28話 未来予想図にしたい
音弥が部屋を出て行ったと同時に、圭介は今まで緊張で凝り固まっていた身体が一気に解放された気分だった。
この隙に足を少し伸ばそうとしたところ、慣れない正座を長時間していたせいか、完全にしびれている。
(や、やばい……。みんなが戻ってくる前に、このしびれを何とかしなくては)
かっこ悪すぎる、と圭介は青ざめた。
とはいえ、足のしびれが相手ではどうすることもできず、時とともに収まってくれるのを待つしかない。
圭介が全身に冷や汗を浮かべ、這いつくばったままこらえていると、目の前の襖がそろそろと開いて、ひょっこりと桜子が顔をのぞかせた。
「やだ、どうしたの?」
「見てわからんのか。足がしびれて動けねえ……」
「どっちの足?」
「右足」
「じゃあ、もんであげるわ」
「や、やめろ。触るんじゃねえ!」
圭介の必死の制止にも関わらず、桜子の手が足首に触れた。
圭介の全身に電気が走ったように激痛が響き渡り、「ぎぇー!」と、耐えきれずに叫び声を上げていた。
と同時に、バタバタという足音が聞こえ、再び開いた襖から人がなだれ込んでくる。
「どうしたの!?」と、聞こえたのは桜子の声だった。
(桜子、なぜに2度も同じことを聞く?)
圭介が恨みがましく目を上げると、桜子が自分を覗き込んでいた。
(……じゃあ、足をもんでるのは、誰?)
圭介は恐る恐る振り返り、自分の足元に座っている人物を見た。
黒髪をポニーテールにした、桜子とは別人の女がそこにいた。
顔はよく似ているが、もっと年上で大人の色香を漂わせている。
「お母さん、まさか『オバサン』言われて、問答無用に蹴っ飛ばしたんじゃないでしょうね!?」
桜子の鋭い声が飛ぶ。
(お、お母さん……?)
「失礼ね! さすがのあたしだって、初めて会う人にそんなことするわけないでしょ! 足しびれたって言うから、介抱してあげてるのよ!」
「圭介、大丈夫?」
桜子の問いかけに対して、圭介は「大丈夫」と小さくうなずいた。
もんでもらったおかげなのかどうかはわからないが、足に血が通い始めて動けるようになっていた。
「すみません、お騒がせしました……」
圭介は疲労に重くなっている身体を無理やり起こし、座り直してから桜子の母親に向き直った。
化粧気のない顔だというのに、つややかではつらつとしている。
天城学園のパンフレットで見た顔の方が化粧をしている分、大人に見えるくらいだ。
飾り気のないTシャツとジーンズのサブリナパンツから出ているきれいな手足は、色白でどこかなまめかしくさえある。
「初めまして。桜子の母です」
ニコリと向けられた笑顔は、桜子のものと瓜二つ。
桜子もあと10年もしたら、こんな風に女性らしくあでやかになるのだろうか。
圭介は思わず想像して、ぼけっと見とれてしまった。
おかげであいさつをするのが1拍は遅れた。
「瀬名圭介です。お邪魔しています」
「ふーん。圭介って、同年代の女子に興味がないと思ったら、熟女好きだったんだ」
桜子の辛辣な言葉に、圭介は頭から冷や水を浴びせられたような気分だった。
「あら、そうなの?」と、桜子母はうふふとうれしそうに笑う。
「瀬名くん、おれの奥さんを誘惑しちゃいけないよー。帰る家が突然なくなっててもいいって言うなら、かまわないけど」
音弥の本気とも冗談とも取れる言葉に、圭介は冷水バケツの2杯目をぶっかけられる。
「そ、そんなこと、断じてしません!」
圭介が必死に訴えかけると、音弥はぷははとやはり笑っていた。
「瀬名くんはほんと、からかうと面白いなあ」
「でしょー?」と、その隣にいる薫子もバカ笑いしている。
(やっぱり似た者親娘だ)
「ちょっと、音弥、その調子でこの子をさんざんイジメてたの!?」
桜子母の鋭い目が音弥に向かう。
「やだなあ、イジメてただなんて、人聞きの悪い」
「かわいそうに、いったいどれだけの時間、正座させてたのよ?
あなたに会うためにわざわざ制服まで着て、かしこまって来てるってのに。
それに引き換え、あなたはなんていう格好? あたしがコーディネートしてあげた服はどこいっちゃったの?
この子が期待していたはずの『藍田総帥像』、どうしてボロッボロに崩壊させちゃうのよ!?」
「いやー、すまんすまん。どうせ子供たちからそれなりに聞いてるだろうし、カッコつけても、すぐに化けの皮が剥がれるかなと」
音弥は怒られて喜んでいるのかと思うほど、へらへらと笑っている。
「お父さん、ただ単に居眠りしてて、時間に間に合わなかっただけなのにねー」
薫子の突っ込みに、桜子母のきれいな額に青筋が浮かぶ。
「あ、圭介。ケーキ食べない? 気合い入れて作ったから、味は保証するよ」
喧々囂々の言い争いがまるで聞こえていないかのように、桜子はにっこりと圭介に微笑みかける。
「この状況でケーキか……?」
「放っておいて大丈夫。いつものことなんだから。今、持ってくるね」
そして、桜子がケーキと取り皿を乗せた盆を運んできた頃には、いつの間にか全員静まり、それぞれ座布団を敷いてちゃぶ台の前に陣取っていた。
(なんなんだ、この家族は……?)
圭介は内心呆れながらも、にぎやかなこの家族がうらやましく思えた。
圭介は母親と二人暮らしで、その母親も夕方から深夜過ぎにかけて働いているので、圭介一人で過ごすことが多い。
そんな生活は当たり前のことで今さら文句もないが、それでも未来には期待したくなる。
(おれも将来はこういう大勢の家族がいいな)
一人でいると退屈して寝てしまうと言っていた音弥が、妻や娘たちにかまわれて幸せそうな顔をしているのを見ていると、圭介は余計にそんなことを思ってしまったのだ。
桜子の作ったフルーツタルトはというと、ケーキ屋に並んでいるもののようにきれいにフルーツがカットされて、色とりどりに飾られていた。
さすが、気合いを入れて作ったというだけのことはある。
「あ、桜ちゃん、サクランボいっぱいのとこ、あたしにちょうだい」と、薫子がかわいくおねだりをする。
「お客様が先なんだから、わがまま言わないの。だいたい、圭介の好きなフルーツを買ってきてって言ったのに、どうして薫子の好きなサクランボがいっぱいなのよ?」
「それはおれが何でもいいって言ったから。薫子、これ食え」
圭介は目の前に置かれたばかりのケーキの皿を薫子に回してやった。
「ありがとう。瀬名さん、やさしー」
薫子が圭介に満面の笑顔を向けると、桜子は「まったくもう」とため息をついていた。
「圭介、薫子を甘やかしすぎ。どんどんつけあがって、後で面倒なことになっても知らないよ」
「大丈夫。ちゃーんとお返ししてあげるから。ねえ?」
圭介は薫子に意味ありげに笑いかけられ、すでに『お返し』ではなく、助けてもらっているという事実を嫌でも思い出さずにいられない。
「楽しみにしておく……」と、圭介は適当に話を合わせておいた。
「ねえ、瀬名くんって、どっかで見た顔よね」と、ケーキをほおばりながら桜子母が圭介の顔をまじまじと見つめてきた。
「もしかして、天城学園の受験票で見たとか?」
「あら、受験したの?」
「落ちましたけど」
「それは残念だったわね。桜子から聞いたけど、お母さん、水商売なんでしょ?
それだとうちの学校は厳しいかも」
「やっぱり、親が水商売だとまずいんですか?」
「別に偏見とかじゃないわよ。水商売って、基本的に実入りがいいでしょ?
実際、都立に行く予定だったってことは、少なくとも高校は出してもらえる余裕があるってことじゃない。
青蘭でトップクラスの成績ってことは、学力には問題なさそうだから、親の所得で切られた可能性が高いってことよ」
「なるほど、そういうことですか」
(ていうか、桜子、おれの話を家でどこまでしゃべってんだ? 母ちゃん、全部知ってるじゃねえか)
「『瀬名』ってお父さんの姓?」と、桜子母に改めて聞かれる。
「そうですけど」
「お母さんの旧姓は? もしかして『神泉』じゃないの?」
「さあ、聞いたことないです」
圭介が首を傾げたとたん、「ああー!」という薫子の大声が響き渡った。
「大事なこと、忘れてた! 瀬名さんに桜ちゃんの昔の写真を見せてあげようと思ってたんだ!」
「どうしてあたしの写真を見せるのよ? 恥ずかしいじゃない」と、桜子が慌てたように言う。
「桜ちゃん、すっごいかわいいんだよ。瀬名さんも見たいでしょ?」
薫子の目が「そうだと言え」と脅しているように見えたので、圭介はそのままうなずいた。
(いや、まあ、普通にかわいいだろうから、見たいのは確かだけど)
「今日はダメ! ちゃんと整理してないから、また今度!」と、桜子には断固として断られたが。
どうやら薫子が話をわざとそらしたことに気づかなかったのは、『昔の写真を見せる』ということに焦った桜子だけのようだった。
(母ちゃんの旧姓が知られると、貴頼との関係もバレるからか? で、芋づる式に監視してることまでバレると)
この辺りのことは薫子に任せておいた方がよさそうなので、圭介は黙っておいた。
次話で第1章完結、第2章へのプロローグ的お話になります!