14話 このアウェイ感には耐えられない
薫子が急にいなくなったせいで、8畳の居間は妙にシーンと静まり返ってしまう。
(べ、別に、さっきの続きみたいに話をすればいいだけのことだよな!?)
とはいえ、頭の中はこの二人っきりという状況にイロイロ期待してしまうのは止められない。
桜子と好き合っていることは確信している。
こまごまとした問題も一応片付いた。
付き合っている相手と、一歩進んだ関係になってもおかしくはない。
(一応、今まで2回くらいそういうチャンスがなかったわけでもないし……)
桜子もそのつもりになっているのだろうかと、改めて彼女を見ると、びくっとしたように目を見開いて、それから変な作り笑いをした。
「あ、ええと、よかったら昔のアルバムでも見る? ほら、前に来た時に話してたでしょ? 整理しておいたんだけど」
逃げたな、と思った。
きっと桜子の方も心の準備はできていないと見た。
それならそれで、普段通りに和やかに過ごせばいい。
「あ、うん。アルバム、見てみたいかも」と、圭介は頭を切り替えて言った。
「じゃあ、こっち。あたしの部屋に案内するね」
(桜子の部屋!? ここで見るんじゃないのか!?)
女子の部屋など入ったことがない。
自制心を保てるのか、正直なところ自信もない。
席を立つ桜子の後をフラフラとついて行ってしまうあたり、すでに自制心は皆無と言ってもよかった。
桜子の部屋はピンクで統一された、いかにも『女の子の部屋』といった感じだった。
白いレースのカーテンにピンクのフリルのついたベッドカバー。
勉強机にはパソコンと開いた教科書が広がっていた。
「変な部屋でしょ?」と、桜子がどこか恥ずかしそうに言う。
「え、変? どこが?」
「和室なのに無理やり洋室みたいにしたから」
「あ、そういえば……」
センターラグは引いてあるが、その周りは畳だ。
カーテンの裏もよく見れば障子がはまっている。
「洋室に憧れたんだけどねー。あ、座って」
小さなコーヒーテーブルの前に座ると、桜子は本棚の1番下から分厚いアルバムを取り出してきた。
隣に座ってアルバムを開いてくれる。
写真を見せながら、その時にあったことを語ってくれるのだが、動くたびに肩が触れ合って、ふんわりと甘いシャンプーの匂いが漂ってくる。
居間より狭い桜子の部屋は、そんな香りで息が詰まりそうだ。
頭がぼうっとして、桜子の声が遠くから聞こえてくるような気さえする。
「圭介?」
桜子に顔を覗き込まれて、圭介は我に返った。
「わ、悪い。なんか、緊張して上の空で……」
桜子は自分の部屋だから落ち着いていられるのかもしれないが、圭介からするとこのアウェイ感は耐えられそうもない。
圭介があたふたと言い訳すると、桜子は顔を真っ赤にして、そのまま身体を預けてきた。
「それはあたしも同じだから……」
(ええと……? これはまさかのオーケー・サインなのか!?)
そろそろと腕を伸ばして桜子の身体を抱きしめてみると、彼女の腕が背中に回るのを感じる。
圭介はこみ上げてくる興奮に任せて、勢いでその場に押し倒していた。
――と同時に、水をぶっかけられたかのように理性が戻ってくる。
「桜子、すまん……また今度でもいいか?」
「どうしたの?」と、至近距離で見える桜子の眉根が怪訝そうに寄せられる。
「こんなことになるとは思わず、ゴム持ってこなかった……」
(あともう少しだったのに……!)
そのもう少しの壁が厚かった。
自分のバカさ加減に悔しくて涙が出てきそうだ。
(カノジョができたくせに、どうしてお年頃の男の必需品を用意してこなかったんだ!?)
「圭介、その、大丈夫だから……」
「大丈夫って?」
「万が一の場合に備えて、ピル飲んでるから」
「……マジで?」
夢のような話に圭介はまじまじと桜子の顔を覗き込んでしまった。
桜子はうっすら赤い顔をそむけて、コクンとうなずく。
(お嬢様バンザイ……!)
「ええと、ここじゃなんだし、ベッドに行く?」
桜子のお誘いを断る理由はなかった。
ベッドに腰かけてぎこちないキスから、お互いに服を脱がせ合う。
一つ一つの動作がどれも初めてで、緊張しながらも違う興奮のドキドキが入り混じって、頭が爆発しそうだ。
交わす言葉もなく、こういう時に何を話していいのかもわからない。
桜子も真っ赤な顔で潤んだ瞳を向けてくるだけだ。
「……ほんとにいいのか?」
真っ白な下着姿を目の前にして、早く触りたいと気がはやりながらも確認せずにはいられなかった。
『何が?』と聞かれることなく桜子がうなずいてくれるので、もうなるようになれと、そのままベッドの上に押し倒した。
(これでおれもついに童貞卒業……!)
初めては好きな相手がいい、などと夢みたいなことを言っていたが、それがようやく叶う日が来た。
――と、感動している余裕などなく、頭は完全に本能の方に支配されていた。
にもかかわらず、どうして外の音が気になるのか。
誰もいないはずの家なのに、廊下の方から人の声と足音が聞こえてくる。
『……ほら、まだ時間あるしさあ』
『そこまではないんじゃない?』
『おれ、せっかく初便で行ったのに、そのままとんぼ返りだよ? ちょっとくらい二人の時間があっても許されていいと思うんだけど』
『もう、しょうがないわねえ』
『最悪、ちょっとくらい遅れたって大丈夫だって』
この男女の声はまぎれもなく、桜子の両親のものだ。
それに気づいた瞬間、圭介はがばっと起き上がっていた。
「お、おい、桜子。両親が帰ってきたんじゃないか?」
「え、ウソ。帰ってくるのは明日の夜だって言ってたのに」
そう言って、桜子も驚いたように身体を起こす。
圭介はあわててベッドから飛び降りて自分の服を取り上げたが、焦ってうまく着られない。
そうこうしているうちに、部屋のドアがノックされてしまった。
「じゃあ、子供たちに『ただいま』を言ってからね」
そう言う桜子母の声が間近で聞こえたと同時に、ドアが開かれてしまった。
圭介はかろうじてジーパンをはいたところで硬直した。
上半身は裸のまま。
桜子に至っては、ベッドの上で下着姿だ。
ドアの隙間から見えたのは、桜子そっくりな顔、そっくりな目。
相手も目を真ん丸にして固まっていた。
ようやくパチリと瞬きしたと思うと、「お邪魔しましたー」とドアはパタンと閉められた。
「さあさあ、音弥。早く部屋に行きましょう。なんだか興奮してきちゃったわ」
そんな声が続いて聞こえてきたが、圭介の頭は完全に真っ白だった。
「おれ、親のいない間に女の家に上がり込む不届きな男だって思われた……」
全身から力が抜けて、圭介はくたくたとベッドに腰かけていた。
一方、桜子はというと、あっけらかんとしたものだ。
「別に気にすることないって。あたしたちが付き合ってることは知っているんだし。年頃なんだから、こういう関係もアリだってわかってるよ」
「けど、うすうす察するのと、実際に現場を見るのとは違うと思うけど……」
「気にしない、気にしない」と、桜子は手をひらひらさせて笑っている。
「おれ、これからどんな顔して会ったらいいんだ……?」
「普通に開き直って? 何もなかったのは確かなわけだし――」
ピロロン、と桜子のスマホが鳴る。
圭介は立ち上がって、コーヒーテーブルの上にあったそれを桜子に渡してやった。
「あ、お母さんからだ。お父さんには気づかれてないから、お母さんたちが出かけるまで部屋で静かにしていなさいって」
「ほら、やっぱりバレるとマズいんじゃないか! おれ、お父さんに殺される!?」
「さすがにそんなことするわけないって」と、桜子は笑ったが、ふと真顔になった。
「でも、お母さんがわざわざ隠したってことは、1発くらいは覚悟した方がいいのかな」
「未遂なのに……」
どうせ殴られるなら、事を終えた後であってほしかった。
(これは何かの陰謀か!? それとも呪いか!?)
3回目のチャンスもお流れに終わり、そう思わずにはいられなかった。
次話は第4章最終話、翌日日曜日の話になります。
桜子両親が急に帰って来た理由は次章で。




