9話 おい、あっさり認めるなよ
『お礼、奮発する気になってくれた?』
帰り道の車の中、圭介のスマホに薫子からそんなメッセージが届く。
薫子がいろいろ準備してくれたおかげで、桜子とゆっくりとまではいかないが、二人きりの時間を過ごすことができた。
抱きしめて、キスもできた。
薫子には感謝しかない。
『なった。それで、何が欲しいんだ?』
『クリスマスにどどーんと1発返しにしてもらいまーす。覚悟しておいてね』
これからクリスマスまであと2か月弱。
その間にどれだけお礼がかさむのだろうと思ったが、今となってはこづかいに困ることはないので、『了解』と返しておいた。
「桜子から?」と、隣に座っていた妃那が聞いてくる。
「いや。薫子から」
「薫子ともやりとりしているの?」と、妃那はどこかむっとしたように眉根を寄せる。
「時々。用事のある時とか」
「薫子相手にずいぶん楽しそうね」
「あいつ、面白いしな。相手していてあきないよ」
「嫌な奴なのに」
「薫子はいい奴だよ。おまえにもそのうちわかる。彬も嫌な奴だって最初言ってたのに、頻繁に会ってるんだろ?」
「やっぱり圭介、知っていたのね」
確信はなかったのでかまをかけたつもりだったのだが、あっさりと認められて、圭介の方が愕然としてしまった。
「マジで?」
「知っていたのではないの?」
「いや、なんとなくそうかな、くらいで……ていうか、おまえら付き合ってるのか?」
「恋人同士か、という意味なら違うわ」
「じゃあ、会って何してるんだ? どっか遊びに行ったりとか?」
「性欲発散しているだけよ」
圭介は言葉を失ってしばらくポカンとしてしまった。
「ええと、おまえはそのつもりでも、向こうは? 好き好き言ってこられて、おまえが相手してやってるとか?」
「向こうも同じよ。お互い都合よく性欲発散しているの。しいていうなら、セックスフレンドというものね」
妃那はともかく真面目な彬がそんな関係を簡単に受け入れるとは思えない。
(ていうか、相手は年下の、しかも中学生だぞ!)
「ええー……。ちょっと待ってくれ。それ、ものすごく不健全な関係じゃないか。いったいなんでそんなことに……」
頭を抱える事態に、圭介は真面目に頭を抱えた。
「圭介が相手してくれないからよ」
「それは無理ってもので……」
「だから、都合がいいでしょう?」
「相手は誰でもよかったのか?」
「きちんと選んだつもりだけれど」
「相手は彬だけなのか?」
「そうよ。他に探す理由もないし、わたしは満足しているわ」
「てことは、彬のことが好きなのか?」
「嫌いではないわ。嫌いな相手では顔を見るのもイヤでしょう?」
「……おれには理解の範疇を超えているんだけど。
ええと、そうやって何度も会っているうちに、好きになったりしないのか?」
「わたしが好きなのは圭介だもの。好きになるはずないでしょう」と、妃那は相変わらずの無表情であっさりと答える。
「やっぱりおれには理解できん……」
「当然だと思うわ。圭介は好きな相手としかしないと言っているんだもの。世の中には好きではなくても、愛してなくても身体の関係を持つ人はいるのよ」
妃那のその一言は、圭介には重く響いた。
妃那にとってこれは一般論ではない。
自身の経験からくる言葉だった。
すべての原因は、血のつながった兄である葵との関係だ。
葵に愛されていたわけではないと知った時、妃那はそれまでの性的関係にも愛はなかったと判断したに違いない。
そうではないと否定するだけの材料は、圭介にもない。
実際、客観的に考えても、葵が妹を性のおもちゃにしていたという方が正しいと思う。
だから、妃那は愛がなくても男に抱かれることに疑問を持たない。
それどころか、当たり前だと思ってしまってもおかしくない。
今のところ、愛のある性的関係を築けるだろう唯一の相手である圭介では、どうしてやることもできない。
彬との不健全な関係のおかげで、圭介とは健全な関係になったのがどうにも皮肉だ。
ここのところずっと妃那は迫ってこないし、圭介にとってはかわいい妹になっている。
性的な関係を求められなければ、いくらでもかわいがってやれる。
それは圭介にとっても望むところだ。
それに、もしかしたら彬との関係が続いていく中で、妃那の気持ちに変化が起きるかもしれない。
圭介にはできないことも、彬なら妃那に気づかせてやれるかもしれない。
そこに期待してみたくなる。
「じゃあ、まあ、あんまり彬に迷惑かけないようにな」
「意外ね。もっと反対されるかと思っていたわ」
「それがいい関係だとは言わないけど、少なくとも葵がおまえにしてきたことと、彬がおまえにすることは違うと思うから。……いや、まさか、彬の前でも人形になったりしないよな?」
その可能性を考えていなかったので、あわてて確認してみた。
「いいえ」と、妃那が首を振るので、ほっとする。
「わたしは彬が望むなら声を出すつもりはなかったけれど、彬は出してと言うから、わたしは好きにしているわ。どうしてほしいか聞いてくるから、ああしてこうしてと言うし。
お兄様はわたしのしてほしいことなど聞いてこなかったから、最初は戸惑ったけれど」
「今は違うんだろ?」
「そうね。最初の頃、わたしもお兄様を思い出して、彬に同じことをさせていたのだけれど、そんな風に彬に聞かれているうちにどんどんよくなって、お兄様に抱かれていた時より、ずっと心地いいわ」
葵を思い出して眠れないと言っていた夜、妃那は人に会っていたと言っていた。
その相手は彬で、それが最初だったのかもしれない。
身体に刻み込まれた記憶が消せないと、落ち込んでいた。
思い返してみれば、圭介は慰めるために見当はずれなことを言っていたような気がしないでもない。
今は彬のおかげで、少なくとも妃那は葵に触れられた記憶を忘れることができているように見える。
これからも思い出すことはあるかもしれない。
それでも、その度につらい記憶を消してくれる相手がいる。
それは圭介ではしてやれないことだった。
一般的には不健全な関係かもしれないが、今のところ妃那にとって必要な関係なのかもしれない。
「それなら、よかった」と、圭介はほっと息をついた。
「そういうものなのかしら?」と、妃那は不思議そうな顔で首を傾げる。
「それが普通なんだって。そもそも反応のない相手とするのはおかしいんだよ。二人で楽しむものだろ? 片方だけ好きなことをしてもらうなんて間違ってる。
だから、おまえが彬とある意味普通の性的関係にあるっていうのなら、今までに比べたら健全だってこと。
彬がどうしてこんな関係を甘んじて受けているのか正直わからないところだけど、おまえにとってはよかったんじゃないかと思うよ」
妃那はうれしそうにコクンとうなずいて、腕に絡みついてきた。
「圭介はやっぱりやさしいわ。大好きよ」
妃那は気づいているのだろうか。
そんな風に幸せそうな顔をできるのは、彬の存在があるからなのだと。
気づいていないのなら、いつか気付いてほしいと思いながら、妃那の頭をなでてやった。
「あ、圭介。このことは彬のために桜子には言わないでちょうだい。薫子は知っているみたいだけれど」
「さすがに桜子には言えんな……」
桜子には秘密を持ちたくないが、自分のことではないので仕方ないと自分に言い聞かせた。
次話、王太子のお供で東京見物に出かけていった桜子の話になります。




