5話 ジイさんにとって『魔性の女』だった?
本日(2023/05/16)は、二話投稿します。
前話からの続きの場面です。
食事を終えて食堂を出ようとすると、祖母の琴絵に呼び止められた。
「なに、ばあちゃん?」
「桜子さんもご一緒にいいかしら」
「あ、じゃあ、あたしたちは続きをやってるから、桜ちゃん、帰る時に呼んでね」
薫子は気を利かせて、妃那と一緒に二階へ上がっていった。
「どこかに行くのか?」
「ええ、蔵まで。お付き合い願えるかしら」
「蔵? なんでまた」
「二人に見せたいものがあるのよ」
圭介は桜子と顔を見合わせて、それから琴絵に続いて裏口から外に出た。
「へえ、これが神泉家の蔵? 博物館みたい」と、桜子が驚きに目を丸くしている。
「だろー。おれも最初見た時、同じこと思った」
圭介も蔵に来るのは、この家に来た時に藤原に案内されて以来だった。
中に入るとひんやりとした空気と、どこか古めかしい匂いに包まれる。
「保存状態をよくするために低酸素、低温に保たれてるんだって。どれだけ高価なお宝があるのかって思うだろ?」
「うん。でも、ちらりと見ただけでも相当な価値がありそうよ」
「わかるのか?」
「少しは。値段とかまではわからないよ。でも、逆にあたしでも知ってる有名な作者のものばかりみたいだから」
「こっちよ」と、琴絵に案内されたのは二階の一室、書棚の並ぶ部屋だった。
「……わあ、夏目漱石の初版本かな。こっちは森鴎外? 明治の文豪、勢ぞろいじゃない」
桜子は興味津々に辺りを見回している。
「おまえんちにも蔵ってあるの?」
「うん。小さいころによく中で遊んでた。でも、そこまで古いものはないよ。いいとこ江戸時代くらい」
「それは古いものじゃないのか?」
「だって、ここはどう見ても古代の品物とか置いてあるし。戦争で焼けたりしなかったんだね」
「神泉家が東京に来たのは戦後らしいから。それまでは京都に本家があったって」
「ああ、それならいろいろ無事に残ってるよね」
琴絵は書棚の途中で留まり、一冊の本を取り出した。
「圭介、桜子さん、こちらを見てもらっていいかしら」
琴絵が振り返って、一枚の写真を見せた。
「え、桜子?」
古びた写真に写っているのは、セーラー服姿の桜子だった。
笑顔の彼女の隣に、丸刈りの学ランの男が立っている。緊張したような妙に硬い顔だ。
「こっちの人は、なんだか圭介に雰囲気が似てない?」と、桜子が男の方を指を差す。
「え、そう?」
「こっちは源蔵さん、あなたのおじい様。この女性は桜子さんのおばあ様ではないかしら。裏に『静さんと』と書いてあるんだけれど」
琴絵の問いに、桜子はうなずいた。
「間違いありません。祖母の名前は静です」
「……ええと、ジイさんは桜子のばあちゃんと関係があったってこと?」
「わたしも嫁ぐ前にウワサで聞いたことだから、確かなことではないのだけれど、源蔵さんには想う方がいらっしゃったの。けれど、神泉家の次期当主としてすでに指名されていたので、その方とのお付き合いは当然認められなかったとか。
それでも、源蔵さんはすべてを捨てて、その方と駆け落ちする約束をしたそうよ。けれど、約束の日、その方はその場所にいらっしゃらなくて、そのまま別の方と結婚してしまったそうなの」
「つまり、その約束の日って、桜子のばあちゃんの結婚式ってこと? けど、すっぽかされたと」
「そのようね。わたしが最初に源蔵さんにお会いした時は、とても傷ついているご様子だったわ。わたしとの結婚も投げやりで、当時の当主であったお父様に言われるがまま。
その方に裏切られて、恨んで、憎んでみても、どうしようもなく恋しくて仕方がなかったのではないかしら。
神泉家の当主としての役割に必死になることで、その方のことを忘れようとしていたのかもしれないわ。そうでなければ、生きていられなかったのかも」
「ばあちゃんには悪いけど、ジイさんは今でも忘れられないでいるってこと?」
「もうずいぶん昔のことだから、いつの間にかわたしもそのようなことを忘れていたけれど。
源蔵さんが桜子さんにお会いしたくないと避けているのは、やはりそうなのかと思って」
「思い出しちゃうからか?」
「ええ。桜子さんは最近よくテレビでお見かけすることがあったでしょう? 本当、おばあ様に生き写し。顔立ちはお母様とも似ていらっしゃるけれど、桜子さんはお髪や目の色まで同じだから、わたしもこの写真のことを思い出したのよ。きっと源蔵さんも」
「けど、桜子は桜子で、ジイさんが好きだった人とは違うんだから、逆に会って『違う』ってはっきりさせた方がいいんじゃないか?」
「そうね。けれど、それすらも怖いのかもしれないわ」
「怖い? 自分の中で描いていた人を壊されたくないから?」
「いいえ。今まで必死にフタをしてきた想いが、あふれてきてしまうのではないかと恐れているのではないかしら」
ようやく圭介にもわかったような気がした。なぜ源蔵が藍田の女を『魔性の女』と称したのか。
傷つく前に別れた方がいいと言っていたのは、いつ何時、相手が気持ちを変えてもおかしくないからだと言いたかったのだろう。
桜子の王太子妃騒ぎの時も、「やっぱり」と思ったに違いない。
けれど、圭介は違う。
桜子との将来を信じて疑っていないし、そのための婚約を認めてもらいたいと思っている。
源蔵は桜子の顔を見れば、過去に思いをはせてつらい思いをするかもしれない。
これから先、結婚となって縁続きになれば、何度も顔を合わせることになる。
だからといって、圭介の決断が変わるわけでもないし、源蔵に逃げられていたら、『みんなからの祝福』にはならない。
(何かいい方法はないのか……?)
「おばあ様、そちらの事情は分かりましたけど、あたしには祖母がそのようなことをしたとは信じられません」
黙って話を聞いていた桜子が口を開いた。
「あなたは何か聞いていらっしゃるの?」
「いいえ、詳しいことは。祖母はあたしの物心つく前に亡くなっていましたけど、祖父とは大恋愛だったと聞いています。駆け落ちの約束を反故にしてまで、親が決めた相手と結婚した、というようなことは考えられないんです」
「そうね。最初に言った通り、わたしもウワサで聞いただけなの。源蔵さんは何もおっしゃらないし、半分以上はわたしの想像。ただ源蔵さんのしたことをあまり咎めてほしくないと思って、お話したのよ」
「はい。何か事情はあるのかもしれないと思っていたので、お話を聞けて良かったです。あたしも母の方に話を聞いてみます」
琴絵は穏やかな笑顔でうなずいた。
「ばあちゃんはつらくなかったのか? そんなジイさんと結婚して。親が決めたんだよな?」
「つらくはなかったと言ったらウソになるけれど、わたしも神泉の一族に生まれた者。それが宿命なのだと受け入れるしかなかったわ。
でもね、これだけ長い時間を一緒に過ごしてくれば、情というものはわいてくるものなの。いいところも悪いところも見えてくる。相手のいいところを見つけて、それを大切にすれば必ずね。それもまた幸せの形ではないかしら」
「……ジイさんのいいところって何? 家族をないがしろにしてきたひどい人って感じなんだけど」
「ああ見えて、情が深い人なのよ。でなければ、いつまでも一人の人を想い続けることなんてできないでしょう。
それもあったのか、源蔵さんはよそに女性を作ることもなかったし、わたしは余計なことで悩まなくて済んだのだから、それはそれでよかったのよ」
言われてみれば、智之には愛人がいて、子供までいる。
これだけの財産があれば、愛人の一人や二人、養うことくらい簡単だろう。
しかも、同族婚だけあって、家同士の取り決めのように結婚した夫婦。そこに愛がなければ、簡単に浮気も不倫もするものなのかもしれない。
確かにそういうことに悩まなくて済んだ琴絵は、ある意味幸せともいえる。
とはいえ、圭介にとっての『幸せ』の形とは、違いすぎる気がした。
「うーん、夫婦って、そういう形でもいいのか……?」
「あなたたちはまだ恋をする時期だから、わからないかもしれないわ。けれど、結婚の始まりは何であれ、その先、生きていれば、その時手の中にあるもので、誰でも幸せを求めるものでしょう。
別れた方が幸せなこともあるわ。けれど、わたしは源蔵さんのそばにいる方が幸せだと思ったのよ。だから、今でもこうしてそばにいるの」
「……ばあちゃん、なんかすごいな。悟りを開いてるって感じ」
「まあまあ、ただ長く生きているだけよ」と、琴絵は笑った。
「けど、ばあちゃん、話してくれてありがとう。おれらは家族みんなに祝福してもらえるように、ジイさんも説得するから」
「そうね。それがあなたたちにとって大切なことなら、頑張った方がいいわ」
「ちなみにばあちゃんはどうなの?」
「わたしは意見を言う立場ではないけれど、孫には幸せになってもらいたいと思うわ。あなたが桜子さんと一緒になって幸せになれると信じられるのなら、そうすべきでしょう」
「では、おばあ様、認めていただけるんですか?」と、桜子が聞く。
「ええ。百合子も――圭介の母親も認めていることですし。二人の会話を聞く限り、とても仲良くしてらっしゃるのでしょう? 異論を唱える理由はないわ」
「ありがとうございます」と、桜子はぺこっと頭を下げ、それから圭介に満面の笑顔を向けた。
「あとはジイさんと伯父さんだな」
「うん。頑張んないとね」
圭介も笑顔でうなずいた。
次話、桜子にとっても亡くなった祖母については「???」なので、母親に聞いてみます。
短めです。
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