10話 全部吐き出してスッキリした
圭介が源蔵の部屋に呼ばれたのは、この家に住み始めた頃、母親と一緒の時以来だ。
同じ家に住んでいても、行動時間が違うということもあって、源蔵と顔を合わせるのは朝食と夕食の席くらい。
まともに話をするのも久しぶりだ。
藤原に連れられて源蔵の部屋に行くと、そこには源蔵の他に智之もいた。
圭介は源蔵の向かいのソファに座るように言われたが、智之はその隣に立ったままだ。
(神泉家の当主とは並んで座らないのか? ……いや、まあ、この二人が並んで座って待ってても奇妙だろうけど)
「ええと、お話とは?」
圭介が座っても話を始めないので、自分から声をかけるしかなかった。
二人はチラリと目を見かわしてから、源蔵が話し始めた。
「圭介、本気で藍田の娘と結婚するつもりなのか?」
(やっぱりそっちの話か)
圭介はしっかりと源蔵に向き合って姿勢を正した。
「結婚なんてまだ先ですけど、将来を考えて付き合っています」
「藍田氏は経済界きっての曲者と言われている。
昨日味方でも今日は敵に回るような男だ。
すぐに正式な婚約をさせないということは、いずれおまえではない誰かを後継者にするつもりかもしれん。
藍田の人間を相手にするというのはそういうことなんだぞ」
「それでもおれは最後まであきらめません。桜子の隣にいるためなら、どんな努力もするし、その結果、たとえ力及ばずに切り捨てられることがあっても、後悔だけはしたくないです」
「おまえに藍田の後継者が務まるとは思えんがな。先代もタヌキだったが、今の社長は輪をかけておる」
「タヌキって……」と、圭介は思わずプっと吹くところだった。
――が、源蔵の顔を見てもいたって真面目だ。
(いや、まあ、このジイさんが冗談言うとは思えないけどさあ)
「今までどれだけの会社がつぶされ、吸収されてきたか。
すべてが綿密に計算しつくされた計画は、まるで蜘蛛の糸のように狙った獲物をからめとる。
邪魔者を徹底的に廃し、確実に利益をむさぼる手腕があってこその、経済界トップということだ。
普通の人間が簡単にできることではない」
「それはもちろんわかっていますけど――」
「わかっておらん」と、源蔵にさえぎられた。
「おまえは藍田に入るにはきれいすぎる。素直すぎる。おまえの性格なら、いずれ苦しむ時が来る」
能力も経験も足りていないことは重々承知していたが、性格まで向いていないと言われるとは思ってもみなかった。
(けど、お父さんは将来性あるとまでは言わなかったけど、心配してないって言ってくれた)
これが一緒に生活してきた母親が言うのならまだしも、まだ数えるほどしか話したことのない源蔵に言われると、なんだかイライラしてくる。
(おれのことなんて、知らないだろうが)
「そんな苦労せずとも、妃那の伴侶になって、したい仕事でもして、自由に好きに暮らせばよいではないか」
「そんなことはわかっていて、桜子と付き合っていきたいんです」
「妃那の何が不満だというのだ? あんなにおまえに懐いて、おまえもかわいがっているではないか」
源蔵の言い草に圭介は込み上げてくる怒りを抑えられなかった。
「は? かわいがっているって? それは恋愛じゃない。親がすることです。
ジイさん、伯父さん、本来あなた方のすることじゃないんですか?」
圭介は硬い顔をしたままの二人を見回しながら続けた。
「妃那は『知る者』だから、頭の中には知識がいっぱい詰まっている。
けど、感性は3歳児のままなんです。
あなた方にとって『知る者』は畏怖にも値する者なのかもしれませんが、妃那がほしいのはそんな畏れじゃない。
やさしく頭をなでてくれる手や、抱きしめてくれる肉親の愛情なんです。
あなた方が与えないから、おれに求めてくるし、甘えてくる。
けど、おれは本当の意味で肉親じゃないし、結婚できる他人でもあるから、妃那の中ではそういう愛情と恋愛がごっちゃになってしまう。
おれが教えたくても、最悪なことに、この家にまともな夫婦関係も親子関係もない。
手本とするような愛情の形が一つもない。
妃那に結婚がどういうものか、誰も教えてやれないということです。
そうしてまたこの家に不幸な夫婦を作ろうとしている。
あなた方が結婚に幸せを必要としなかったのか、得ることができなかったのかはわかりませんけど、妃那の将来まで同じ道を歩ませないでください」
「伯父さん」と、圭介は改めて智之をまっすぐに見つめた。
「妃那に結婚を強いる前に、もっと親としてしてやれることがあるでしょう?
兄貴を亡くして、母親と離れて、妃那がどれだけ愛情に飢えているか気づいてください。
『知る者』ではなく、3歳の幼い娘として相手してやってください。
いい子にしていたら頭をなでてやる、眠れない夜はそばについていてやる、時間のある時は行きたいところに連れていってやる。
親なら子供に普通にしてやることをしてやってください。
そうやって子供は愛情というものを知って、大人になった時に他人へ愛情を向ける。
その愛情の先に結婚があるはずなんです」
圭介は言葉を切って反論を待ったが、意外にも何も言われなかった。
源蔵と智之は黙ったまま表情一つ変えない。
「生意気にも青臭いことを言ってすみません。けど、1度妃那のために言いたいと思っていたんです。
このままおれが中途半端にやさしくしていたら、妃那が余計に混乱するだけだと思っていたので。
今日、本当は妃那を遊園地に連れていく予定でした。
すごく楽しみにしていたので、伯父さん、おれの代わりに明日にでも連れていってやってくれませんか?」
「考えておこう」と、相変わらず硬い顔のまま智之はうなずいた。
「……なんか、おれ一人で話していたんですけど、ジイさんの話は?」
「いや、もういい。下がれ」と言われて、圭介は拍子抜けしながら部屋を出た。
圭介はこの家に来てからたまりにたまっていたものを全部吐き出して、ある意味スッキリとしていた。
言いたいことを言ってしまった後、何が起こるのかは想像できなかったが、それでも言って後悔したことは一つもない。
古くから続いてきた家族の形も『知る者』に対する扱いも、物心ついた時から『そういうものだ』と教育されて来た源蔵や智之にとって、考えをすぐに変えることは難しいと思う。
それでも、圭介の母親はそういう家の中で育っても、『おかしい』ということに気づけたのだ。
変われないということはないと思いたい。
(みんなから祝福されるのが目標っていっても、今のこの家族が相手じゃ、なんか違う気がするからなあ)
そんなことを考えながら、圭介は源蔵の部屋を出た足で妃那の部屋を再び訪ねた。
今日の遊園地を勝手にキャンセルにしてしまったことを謝らなくてはならない。
――がしかし、妃那は出かけていて部屋にはいなかった。
次は圭介とは入れ違いにいなくなっていた妃那の方の話です。




