3話 言葉が通じません
前話からの続きの場面です。
藍田グループ系列のホテルの大広間――。
ラステニア王国からやってきたセレン王太子は、桜子の目の前に立って、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべている。
「僕は焦って君を妃と望んだけれど、君のお父上に言われた通りにしてよかったよ。
形から入る前に、愛を深める方が先だと。
この滞在の間、君が身も心も僕のものになりたいと望んで妃になってくれる方が僕もうれしい」
(それは、結婚を断っても取引をするための口実だったんだけど?)
桜子としてははっきりそう言いたいところだったが、会社での父親の立場を悪くするわけにはいかない。
そもそもこの問題をビジネスから切り離して考えられるように、父親が条件を変えてくれたのだ。
(うん、だから、あたしが断れば済む話なんだよ)
「殿下、はっきり申し上げますが、わたしは求婚を受けたつもりはございません」
「そんなに照れなくてもいいよ。……ああ、それとも王太子妃――いずれ国王の妃になるには分不相応などと思っているのかな?
怖がらなくてもいい。君は立派に国王の妻として、国民から慕われる妃になれるだろう」
「殿下? わたし、とっくの昔に求婚はお断りしたはずですけれど、お忘れですか?」
「いや、断ってなどいないよ」と、王太子はとぼけているようにも見えない。
「……わたしの記憶違いかしら? たしか、ハーレムに入れてくださるとおっしゃられて、お断りすると申し上げたはずですけれど」
なにせ昔のことなので、正しく記憶されていないのかもしれない。
「その通り。君は君だけを妻にしてくれる人でないとイヤだと言っていた。つまり、君だけを妻にしてくれという意味だろう?
だから、一夫多妻制を廃止して、君だけを妻に迎えられるように僕はきちんと準備してきた。これで心置きなく僕の妃になれる」
桜子はグラリと倒れそうになった。
(この人、普通の思考回路を持ってないの? それとも、王太子だから?)
桜子は遠回しに言っても通じないことに気づき、回りくどいことはやめた。
「殿下、わたしは求婚をお断りすると申し上げているのです。理由は将来を決めた恋人がいるからです。わたしはすでに身……はともかく、心はその人のものです」
本当ならばここで『身も心も』と言えるはずだった。
(やっぱり、『心』だけだと弱い気がするー!)
王太子相手に婚約を確実に拒否するためにも、圭介とはきちんと深い関係になっておいた方がいいと、薫子には勧められていた。
『ヒナちゃん攻略法』改め『王太子攻略法 その1』、だそうだ。
正直、桜子としてはそんなことが切り札になるとは思えない。
しかし、薫子の提案がなくても、圭介ともう一歩進んだ関係になりたいと心の底で思っていたので、その気になったのだ。
そして昨日、圭介が家に来ることになった時、チャンスはやってきた。
薫子も積極的に協力してくれる。
(けっこう勇気がいることだったのに……)
すでに2回、自分から誘って断られている。
3回目こそは失敗したくないという思いで臨んで、圭介もその気になってくれた。
にもかかわらず、まさかの両親の突然の帰宅。
中断せざるをえなかった。
(それもこれも、この人が突然日本に来たからだよね!?)
文句を言いたいところだが、手続きなどでモタモタしている余裕がないくらいに、王太子がラステニアにいるのは危険な状態だったらしい。
彼は来日が決まってすぐに飛行機に飛び乗ってやってきたという。
おかげでこうして今、桜子は『身』の準備ができないままに彼の前に立つことになってしまった。
(ウソでも言えばよかった? でも、そういうのはすぐにバレるって、薫子が言ってたし……)
やはり攻略しておけば、こんなことにならなかったのかもしれないと思うと、後悔先に立たずだ。
王太子は真剣な顔で桜子の言葉を聞いていたが、やがて「うん」と納得したようにうなずいた。
「そうか。よくわかったよ、桜子」
(あら、攻略してなくても、すんなりいきそう?)
桜子はほっとして笑みを浮かべたのだが、王太子の言葉はまだ続いていた。
「お父上の言っていた意味が」
「はい?」
「幼い頃の約束など、時がたてば忘れてしまうもの。10年も離れて会うこともなかったら、それも仕方ない。
君には君の生活があって、出会いがあって、年頃になれば恋もする。だから、僕はもう1度君と会って、君の気持ちを取り戻さなければならなかったんだ。
大丈夫。時間をかけてゆっくり僕と過ごせば、その辺りのチンケな男のことなどすぐに忘れるよ。
幸い無期限の滞在で、時間はたっぷりある。そして、国が落ち着いた暁には一緒に帰国して結婚しよう」
(圭介のことを知らないくせに、『チンケな男』って勝手に決めつけて……!)
さすがの桜子もこれは貼り付けている笑顔がはがれそうになる。
「殿下はわたしがそういうチンケな男に惹かれるような女だ、とでもおっしゃりたいのかしら?」
今にもキレそうな桜子に対して、王太子はハハハと軽やかに笑う。
「まさか。僕は君のそういう謙虚なところも魅力的だと思っているよ」
「謙虚? どこがです?」と、桜子の眉が上がってしまう。
「君は自分の価値をわかっていないんだ。だから、その辺の男でちょうどいいなどと思ってしまう。
しかし、それは過小評価だ。もっと自信を持っていい。僕とは釣り合わないなどとためらう必要はない。
なんといっても、君は僕をひと目で夢中にさせるほどの魅力を持っているのだからね。君ほど妃にふさわしい女性はいないんだよ」
(言葉が通じてないようなんですけど? 日本語じゃなくて英語だったら、もうちょっと会話が成立する?)
「殿下、わたしは価値がどうとか、釣り合いがどうのとかの話をしているのではございません。気持ちについて話しているのです。
わたしが好きなのは彼であって、あなたではありません、と申し上げているんです」
「もちろん、今現在の話ということで、よくわかっているよ。これからは僕がそばにいる。君の気持ちが変わる日も遠くないはずだ」
「変わるわけないでしょうが!」と、桜子は笑顔をかなぐり捨てて、思わず叫んでいた。
「圭介はわたしが選んだ男なの! この藍田を継ぐわたしが後継者にと望んだ男なの! あなたなんかと比べ物になるはずがないでしょうが!」
先ほどまで談笑の声でざわめいていた会場が、桜子の怒鳴り声でシーンと静まり返ってしまった。
次話もこの場面が続きます。
桜子、どうなる?
 




