27話 たとえ高嶺の花でも
前話から引き続き、圭介と桜子父との話です。
「『お父さん』と呼ばせてもらいます」
そう宣言した圭介に対して、音弥がどんな態度を見せるのか。
調子に乗った若造を不快に思って怒り出すのか、それとも身の程知らずだとバカにして笑うのか。
圭介は固唾を飲んで、裁定が下されるのを待っていた。
しかし、圭介の予想に反し、音弥はやれやれといったようにため息をついただけだった。
「君も物好きだね。若いのに苦労をしょい込んで」
「その苦労を背負わせるのはお父さんなんじゃないですか?」
圭介の切り返しに、音弥は意外そうに目を軽く見開いた。
「どうしておれが?」
「桜子さんの『呪い』の話、知らないわけがないですよね?」
「もちろん知ってるよ」
「あなたのことですから、桜子さんの相手の家柄が関係ないと言うのなら、たとえば、その家族を不幸に陥れて、相手がそこから這い上がるほどに桜子さんのことを思っているのかどうか、確かめることくらいするのではないですか?」
音弥がどう反応するのか見逃さないためにも、圭介は必死で見つめているというのに、相手はぷはは、と吹き出して笑った。
「へえ。それ、面白いアイディアだな。君で試してみてもいい?」
(ぼ、墓穴を掘ったー!)
あれほど不幸が訪れないように願ったというのに、目の前の男を挑発してしまった。
だからといって、ここまで来て、「やっぱ、冗談した」と笑ってごまかせる状況でもない。
呪いの人形は、五寸釘とトンカチをつけて、すでに渡してしまったのだ。
後はもう「打ってください」としか言いようがない。
「そうお望みなら、僕はかまいません」
神妙に答える圭介に、音弥は腹を抱えて笑っていた。
笑い上戸なところも薫子に似ていると、圭介はこんな状況でノンキなことを思ってしまった。
(人間、窮地に陥ると現実逃避するために、どうでもいいことを考えるんだな……)
「ま、冗談はさておき、君が本気かどうかを確かめるのは、おれじゃなくて桜子自身だからね」
音弥がようやく笑いを収めて言ったのは、その一言だった。
「冗談って……?」
「本気であの子を好きだと思うなら、それはそれでよし。
たとえ本気でなくても、桜子が君を好きだというのなら、それもよし。
二人の関係におれが介入することはないってことだよ」
「でも、先程、苦労をしょい込んでって……」
「まあ、君が桜子とどういう付き合いをしたいかにもよるけど、将来まで考えているっていうほど真剣なら、この先の人生、大変なことばかりになるってことだよ」
「つまり?」
「うちには3人子供がいるけど、このままいくと桜子が継ぐことになる」
「え? 息子がいるのに?」
「藍田家っていうのは代々女系で継いできた家でね。
だから、おれが婿に入ったのも、別に跡継ぎの息子がいなかったからじゃなくて、奥さんが次期当主だったからというわけ。で、今は奥さんが当主」
「それで、桜子さんが次期当主になると。なら、会社の方は?」
「桜子も母親と同じで、会社経営にはまったく興味がなくてね。つまり、結婚相手にはおれと同じように会社を継いでもらわなくちゃいけないんだよ」
「会社を継ぐって、いずれグループの総帥になるってことですよね……?」
「そういうこと。実際、うちのグループが女系で存続してきたのも、当主の婿になりたいっていう野心家たちの中から最高の男を選んだから、とも言われている」
(最高の男って……)
圭介はそのスケールの大きさに愕然としていた。
桜子の相手には従業員30万人を超えるグループ企業のトップになれる器が必要だと言われたのだ。
そして、それを言ったのは、実際に選ばれた男。
30代半ばで総帥の地位に就き、すでに『経済界を牛耳っている』と言われるほどの経営手腕を発揮している人物。
現藍田家当主である桜子の母親は、間違いなく『最高の男』を選んだ。
それは圭介にも疑いようのない事実に思えた。
そんな相手に向かって、圭介は『お父さんと呼ぶ宣言』をしてしまった。
「学生時代だけの気楽なお付き合いのつもりです」と、言い改めたいところだが、それこそ「ふざけるな!」と怒られる。
(だからって、『おれならグループの総帥になれます』なんて、大見栄切れるわけないだろ……)
そんな圭介に追い打ちをかけるように、音弥の言葉は続いた。
「まあ、君の場合、特に大変だと思うよ。まず家柄がないだろう」
圭介はうなだれるようにうなずいた。
「青蘭に通って、社交界というのがどういうものなのかわかったと思うけど、君のようなどこの馬の骨ともわからない若造が、藍田グループの次期総帥になる。それだけでも充分スキャンダル。
学校のイジメの比じゃない。周りからはやっかまれ、そしられ、自分がうかうかしていたら、すぐに足を引っ張られる。
たとえ総帥の座に就いたとしても、グループ内部を納得させられなければ、社員は離れていくし、グループが維持できなくなれば、30万の社員とその家族に大きな影響が出る。
仕事は多いし、責任は重いし、苦労しかない人生だと思わない?」
音弥の問いかけに、圭介は乾ききった喉をごくりと潤してから口を開いた。
「……それでも、お父さんは選んだ人生なんですよね?」
「仕方なく、だよ」
「『仕方なく』で、できることなんですか?」
そのモチベーションがどこから来るものなのか。
それがわかれば自分にも何とかできるのではないかと、圭介は無謀にも期待しながら聞いてみた。
「できるっていうより、やるしかない。だって、一生を共に過ごしたい人に、もれなくついてきちゃったオマケだからさ。手に入れるための代償だと思えば、安いもんだよ」
そう言い切った音弥の顔は、今まで見たどんな写真にも写っていない、ほけほけとした幸せそうな表情だった。
桜子が『お父さんの1番好きなものはお母さん』と言っていた。
圭介は本当にその通りなのだと改めて思った。
(けど、この人の真意はどこにあるんだ……?)
音弥は一見、桜子を早々にあきらめさせるための事実を述べているように圭介には思えた。
しかし、裏を返してみれば、問われているのは『桜子をどうしても手に入れたいかどうか』のような気がする。
どんな代償を払っても、ほしいと思うのか。
手に入れるために、どこまで頑張れるのか。
結局のところ、桜子をどれだけ真剣に好きなのかを問われているのではないか。
桜子はただのきれいな花ではない。
藍田グループのテッペンに咲く『高嶺の花』。
大きな富と権力に魅了されて、手を伸ばす男はいくらでもいる。
そんな野心家たちの中から、桜子に『最高の男』として選んでもらなければならない。
16になったばかりの今、圭介には何もない。
でも、これから努力する『時間』だけはある。
恋をしてしまったからには、何もせずにあきらめたくなかった。
「今の僕には何もないですけど、『好き』という気持ちだけは持っています。
お父さんの言う通り、その気持ちで何とかできるのなら、その高みを目指してみようと思います」
圭介が言えることはそれだけだった。
また呆れられるかと思ったが、今度の音弥は面白そうに目を光らせていた。
「なら、お手並み拝見ということで」
そんな言葉を返されたのが、かえって圭介には目の前の人物に少し認められたような気がして、心が浮き立つのを感じた。
「なんか、話がそれちゃったけど、『呪い』の話だったよね?」
音弥に言われて、圭介もそもそもの話の発端を思い出した。
(そ、そうだった……。それがなんでこんな人生の大事なことを決める話になってるんだ!?)
「要は、藍田家の婿がどれだけ大変かを言いたかったんだよ」
「それは、はい、よくわかりました」と、圭介はうなずいた。
「この先、どれだけの試練が待っているか、おれ自身がよくわかってるから、桜子の選んだ男におれ自身が下す試練なんて一つもないってこと。
もっとも、おれと同じ苦労を味わえって思うほど非情でもないから、逆に助けてやるつもりではいるけど」
「『呪い』の原因はお父さんではないと」
「納得してくれたかな?」
「はい」と、その一言は考える間もなく、すんなりと圭介の喉を通り抜けた。
「……じゃあ、本当に『呪い』はあるってことですか?」
1番の原因となりそうな人物が外れた今、桜子たちが信じるように圭介もまた信じるしかなくなってしまう。
「まあ、あんまり考えたところで呪いは呪い。非科学的なものに答えは簡単に見つかるものじゃないからね」
音弥はそう言って肩をすくめた。
「でも、本人は気にしているみたいですし、解けるなら解けた方がいいのかと。お父さんは気にならないんですか?」
「気にならなくはないけど、その呪いは桜子が誰かを好きになった時点で、解ける種類のものだと思ってるんだよね」
「その根拠は?」
「桜子が選んだ男に降りかかる理不尽な不幸なら、おれがひっくり返してやるからさ」
圭介は音弥の挑戦的な眼差しに射抜かれ、ぞくりとした恐怖と同時に、妙な快感を覚えてしまった。
(この人、やっぱすっげえカッコいい……)
「とはいえ、『呪い』を信じ切っている桜子に好きだって言わせるのは至難の業だと思うけど」
「頑張ります……」と、圭介は再びこの言葉を口にすることになった。
「それにしても娘たち、遅いな。いつまでケーキ作ってるんだか」
「ちょっと見てくる」と、音弥は立ち上がって部屋を出ていった。
次話もこの場面が続きますが、ここまでの緊迫ムードは終了です。
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