11話 今は崖っぷちにいます
本日(2023/04/25)は、二話投稿します。
彬視点です。
彬は誰もいない家に帰って、勝手口の電気をつけた。
しんと静まり返っている巨大な屋敷は気味が悪い。小さい頃は暗くなってから正面玄関の方まで行くのが、怖くてしょうがなかったものだ。
廊下の明かりをつけ、自分の部屋に入る。
神泉家からここまでの間の記憶があまりない。タクシーで帰ってきただけなのだが、クリスマスの夜で人がいっぱいいたのか、街はにぎやかだったのか、全然思い出せない。
わずかな希望にすがって生きているだけの今、周りのことなどどうでもよかった。
(ああ、死活問題って感じか)
他のことなどに構っていられない。崖っぷちに立って、一筋の光が差しただけ。まだ崖っぷちにいることには違いない。
部屋着に着替えてベッドに転がった。
こんな時、静かだと余計にこたえる。
うるさい薫子でもいて、ぎゃあぎゃあ騒いでいてくれれば、気がまぎれるというのに。
でないと、後悔ばかりがぐるぐると回り、気が狂いそうになる。
身体も心も疲れていた。
裁定が下るのはいつのことなのだろう。
これからも今までのように会えるのか、それとも二度と会えなくなってしまうのか。
それを判断するには妃那の父親という人を知らない。
そのままいつの間にか眠ってしまったのか、勝手口が開かれる音にはっと目を開いた。
スマホを取り上げると、9時半を示している。
パーティが終わって、薫子が帰ってきたのかもしれない。桜子は圭介と一緒だ。
パーティなんて嫌いだと言っていた桜子は、いつも支度は適当で、面倒くさそうに出かけることが多かった。
もとのいい桜子は、結局のところ、それでも充分美しく華やかで、高貴に見えたのだが。
それなのに、今日は薫子と相談しながら、下着から何からすべてに完璧を求めていた。
薫子いわく、『ダーリンを悩殺作戦』だそうだ。
パーティの後、二人が一緒に熱い夜を過ごすためのスパイスをたっぷり効かせていた。
そうやって仕上がった桜子はいつになく色っぽかった。
下品にならない程度に肌を露出し、きれいな身体のラインが強調されるドレス。
窮屈そうに押し上げられた胸も、なだらかな腰のライン、スリットからのぞく足も、久しぶりに彬の本能を直撃してきた。
このすべてを味わい尽くせるのはたった一人。桜子がここまでしてでも、ドキドキさせたいと思う相手。
そんな相手に会うから、パーティも気合いが入る。
好きな人との初めてのクリスマスは、絶対に失敗できないと全力を尽くす。
ここまで想われる圭介がうらやましくて、憎らしくて、なのにどうしても嫌いになれない。
貴頼とは違うのだ。
相手より優位に立てるのなら、立てる可能性があるのなら、努力で何とかする。
でも、人間的に欠けている部分は、努力だけで済むものではない。
それを天性というのだと思う。うらやましいと思う意外にできることがないのだ。
せっかく一回妃那を抱いて、そんな気持ちもおさまったはずなのに、さらに続いた事件は悲劇としか思えない。
何もかもが悪い方向に向いていく日。最後に残ったのは一縷の望み――。
どうも廊下が騒がしい。薫子が一人で帰って来たにしては、話し声が聞こえる。
それから少しして、ドアがコンコンとノックされ、返事をするまもなくドアは開いた。
薫子が怒った顔をのぞかせる。
「彬くん、帰ってたの!? ……て、本当に具合悪かったの!?」
薫子があわてたように飛んできて、ベッドの横に座った。
(ああ、体調が悪くて帰ったことになってるのか。なら、なんで僕が家にいて、驚いてるんだ?)
「カゼ?」
薫子は心配そうな顔で彬の額に手を置く。
「疲れてるだけだよ。人ごみに酔ったっていうか……。パーティ、久しぶりだったし、思ったより人も多かったし」
「熱はないみたいだけど、青い顔してるよ。何かあったかいものでも飲む?」
そういえば、昼から飲まず食わずだ。パーティでも食事にありついていない。
「……ああ、いいかも。あったかいお茶とか。お腹にやさしい奴」
「うん、じゃあ、すぐ用意してくるね」
薫子は弱い者にはやさしい。普段はうるさいし、嫌味や皮肉をバンバン飛ばすくせに、こういう時はころっと態度を変える。
基本的にはかわいい妹なのだ。
しばらくして薫子がハーブティを運んできてくれて、それを飲むために起き上がった。
ふうふうして一口飲むと、お腹の中がじんわりと温かくなる。ハーブのやさしい香りもすさんだ気持ちを少し和らげてくれるようだ。
「なんか、にぎやかだったけど、父さんたちも帰ってきたの?」
「なに言ってるの。お父さんたちは朝まで帰ってこないって言ってたじゃない」
「じゃあ……」
「そう、桜ちゃんと帰ってきたのー」
薫子はむすっとした顔で答える。その顔は『せっかく準備したのに』という不満が、充分に読み取れるものだった。
「え、なんで……? 圭介さんとケンカでもしたとか?」
「それ、彬くんが聞くかなー?」と、薫子の眉が吊り上がる。
「もしかして……僕のせい?」
「妃那さんと何かあったんじゃないの? ダーリンは『家のゴタゴタ』で、桜ちゃんとデートどころじゃなくなったんだけどー?」
彬は「うっ」と言葉に詰まった。
(明らかに僕のせいだ……)
「てっきり二人でパーティを抜け出して、楽しいことでもしているのかと思ってたんだけど。それがあっちの親にバレそうになって、ダーリンがフォローしなくちゃいけない状況になったとか」
「……当たらずとも遠からずってところで」
彬は答えながら、再び頭が重くなるのを感じた。
「せっかくのデートを台無しにしてくれた彬くんには、天誅を下そうと思ってたんだけど、そこまで落ち込んでいるところを見ると、さすがにねえ」
「姉さんと圭介さんには悪いことしちゃったね……」
薫子は眉間のしわを消して、小さくため息をついた。
「事情、ちょっとは知ってるし、話して楽になるなら、あたしが聞いてあげるよ?」
「……今はいい。まだわかんないから」
「何が?」
「どうなるか」
「わかった。後で話したくなったら、いつでも呼んで」
「ありがと」
薫子は静かに部屋を出ていった。
*** ここから圭介視点です ***
(さて、妃那の様子を見に行かないとな……)
桜子と薫子を見送った後、圭介はプレゼントのマフラーを置きに、いったん自分の部屋に寄った。
――が、ドアを開けて中に入ったと同時に、ドンと腰のあたりに衝撃があった。
「圭介! 待っていたのよ!」
見下ろすと妃那が腰に抱きついている。
「どうした!?」
何かあったのかと冷や汗が噴き出たが、顔を上げた妃那は満面の笑顔だった。
さっきまで泣いていたのがウソのようだ。
「ねえ、素晴らしいニュースを聞いて! お父様が許してくれたの。わたしたち、これからは隠さずにセックスできるのよ!」
相変わらずな物言いの妃那にあきれながらも、この『素晴らしいニュース』は間違いなく、圭介にとってもうれしいことだった。
しかも、圭介が間に入る必要もなく、妃那が自分自身で父親を説得できたのだ。
「よかったな」と、圭介も笑顔で妃那の頭をなでてやりながらも、内心ぼやくのは止められなかった。
(この報告、もう少し早く聞きたかった! 桜子を帰さずにすんだのに!)
タイミングが悪い。そのひと言に尽きる。
桜子と二人っきりで朝まで過ごすクリスマス――何よりもほしかったプレゼントだったのに、サンタクロースは置き忘れて行ってしまったようだ。
次話は、彬がこの朗報を聞く番になります。
よろしければ、続けてどうぞ!




