6話 興奮して眠れない
意外な人物の訪問に、圭介は束の間ボケっとしてしまったが、あわてて「こんばんは」とあいさつした。
――が、目の前に立つ音弥がこんな時間に何をしに来たのか、想像もつかなかった。
「お父さん、どうしたんですか?」
「お父さん?」と、妃那がむっとしたように眉根を寄せて圭介を見た。
「神泉会長と話があってね」
「仕事の話ですか?」
「そう。せっかくなら久しぶりに君の顔でも見て帰ろうかと。お邪魔だったかな?」と、意味ありげに音弥は妃那を見つめる。
「ぜ、全然! 見られて恥ずかしいことなんて一切してませんから!」
誤解されてはたまらないと、圭介が必死で叫ぶと、音弥はぷっと笑った。
「君は相変わらずだね。でも、元気そうで安心した。いろいろあって、落ち込んでいるかと思ってたから」
(……おれ、この人の前で情けないとこ見せてばっかだったからな)
「ご心配ありがとうございます。それで、会社の方はどうなったんですか?」
「君が聞きたいのは会社のことじゃなくて、桜子のことじゃないのか?」
「……本当はそうです。真っ先に聞きたかったです」
「もろもろは片付けておいたから、あとは二人の問題だけ。安心していいよ、とは言わないけど」
「ええと、それはどういう意味で……?」
「会社絡みで桜子の婚約が決まることはないってこと。
あとは君たちの二人の気持ちが互いに向き合っていれば、問題ないはずだよ」
この問題が起きても、桜子との心の距離ができたとは思わなかった。
この先の未来の関係がどうなっていくかはわからないが、それでもとりあえず今は『大丈夫』だと断言できる。
「よかった」と、圭介は心の底からほっと息を吐いていた。
「さて、お嬢さん」と、音弥は妃那を見る。
妃那は警戒したように圭介の陰に隠れて、音弥を睨むように見つめた。
「さすがにこれはやりすぎだよ。神泉会長にもきつくお仕置きしてもらうように言っておいたからね」
「わたしの邪魔をしたのね」
「もちろん。子供の恋愛に口をはさまない主義だけど、子供同士で解決できないことを持ち出されたら、徹底的に邪魔をするよ。
君は賢いかもしれないけど、常識を知らないただの子供だ。敵に回してはいけない相手を敵にするのは、愚か者の極み。
君もいずれ経営者になるなら、誰を相手にしているのかきちんと見た方がいい。一代でつぶされたくなかったらね」
それはやさしい口調だったが、脅し以外の何物でもなかった。
自分ほど怖い敵はどこにもいないと、音弥ははっきり言ったのだ。
そして、それを自負している。
獲物を見定め、それに狙いをつけた猛禽類の目のように見える。
そんな音弥を見るのは初めてで、圭介の方がビクリとしてしまった。
妃那は唇をかみしめて、黙ったまま戸口に立っていた彼を押しのけて部屋を出て行った。
さっきの視線は何だったのかと思うほど、音弥はいつの間にか表情をゆるめてクスクスと笑っていた。
「ほんと、あれは子供だな」
「その通りで……」
「まあ、子供ほど怖いものもないし、怖いもの知らずもいないから、何をやらかすか見当もつかない」
「やっぱり、妃那が何かしたんですね……。ご迷惑おかけしました」
「大変な迷惑をこうむって、余計な仕事も増やされたけど、君が謝ることじゃないと思うよ。
子供の不始末は親の責任ってね」
「おれ、やっぱ情けないですね。妃那が何かしたのかもって、うすうす気づいていても何もできなかったし。
ボケっとしている間に全部お父さんに片付けてもらって……。
いろいろお膳立てしてもらった上で桜子と付き合ってるのが、なんだかおこがましいです」
「そんなことを思う方が、よほどおこがましいと思うけど? だいたい16歳の君に何ができるの?」
「何もできません。何にも持ってないし……。
だから、お父さんに聞いてみたかったんです。
お父さんみたいな経営者になるのに必要なことって何ですか?
これからどう頑張ったら、ふさわしいと思われる人間になれるんですか?
今のおれにできることってありますか?」
そうだな、と音弥は顎に手を当てて考え込んだ。
「まあ、自分の能力を上げるのも一つだけど、正直、人間1日24時間しかないんだから、経営者一人でできることなんて限りがある。一人で頑張るだけムダだったりするからね。
それくらいなら、信頼のおける優秀な部下をたくさん見つける方が、自分も楽ができるし、仕事の量も質も上がる。
だから、今の君に必要でできることっていうのは、人をよく観察することじゃないかな」
「それだけですか……?」
「――と、エラそうに言ってみたけど、実は君のことはあんまり心配していないんだよね」
「え、なんでですか?」
「桜子が選んだ男だから。あの子のお眼鏡にかなったなら、将来的には何の問題もないと思うよ」
「そんなざっくりとした理由ですか?」
「ざっくりって……」と、音弥は苦笑する。
「それ以上の理由もないと思うけど。桜子はあれで人の本質を見抜くずば抜けた力を持ってるからね。
根っからの悪人なんてめったにいないから、桜子はその根底にあるものを見て、人にやさしくできるし、人を好きでいられるんだよ」
「つまり、誰でもいいってことになりますよね?」
「だから、桜子にとって特別な人間っていうのは、今まで家族以外にはいなかったってことじゃない?
けど、君の本質は他の誰とも違っていたから『特別』になったと」
「……自分じゃよくわからないんですけど。桜子も『しいていうならカン』とか言ってたし。
そのおれの『本質』っていうのが、将来性があることにつながるんですか?」
「直接的に結び付くかどうかはわからないけど、桜子が君を連れてきた時にびっくりしなかったから。
いや、ある意味びっくりしたかな」
「ええと……?」
「緊張して固くなってはいたみたいだけど、おれと話す時、ずっと目を見てただろう? なかなかいないよ、そういう人間。
おれ、社員に怖がられているみたいで、上層部以外はまともに目も合わせてもらえないんだから」
「それは雲の上の人みたいだから、畏れ多いんじゃないですか……?」
「目は口ほどにものを言うっていうだろ? 迷いやウソ、後ろめたさなんかはすぐに目に現れる。
けど、君はおれが大企業の社長だって知っていても、好きな相手の父親であっても、目をそらさないでまっすぐおれを見てた。
だから、驚いたし、桜子はこういう男を選んだんだなって、すぐに納得できた」
「それは……お父さんにはウソもごまかしもきかないって思いましたから」
「おれなら、そういう人間はそばに置く。入社試験なら一発合格。ほら、将来性あるだろ?」
音弥が冗談めかしく笑って言うので、信じていいのか悪いのかわからない。
おかげで、「はあ……」と気のない返事をしてしまった。
「じゃあ、そろそろお暇するよ」
そこまで来て、圭介ははっと気づいて頭を抱えた。
「す、すみません、気づかなくて。お茶でも出さなければいけなかったのに。しかも、立ち話でこんなに長々と……!」
「うちに来た時に正座していたの気付かなかったから、おアイコってことで」と、音弥は笑った。
「本当にすみません。玄関まで送らせてもらいます」
「それはありがとう。さすがによそ様の家を勝手に歩くわけにはいかないからね」
圭介は音弥を連れてらせん階段を降り、玄関まで一緒に出た。
「今回の件、いろいろ尽力してくださって、ありがとうございました。
話も聞けて良かったです」
圭介が深々と頭を下げる中、音弥は「じゃあ、またね」と車に乗り込んで帰っていった。
その後、圭介はベッドに入っても、音弥との会話が頭の中をグルグルと回っていた。
初めて会った時から、憧れてやまない人だった。
音弥が今回の件でどう動いたのかは知らない。
しかし、そんな人が迷惑をこうむっても、桜子と自分のために動いてくれた。
それをうれしく思わないわけがない。
今夜は興奮して眠れそうにないと思った。
次話は音弥が帰った後の藍田家での話になります。
音弥は具体的に何をしたのか?




