13話 後味悪いです
彬が家にたどり着いたのは、夜10時を回っていた。
ホテルのご休憩は3時間。
そろそろ帰ろうとシャワーを浴びに行ったのだが、妃那が一人では身体を洗えないと浴室に乱入。
『このお嬢様育ちが!』という言葉を口にするのをガマンしながら、身体から髪まで洗ってやるハメになった。
――まではよかったが、ついでに収まったはずの股間が再燃。
こうなったヤケクソと、さらに3時間延長してしまった。
(僕、ほんとバカじゃないの……?)
そんなことを思いながら居間を覗くと、桜子と薫子が二人でテレビを観ていた。
「ただいま」と声をかけると、二人が振り返る。
「お帰り。ずいぶん遅かったけど、どこに行っていたの? 優勝したっていうから、お祝いしようと思って待ってたのに」
桜子の言葉に、彬は遠い目をしてしまった。
(優勝……)
そういえば、今日は剣道の大会だった。
その後に起こったことがあまりにインパクトが強すぎて、ずいぶん昔のことのような気がする。
「剣道仲間と遊んでて。姉さんこそ、デートだったわりには帰りが早くない?」
「圭介、8時から習い事があるって、夕食の後帰っちゃったんだもん」
「彬くん、桜ちゃんはとっても健全なお付き合いをしているんだよ。なんていったって、ダーリンは草食系……イタ!」
薫子が言い切る前に桜子の手がぺしっと頭に飛んでいた。
「だから、違うって言ったでしょ!」
二人がぎゃあぎゃあ言い合うのを見て、彬はがっくりと脱力した。
(僕、あの人の言葉にすっかり乗せられてダマされた……)
「あれ、そういえば」と、桜子が立ち上がる。
そのまま彬の目の前に来て、唇が触れそうなほど顔を近づける。
桜子の甘い香りがふわりと漂って、ドキリと心臓が鳴った。
「な、なに?」
「どこかでお風呂入ってきたの?」
「……なんで?」
「ほら、いつも試合に行った後、ぞうきんみたいな匂いプンプンさせて帰ってくるのに、今日はしないから」
「ええと、今日は遊びに行く前に銭湯に寄ったから」と、ここでは言い訳しておいたが――。
(僕、そんなに臭かったの!? あの人、よく平気だったな……)
シャワーも浴びずにベッドに直行したことを思い出して、今さらながら恥ずかしくなってしまった。
「そっか。じゃあ、ケーキ食べる? お母さんがお祝いに買ってきてくれたんだよ。お茶入れてあげる」
桜子に言われて初めて夕食すら食べていなかったことに気づいた。
この疲労した身体には甘い物よりがっつりエネルギーになりそうなものを食べたかったが、とりあえず何でもいいからお腹に入れたい。
「うん、食べる。ありがとう」と、うなずいて座布団に座った。
桜子がお茶を入れている間に、薫子がキッチンから一人分のケーキの乗った皿を運んできてくれる。
「じゃあ、改めまして優勝おめでとう」
桜子の声で湯呑を三人でチンと合わせた。
「ケーキ、僕だけ? みんなはもう食べちゃったの?」
「だって、彬、ちっとも帰ってこないんだもん。9時以降に甘いものは女の子にはご法度だよ」
「別に気にするような体型じゃないと思うけど」
「体型だけじゃなくて、お肌にも悪いの。そういうお年頃なのよ」
「なんか、姉さんがそんなこと言うのって、変な感じ」
「恋をすると変わるって、本当なんだねー。やっぱり好きな人にはきれいって言われたいから? それとも、身近なライバルに負けたくないから?」
薫子が興味津々に桜子の方へ乗り出す。
「両方」と、桜子はニッと笑う。
「桜ちゃん、神泉妃那なんか気にしなくても大丈夫だよ。桜ちゃんがなんといっても1番なんだから」
神泉妃那の名前に食べかけのケーキがのどに引っかかり、彬はゲホゲホとせき込んだ。
「大丈夫? ほら、お茶飲んで。慌てて食べないの」
子供みたい、と桜子に無邪気な笑顔を向けられ、彬はいたたまれなかった。
帰り際、妃那との関係は絶対に口外しないことを約束した。
だから、自分のしていることが桜子や圭介に知られることはないはず。
妃那にしてみても、好きでもない男と寝ているなどということを知られるのはマイナスにしかならない。
それがわかっているのか、簡単に承知してくれた。
ただ、ウソの嫌いな桜子にウソをつくのは、やはり罪悪感を持たずにはいられない。
しかし、桜子への想いを隠さなければならない現状、彬の言葉や態度はいつもウソだらけだ。
今さらもう一つウソが増えたところで、何か変わるものではない。
そう自分を納得させたものの、やはりこのウソは今までのものとは質が違う。
いい弟を演じるために仕方なしについてきたウソと違って、人に言えないことをしているがためのウソ。
だから、何の疑いも抱かない桜子の顔を見ると、どうしようもなく自己嫌悪に襲われる。
「さすがに今日は疲れたから、先に寝るよ」
彬は残っていたケーキをさっさと終わらせ、おやすみを告げて自分の部屋に逃げた。
次話は家に帰った妃那の方の話です。




