20話 このモヤモヤは何?
この話は桜子視点になります。
なんだか、自分の名前を何度も呼ばれているような気がする。
ぼんやりとする頭の中で、桜子はそんなことを思った。
「桜子さん、大丈夫?」
桜子が我に返って声のする方に顔を向けると、クラスメートの葛城杏奈が目の前に立っていた。
「あ、うん、大丈夫」
そう返事をしながら辺りを見回すと、桜子はシャンデリアのかかった豪華なダイニングテーブルに座っていることに気づいた。
(ここ、どこ?)
「それで、お茶でいい? コーヒーの方がいい?」
「あ、ええと、お茶でお願いします」
どうも学校を出てからの記憶が飛んでいるらしい。
桜子は目を覚ますようにプルっと頭を振った。
放課後、いつも通りクラスの女子たちに車で送らせてと誘われたのは覚えていた。
確か、その中でお勧めのマカロンでお茶をしようと言ってきた杏奈の家の車で送ってもらうことにしたのだ。
どこかのカフェに行くのかと思いきや、連れてこられたのは杏奈の自宅。プール付きのモダンな大豪邸。建てたばかりのところを見ると、成金という話は本当らしい。
玄関に入るやメイドに出迎えられ、あれよあれよという間に、このダイニングに案内されたのだ。
(……ていうか、あたし、なんで送ってもらうことになんてしたの?)
そういえば、午後の授業もあまり思い出せない。
(もしかして、体調悪い?)
さらに過去までさかのぼってみると、頭が半分真っ白になったのは昼休みのトイレでクラスの女子たちと会った時だった。
「桜子さんはもちろん知ってたわよね。妹さん、瀬名くんに告白したんですって」
「瀬名くんもオーケーして、青蘭始まって以来の格差カップル誕生」
「雲泥の差でしょー?」
――などという寝耳に水な話が、立て続けに桜子の耳に飛び込んできたのだ。
(でも、どうして? 薫子、あたしにそんなこと一言も言ってなかったよ。
男の子に興味ないって言ってたのに、本当は圭介が好きだったの?)
聞きたいことがいっぱいあるのだから、一緒に帰りながら話を聞けばよかったのに、なぜか杏奈に送ってもらうことにしてしまった。
桜子自身は呪いのせいでカレシを作らないと決めているが、妹には普通に恋をしてほしいと思っている。
だから、初めてカレシができた薫子の成長を喜んであげるべきところだ。
なのに、素直に喜べない。
薫子が自分の気持ちを隠していたことが気に入らないのか、それとも、その相手が圭介だからなのか。
圭介は今まで友達として付き合ってきて、話しやすく一緒にいて居心地のいい人間だということはわかっている。だから、妹のカレシになっても反対する理由はない。
(じゃあ、なんで? なんで、こんなにモヤモヤしてるの?)
「桜子さん、本当に大丈夫? さっきから、ぼんやりしているみたいだけど……」
杏奈の声が聞こえて、桜子は再び現実に戻った。
目の前のことにまったく集中できない。こんなことは初めてだった。
「やっぱり気分がよくないみたい。今日は帰るわ。せっかく誘ってくれたのに、本当にごめんなさい」
「ううん、こっちこそ。無理させちゃって、ごめんなさい。運転手に家まで送らせるから、乗っていって」
「ありがとう。埋め合わせは必ずするわ」
「そんなこと気にしないで」と、杏奈は朗らかに笑った。
杏奈の好意を台無しにしてしまい、桜子は罪悪感を覚えながら玄関の前に停まっている車まで送ってもらった。
「これ、今日食べようと思っていたマカロン。まだ日持ちすると思うから、気分がよくなった時にでも食べて」
そう言って、杏奈は車に乗った桜子にパステルブルーのおしゃれな箱を渡してくる。
「え、悪いわ。杏奈さんが好きなものなんでしょう?」
「だから、桜子さんにも気に入ってもらえたらうれしいの。ぜひ味見してみて」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて。また、明日ね」
「うん。今日はゆっくり休んで」
笑顔で見送られながら桜子は軽く手を振り返し、動き出した車とともに後部座席に沈み込んだ。
(……あたし、なんか、変だ)
桜子が自宅に着いて茶の間に行くと、すでに帰っていた薫子がアイスキャンディーを片手にテレビを見ていた。
「あ、お帰りー、桜ちゃん」と、薫子が振り返る。
「ただいま」
「あー!お土産!?」
薫子は桜子の手にしていた箱を目ざとく見つけ、返事を待つ間もなく取り上げる。
「マカロンだって」
「桜ちゃん、これ、この間テレビで特集してたお店だよね。覚えてる? パリに本店があって、日本1号店がつい最近オープンしたって」
薫子の高いテンションに比べ、桜子はどうしてか一緒になってはしゃぐ気分にはなれなかった。
「あ、うん、覚えてる。1個500円とか言ってたっけ」
「そうそう。500円出すなら、どこに入ったかわかんないちっちゃいマカロンより、ファミレスのパフェの方がいいよねーって笑ってたじゃん」
薫子に言われて、桜子はもらった箱の価値に初めて気づいた。箱の中には最低でも20個はマカロンが入っているのだ。
「……しまった。そんな高いものをうっかりもらってしまったー!」と、桜子は頭を抱えた。
「珍しいねー。桜ちゃんが貢ぎ物を受け取るなんて」
ボケボケしていたとはいえ、薫子の言う通りだ。
桜子は母親の怒り顔を想像しながら、ぶるっと身震いした。
藍田家には『特別な日以外、よそ様から物をもらってはいけない』という教育方針がある。
日本には何かをもらった以上、お返しをしなければならないという風習があるせいだ。
贈り物の意味が『お父様とお母様によろしく』程度ならまだいいが、『1度会わせてもらえないか』だの『仕事で助けてほしいことがある』などという下心が入っていると、もらう物以上に代償が高くつくことがあったりする。
そんなわけで、桜子たち兄弟は親たちの迷惑にならないように、『貢ぎ物』には細心の注意を払っているのだ。
「……こ、これはきっと大丈夫よ。お茶に呼ばれたんだけど、あんまり気乗りしなくて、やっぱ帰るって言ったら、持たせてくれただけだから」
「それも珍しいねー。桜ちゃんがお茶にお呼ばれなんて」
「あんたのせいでしょうが!」
思わず叫んで、桜子の方がびっくりした。
「あたしのせい? どうして?」
きょとんと目を丸くする薫子に、桜子はいたたまれない気持ちになる。
「……ごめん、薫子のせいじゃない。圭介に二人で帰るように言ったのは、あたしなんだから」
「別に遠慮することないのにー。それとも、あたしが瀬名さんと仲良しているのを見るのが嫌だったりする?」
薫子の無邪気な質問に、桜子の胸はチクチクする。
「……そんなことないよ。ほら、せっかくカレシできたのに、邪魔したら悪いと思って。薫子だって、二人の方がいいんじゃない?」
「うーん、それはどうかなー」と、薫子はかわいらしく小首を傾げる。
「あたしは周りに人がいようと、手をつないだりとかチューしたりとか、全然気にならないからなあ。別に二人きりになる必要はないんだけど」
「あんたは気にならないけど、見てる方が気になるじゃない」
「でも、お父さんとお母さん、毎朝チューしてるの見ても、何とも思わないでしょ?」
「……それは、見慣れてるし」
「じゃあ、あたしと瀬名さんがチューしてるのも、そのうち見慣れるよ」
薫子があまりに当たり前のように言うので、桜子は恐る恐る聞いてみた。
「……その、もうしたの? 今日、告白したところなのに?」
「気になるの?」
「気になる……のかな。やっぱいい。妹の恋路に口出すべきじゃないよね。圭介がいい人だからって、あんまりわがまま言って迷惑かけないでよ。言いたいのはそれだけ」
桜子がまとまりのつかない頭をかきむしりながら部屋を出ようとすると、薫子に呼び止められた。
「桜ちゃん、忠告するのが遅いよぅ」
「何が?」
桜子が振り返ると、薫子は「お先に1個、いただきー」と、箱の中のマカロンをつまみ食いしているところだった。
「瀬名さんにはもうわがまま言って、多大な迷惑かけちゃったもーん」
「何したのよ!?」
「あたしのカレシになってって」
「それで、無理やり付き合ってもらったのっ?」
「ううん。正確には男の子除けにカレシのフリ。瀬名さんがかまわないよって言ってくれたから、今日、みんなの前で告白したの」
桜子は全身から力が抜けてしまったかのように、その場に座り込んだ。
(カレシのフリって……。本当に二人が付き合い始めたって信じたあたしって……)
「そんなこと、あたしに黙って、いつ圭介に頼んだのよ?」
「いつって言われても、ただの思い付きだったから、今日のお昼休みかなあ」
「思い付きなの?」
「実は今朝、また下駄箱に手紙が入ってて、放課後に呼び出し。いちいち告白聞きに行くのは面倒だなーって思ってたところだったの。
で、お昼休み、中等部に戻ろうとしたら、瀬名さんにばったり会ったから、ちょうどいいなーって思って、かわいくお願いしてみました」
薫子はそれこそかわいくニコっと笑ってみせた。
「どういう理由で、圭介があんたの都合に巻き込まれなくちゃならないのよ? 普通に迷惑でしょ?」
「でも、『いいよ』って言ってくれたから、それほど迷惑じゃないってことでしょ?」
「普通に考えて迷惑でしょうが。だいたい、薫子、圭介の学校での立場わかってる?
ただでさえ家庭のことでイジメにあってるのに、あんたのカレシになんてなったら、輪をかけてやっかまれて、圭介もさらに居心地悪くなるでしょうが」
「別に大丈夫じゃない? 桜ちゃんがいるんだから」
「薫子、自分の面倒を全部、圭介とあたしに押し付ける気?」
「だってえ」と、薫子はぷうっとふくれる。
「告白を聞くのは、好かれた側の義務でしょうが。たとえ付き合うことはできなくても、好意を持ってくれた相手には、誠心誠意で答えるべきじゃないの?」
「そりゃ、桜ちゃんは呪いのおかげでわかんないかもしれないけど、断るってことはそのたびに相手のがっかりする顔を見なくちゃいけないんだよ。
せっかく自分に好意を持ってくれる相手にひどい仕打ちするの、もう嫌なの。
カレシができたって知れば、わざわざ告白してくる人も減るから、あたしも面と向かってがっかりさせるようなこと言わずに済むし、一石二鳥じゃない?」
「それはそうかもしれないけど……」
「かといって、こんなことはクラスの男子とかには頼めないでしょ?
カレシのフリをいいことにベタベタくっつかれても困るし、勝手に話を作って、なし崩し的に本当のカレシになろうとしたりとか。
その点、瀬名さんなら、ちゃんとフリだけしてくれるもん」
「そんなのわかんないじゃない。カレシのフリするってことは、一緒にいる時間が増えるってことでしょ? あんたのことが好きになって、いずれは付き合いたくなるかもしれないじゃない」
「んー、ないと思うよ」
「どうして言い切れるのよ?」
「だって、瀬名さんに会うとしたら、基本的に桜ちゃんと一緒の時だから。そうしたら、瀬名さんは桜ちゃんと一緒の時間の方が多いわけでしょ?
時間で好きになるなら、『あたしと桜ちゃん、どっち?』って聞けば、百万人が百万人、みーんな桜ちゃんだって言うよ。
桜ちゃんがなんて言ったって、最高なんだから」
「まったくもう……」
相変わらず姉離れをしない薫子に、桜子はうれしさ半分、呆れ半分のため息が出た。
「そもそも桜ちゃんを放っておいて、あたしの方がいいなんて言う人、全然興味ないもん。そういう人に限って、呪いがどうとかいって、手っ取り早く逆玉乗ろうとしてる人なんだよ」
「あたしの『呪い』のせいで、薫子にまで迷惑かけてたんだね。今まで気づかなくてごめん」
「だから、桜ちゃんもちょっと協力してね。瀬名さんに何かあった時はよろしく」
「そういうことなら、一応、納得しておくけどー」と、桜子はしぶしぶながらも納得するしかなかった。
「桜ちゃん、ほんと、人を見る目あるよね。あたし、けっこう好きだよ、瀬名さん。友達になれてよかったね」
桜子は笑顔で「うん」と答えながら、『友達』の一言に妙な引っ掛かりを覚えた。
そして、「こら!」と、もう一つマカロンをつまもうとしている薫子から箱を奪った。
「もう、1個食べたでしょ?」
「えー、こんなにいっぱいあるなら、早く食べないと痛んじゃうよ」
「ダーメ。アイスも食べて、おやつの食べ過ぎ。これは夕食の後まで、あたしが預かっておきます」
「うー。日本限定のゆず味、あたしがキープだからね。約束だよ?」
桜子は箱をのぞいてみたが、ゆず味がどれなのかわかるわけもない。「はいはい」と、適当に返事をしておいた。
次話、ちょっとしたハプニングが……。