10話 ジイさんが想い続けてきた人は……
本日(2023/05/23)、二話目になります。
葉山から帰った夜、夕食の席で圭介は源蔵に声をかけた。
「ジイさん、この後、時間ある? 話をしたいんだけど」
「何の話だ?」
「婚約について」
「まさかまたあの娘を連れてくるつもりか?」
「さすがにこんな時間に来させないから、逃げなくても大丈夫だよ」
「わしは忙しい。夜もやることがあるんだ」
「忙しいって言うなら、今ここでみんなの前で話してもいいけど? 静さんの話」
ひげがあった時はわかりづらかったが、今の源蔵の表情はさすがの圭介もわかる。
(ジイさん、ビビってる?)
「食事の後、わしの部屋に来い」
源蔵はむっつりと言った。
「おー、ありがとう、ジイさん」
「だれ、静さんって? お父さんに愛人でもできたの?」と、母親が興味津々に聞いてくる。
「内緒」と、圭介は舌を出した。
源蔵の部屋には何度か来たことがあるが、自分から来るのは初めてだった。
源蔵はデスクに座ったままソファに来る様子はないので、圭介は立っていた。
「で、話とは何じゃ?」
源蔵はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言った。
「単刀直入に聞きます。桜子に会ってもらえない理由は、静さんですか?」
「誰に聞いた?」
「静さんの友達だったという女性から、ジイさんたちが同級生で仲良かったっていう話と、ばあちゃんからはジイさんが静さんと駆け落ちしようとしていたってことを聞きました」
源蔵はやはり圭介の方を見ることなく、ふんと鼻を鳴らした。
「昔の話だ」
「駆け落ちの約束をしたのに、来てくれなかった静さんのことを恨んでいるんですか?」
「わしをその辺りのバカ男と一緒にするでない。琴絵が何を話したのかは知らんが、あの人は来てくれたんだから、約束をすっぽかされたわけではない」
「え、来てくれたんですか? 静さんもそのまま駆け落ちしようとしていたんですか?」
「いや、断りに来ただけだ。わしのことは好きだが、結婚相手の男は特別なのだと言っておった。初めて特別に好きになった男なんだと」
「それで納得できたんですか?」
「いや。わしはみっともなくすがった。神泉の次期当主の座も、富も名誉も全部捨てて、それでもあの人がほしいと訴えた」
「ジイさんにその覚悟はあったんですか?」
「あった。あの人を他の男に奪われるくらいなら、今手の中にあるものなど惜しくはなかった。それくらい大切だった」
「それでも、静さんは『うん』とは言ってくれなかったんですか?」
「言ってくれんかった。それをしたら、わしが後悔すると。だから、わしのためにそうすべきではないと」
「静さんはどうしてそんなことを言ったんでしょうか。ジイさんは本気だったのに」
「あの人はとうに見抜いておったんだ。中学から高校まで一緒にいて、わしにはいくらでもそうする機会があった。しかし、わしはただ一番近くにいることだけに満足しておった。
あの人の結婚が突然決まって、初めて焦って出した結論でしかなかった。
その時ようやくわかった。恋をした時点で、すべてを投げ打つ覚悟をしなければならなかったんだと。そういう男でなければ、あの人は特別に好きになったりしない。自分の大事なものと天秤にかけることすら許さない、そういう人だったんだ」
「それは厳しいですね……。おれは最初から何もなかったから、捨て身で追いかけることができただけか」
「あの人が選んだ男もそうだった。人を蹴落とし、陥れてでものし上がる。社長の目に留まって、後継者として認められるまで、まっすぐに突き進む奴だった。
汚い野心家だと思っておったが、それは全部あの人にふさわしい男になりたかっただけのこと。それだけが目的だった。あの人はそういう男に恋をしたんだ」
圭介は桜子の祖父、音弥になる前の藍田グループ総帥を知らない。
今日、葉山で聞いた話からすると、家柄もなく、容姿も際立った人ではなかったらしい。
そんな人が藍田グループのトップを目指すために、どれだけの苦労をしたのか。
人を蹴落とし、陥れてでものし上がる。
桜子も『世間から叩かれるようなことをしていた』、『悪い評判もあった』と言っていた。
テッペンに上りつめるために、音弥とはまた違った方法を取った人だと思われる。
どちらの総帥も、そこでつかんだものは、どうしても欲しいと思った女性だった。
(それがおれの目指す先、か)
「……それで、ジイさんはあきらめたんですか?」
「あきらめるしかなかった。あの人はようやくそんな相手とめぐり合って、幸せになれると信じて疑っていなかった。そんなあの人を無理やり連れ去ることはできんかった。
その後のことはおまえにも想像できるだろう」
「……そうですね。そこまで好きになった相手を失ってしまったら、抜け殻のようになってしまう」
「わしにはもうこの家の当主というものしか残っていなかった。しがみつかなければ、生きていられなかった。こんなもののためにあの人を失ったかと思うと、当主でいることすら腹立たしく憎らしかった」
圭介は源蔵の気持ちを想って、泣きたくなった。
大好きな人を失ったとしても、心を慰めてもらえるはずの妻や子供ですら、自分の後悔の賜物にしかならない。
ただ一人を想い続けて、他の誰も愛することもできない。
自分に対する怒りと憎しみを糧に、ただ自分の立場を全うすることで、生きていくしかない。
やはりそれは、『不幸』と名付けるしかないもの。
これが『魔性の女』を愛してしまった末路だった――。
次回、【ジイさん編】クライマックス&エピローグで第6章が完結です。
二話同時アップ、お楽しみに!
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