度が間に合わなくなるわ。
じゃあ、またね、桜ちゃん」
「さよなら」と、見送る二人を置いて、酒屋の女はバイクに乗って去って行った。
「驚いたな。『不幸』なんて、どこへやらって感じじゃねえ? 『呪い』とかいって、実は『幸運』を運んでたとか」
圭介はこんな朗報はないと思ったのだが、桜子の表情は曇ったままだった。
「そんな都合のいい話とは思えないけど……。
でも、少なくとも祐希くんはあたしのせいで不幸になんかなってないって思ってもいいのかな?」
「まあ、店がつぶれた当時はともかく、今は幸せにやってるなら、おまえが気に病む必要はないってことじゃないか?」
「じゃあ、もしも、残りの二人も今は幸せに暮らしていたら、あたしは恋をしてもいいと思う?」
桜子がすがるように圭介の袖を握りしめた。その拳が小刻みに震えている。
「……恋したいと思ってたのか?」
「あたしだって、好きな人ができた時には、ちゃんと好きって言いたいよ。
今までは誰も不幸にしたくなくて、誰も好きにならないって決めてたけど……」
「そうだよな」
「ねえ、圭介、手伝ってくれないかな? あたし、あとの二人もあの後どうなったのか、全然知らないの。知るのが怖くて、ずっと調べられなかったの。一緒に調べてもらえない?」
「なんで、おれが? 親父さんに頼めば、それくらいすぐに調べられるだろ」
「これは自分の問題だから、自分で解決したいの。でも、一人だとやっぱり心細いから」
「それで、おれ?」
「圭介は友達でしょ? 友達が困っている時に助けてくれないの?」
その桜子の一言に、圭介は胸をえぐられたような気がした。
今、この時ほど『友達』という言葉が、残酷に響いたことはない。
『呪い』のおかげで、圭介は誰よりも1番近い『友達』という男でいられたというのに、その『呪い』が解けかかっている今、『友達』は男でも女でも仲の良い相手に使う言葉に変化し始めている。
『呪い』なんて解けなくていい。
だから、告白してきた奴らがどうなっているかなんて調べる必要なんてない。
おまえは誰にも恋なんてしなくていい。
圭介はそう言いたかった。
(少なくとも今は、まだ早すぎるんだよ……!)
しかし、圭介から出てきた言葉は、取り繕った笑顔とともに「わかったよ」だった。
「卑怯者」と、もう一人の自分が罵るのがうるさくて、ただそれを黙らせるために――。
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次話から【第2章 『友達』返上、まずは告白してみます。】が始まります。
『呪い』の解明をしながら、圭介と桜子の距離は縮んでいくのか?
いよいよ邪魔者たちも登場してくる展開になります。
引き続き読んでいただけると、うれしいです!