26話 『お父さん』と呼ばせてください
「桜子と仲よくしてくれてるんだってね」
藍田音弥はいきなり本題に突入してくれた。
圭介は「はい」と答えながら、一言『娘に近づくな』と言われて話が終わることを覚悟した。
「いやあ、ほんと、よかったよ、君が友人になってくれて」
音弥の口調は圭介が思っていたよりやわらかなものだった。
「高校に入って毎日毎日、ぶーたれててねえ。桜子は基本的に人が好きで、誰とでもうまくやれるんだけど、青蘭はよっぽど肌に合わなかったらしい。
そんなに嫌ならやめればいいって言ったんだけど、君のことが心配だから、今はやめられないって。イジメにあってたんだって?」
「桜子……さんのおかげで、今はもう大丈夫ですけど」
「そうか。桜子も思い切って話しかけてみてよかったって言っていたよ。元通り明るくなったし、毎日楽しそうに学校に行くようになったし。親としてもホッとした」
音弥の気安さに甘えて、圭介は前々から気になっていたことを聞いてみることにした。
「あのう……桜子さんの友達がどうして僕なんでしょうか。
藍田グループなんて大きな会社の娘で、こんな大きなお邸に住んで、誰よりもお嬢様のはずですよね? 僕より他の生徒の方が仲よくしてもいいはずなのに。
小学校も中学も公立に行っていて、高校も都立に行くつもりだったって」
「ああ」と、音弥は納得したように笑った。
「それは母親の影響でね。うちの子供たち、小さい頃から母親にくっついて児童養護施設で遊んだりしてたから、友達もそこにたくさんいて、同じ小学校に入りたがったんだよ。
特に桜子は特別扱いされるのを嫌がっていたから、変に社会の仕組みなんかわからない同世代の子供と一緒にいる方が居心地よかったんじゃないかな」
「それは……わかるような気がします。なら、金銭感覚なんかも他の子に合わせられるように、お嬢様っぽくならないようにしてきたんですか?」
「そっちは真面目に母親の教育方針。うち、質素倹約がモットーって、聞いてない?」
「慈善事業のためって聞いてますけど。確かにそういう事業に携わるお金持ちとか寄付する人はいると思いますけど、自分の家まで質素にする人はあまり聞いたことがなくて……」
「だよねえ」と、音弥もうんうんとうなずいた。
「桜子さんのお母さんはこの家に生まれて、お嬢様として育ってきた人なんですよね? で、婿養子に入ったお父さんが会社を引き継いだって聞いてますけど」
「おれが婿に入ったのは事実だけど、うちの奥さん、正確にはお嬢様育ちではないんだよ」
「どういう意味ですか?」
「うちの奥さん、3歳の時に児童養護施設に捨て子として置き去りにされたらしいんだ。まあ、こういう家だから、昔、ゴタゴタがあったらしい」
「遺産相続とかそういうのですか?」
圭介の頭にミステリーにはありがちな設定が浮かんで、思わず話を遮ってしまった。
「そんなところかな」と、音弥はそれ以上の詳しい話はしてくれなかったが。
「ともあれ、先代社長は行方を探していたらしいんだけど、ようやく見つかったのは彼女が16の時。そういうわけで10年以上、お嬢様とはかけ離れた生活をしていた人なんだよ」
意外な過去の話に、圭介はどうコメントしていいかわからず、ただ音弥が先を続けるのを聞いていた。
「まあ、もともとしっかりしてたし、頭のいい人だったから、施設の他の子供たちのために自分が先頭に立って、それこそ小学生の時から小金を稼いで回っていたらしい。中学も新聞配達しながら、少しでもみんなの生活の足しになるように頑張ったって。
けど、中学生がいくら頑張っても楽な生活ができるわけでもなし、高校に入るのも断念して働くしかなかったけど、やっぱり中卒では大した稼ぎの仕事にもつけない。
かなり悔しい思いをしたって言ってたな」
「もしかして、それで天城学園を創立したんですか?」
学習意欲さえあれば、親に負担をかけずに通える高校。
圭介が1番行きたいと思っていた学校だった。
「よく知ってるね。あれはうちの奥さんの1番の夢だったと思うよ。
もっとも、自分が苦労したからって、自分の子供まで苦労させる必要はないし、同じような境遇の子供たちと過ごす方がうちの子供たちにとっても居心地がいいかとも思ったんだけど。
結局、母親の考えが子供たちにも浸透してたってことだな」
桜子の母親の話、子供の頃の話を音弥の口から聞くのは不思議な気もしたが、圭介はいつの間にか最初の居心地の悪さも忘れて、音弥の話に耳を傾けていた。
(……あれ? でも、おれ、こんな話をしに来たんだっけ?)
そこまできてようやく、圭介は今日藍田音弥に会うことになったのは、桜子との交際を認めてもらうわけでもなく、ただ好奇心で藍田グループの総帥に会いに来たわけでもないということを思い出した。
雲の上の大物に会うということで、すっかりテンパっていたが、そもそもは桜子にかかった『呪い』の話から始まったことなのだ。
「お母さんの話は聞かせていただきましたけど、藍田社長ご自身は桜子さんの将来のことをどう考えているんですか?」
圭介の質問に対して、音弥は眉根を寄せて難しい顔をした。
「なんだか、仕事関係じゃない君に『社長』言われると変な感じだな。かといって、『お父さん』? それとも『おじさん』か? それはおれが絶対ヤダな。
あ、そうそう、うちの奥さんに間違っても『オバサン』言っちゃダメだよ。足蹴り飛んでくるから」
「うーん」と呼び方一つに悩んでいる藍田音弥は、どうにも理解に苦しむ人物だった。
(いろいろなことを即決しそうな人なのに、どうでもいいことにこだわる人なのか?)
「……では、なんと呼べば?」
「『華さん』かな。あれで若い男の子が好きなんだよ。そう呼ばれれば喜ぶんじゃないかな」
圭介は「奥さんの話はしてないですけど!?」と、思わず突っ込みたくなるのを抑えた。
「ちなみにあなたのことは……?」
「桜子と付き合いたいと思ってるなら、『お父さん』でいいよ」
圭介は一瞬にして胸を射抜かれたような気がした。
桜子の将来について質問したのは自分の方だというのに、目の前の人物をどう呼ぶかで、圭介が桜子に対してどう思っているのか、白状させられてしまう。
返答に迷っている時間さえカウントされ、心の迷いの程度すらもすべて明らかにされるような気がした。
(この人との会話は、油断できないんだ)
圭介はゴクリと息を飲んで、気を引き締めた。
「僕みたいな人間が桜子さんに近づくこと、内心では快く思っていないんじゃないですか?」
音弥は頬杖をついて、面白そうにほんのりと目を細めた。
「君の育った環境について『僕みたいな人間』と言っているのなら、違うと答える。でも、君の人となりについて言っているのであれば、正直、君は今日会ったばかりだから、返答は今すぐというわけにはいかない」
(うまくはぐらかされたのか? いや……)
音弥は少なくとも圭介の家柄については問題ないと答えている。
どう逆立ちしても変えることのできないことを問題としないというならば、遠慮はいらない。
圭介自身が桜子に好かれるような人間になればいいということだ。
「そういうことなら、あえて『お父さん』と呼ばせてもらいます」
圭介ははっきりと宣言した。
次話で桜子が『高嶺の花』である理由がわかります!




