12話 ムダな抵抗はやめます
「一つ聞きたいんだけど」
彬はひと呼吸して自分を落ち着かせてから、妃那に声をかけた。
「なにかしら?」
「このことで、姉さんと圭介さんの仲を邪魔するようなことはないよね?」
質問に対する答えを頭の中で巡らせているのか、妃那は束の間瞬きを止めた。
どこか精気のない人形のような瞳で彬を見つめてくる。
ようやく口を開いたと思ったら、返事は「意味がわからないわ」だった。
「どこが?」
「どこがと聞かれても、彬が何を考えてそんなことを聞いてくるのか、わからないのですもの。
わたしの思考では彬と関係を持ったことと圭介たちの関係が、まったくもってつながらないわ」
「……つまり、関係ないと?」
一時の性欲に振り回されて、二人の仲を引き裂くようなことになったら、二人にお詫びのしようがない。
安堵とともに胸に占めていた自己嫌悪もいくらかやわらいでくれた。
「もっとも、あわよくば、わたしがあなたに夢中になって、邪魔者を手っ取り早く消したい、などという浅はかな企てをした人はいるかもしれないけれど」
「……まさか、薫子?」
「本人に確認したわけではないから、推察でしかないわ」
妃那は軽く肩をすくめたが、頭のいい彼女の言う『推察』はほとんど事実に違いない。
「やっぱりわけがわからないよ。薫子がそんなことを企んでいるって思いながら、どうしてわざわざそれに乗るようなことをするの?」
「別に乗ったつもりはないわ。あなたがそう簡単に桜子への想いを断ち切れるとは思えないし、わたしも圭介が1番。
わたしたちが二人で過ごしたからといって、そう簡単に気持ちが変えられるものではないでしょう」
「……つまり?」
「性欲を発散するには都合のいい相手だと、薫子のおかげで気づけたということ」
「て、結局のところ、君の目的は単に性欲発散だったと」
「だから、最初から言っているじゃない。あなた、頭も悪い上に記憶力もないの?」と、妃那はどこか憐れみを込めた目で見つめてくる。
「いやいやいや、頭の良し悪しとか、記憶力は関係ないって! 普通、好きな相手がいたら、他の男で性欲発散しようなんて考えないものなんだよ!」
「仕方ないじゃない、圭介が相手をしてくれないんだもの」
「そりゃ、圭介さんの好きな相手は姉さんなんだから、当然だよ」
呆れながら言う彬に、妃那はぷうっと頬をふくらませた。
「そんなの圭介にさんざん言われているから、あなたにまで言われなくてもわかっているわ。このまま圭介に迫り続けたら、嫌われてしまうということも。
でも、わたし、同年代の女性と比べて性欲が旺盛みたいで、圭介がそばにいるとガマンできないのよ。
そこで、思いついたの。このあふれる性欲さえなければ、わたしは圭介の前でいい子でいられるわけでしょう? いい案だと思わない?」
「で、相手が僕?」
「そう」
妃那は自分の考え通りに事が進んだことに満足しているのか、満面の笑みでうなずいた。
(……僕、やっぱり二人の邪魔になるようなことをしたんじゃないか?)
妃那がこのまま圭介に嫌がられるようなことを続けていれば、二人が決裂するのは時間の問題だった。
圭介に完全に嫌われてしまえば、妃那としても取りつく島がなかったのか。
それとも、やはり好きな相手に嫌われるというのはつらいことだからなのか。
彬のおかげですっきりさっぱりできた妃那は、圭介と節度を持った距離感を保てる。
そんな妃那を圭介が嫌う理由もなく、もともとやさしい圭介は妃那によくしてやることだろう。
二人が仲良くしていれば、同族婚の神泉家ではあっという間に婚約の話はまとまり、桜子の介入できる余地はなくなる。
(ごめん、姉さん。僕、とんでもないことをやらかしたかも……)
「ところで、次はいつがいいかしら? わたしはいつでもいいから、彬の都合に合わせるわ」
妃那が話題を変えるように聞いてくる。
が、彬は「は?」と、首を傾げた。
「次って? 君も満足したわけだし、これで僕の役目は終わったんじゃないの?」
「何を言ってるの? 性欲は三大欲の一つで、食事や睡眠と同じく、定期的に満たされなくてはいけないものなのよ。
個人差はあるかもしれないけれど、調査によると中学3年生の平均的な自慰の回数は3日に1回くらい。
わたしは毎日でもいいから、彬の都合に合わせると言ったのよ」
「そんなこと調査しないでよ……。ていうか、君が誘えば、たいていの男は乗ってくるから、僕が相手じゃなくてもいいじゃないか」
「他に適任者がいるのなら、紹介してほしいところだわ。これでもいろいろ考えた結果なのよ」
「学校にはそれこそ性欲有り余ってる男は山ほどいると思うけど?」
「それはいるでしょうけれど、圭介の婚約者であるわたしに手を出すような男子生徒はいないでしょう」
「なら、校内じゃなくても、外で気に入った男がいたら声かければいいじゃないか」
「彬はそんな身元不明の男と関係を持てというの? わたしの素性がわかって、身体目当てがお金目当てになるとは思わない? それに、わたし、一人で外を歩けないし」
そういえば、タクシーすら一人で乗るのを嫌がっていた。
確かに世の中には悪い人間はいて、そもそもナンパで簡単に女と遊ぶような男にロクな奴はいない。
こんなに美少女でスタイルもいいのに、意外と男を選べないのだと思って、彬は妙に納得してしまった。
(いやいやいや、納得してどうする!? 他に適任者がいなければ、僕がこの先、この人が圭介さんとくっつくまで、性欲処理の道具になるんだよ!)
他にいい言い訳を考えなければと頭をめぐらせていると、妃那が顔を曇らせた。
「そんなに嫌がるということは、彬は満足できなかったのかしら? わたしの身体より自分の手の方がよかったということなの?」
「……そんなこと聞くまでもないと思うけど」
「つまり?」
「満足したに決まってるだろ!」
自分の手の方がいいとは、ウソでも言いたくはなかったので、思わず本音を怒鳴ってしまった。
「では、何が問題なの?」
「だから、君がいい子になったら、圭介さんと仲良くできるってことだろ。姉さんの邪魔をしたくない」
「バカバカしいことを考えるのね。わたしが圭介に好かれるような子になったとしても、圭介が好きなのは桜子には変わりないでしょう?
それとも、彬は圭介が桜子と別れて、わたしに簡単に乗り換えるような男だと思っているの?」
「そんなのわからないよ。男女の仲は水物っていうだろ。何がきっかけで、圭介さんが気持ちを変えるかなんて」
「それならわたしはうれしい限りだけれど、あいにく桜子が相手では不可能よ。
あなたが桜子をあきらめないように、圭介も簡単に気持ちを変えない。
それがわかっているから――」
妃那ははっとしたようにそこで言葉を切った。
「わかっているから?」
「苦労するのよ」
まるで余計なことを口にしたと言わんばかりの、取って付けたような言葉の続きだった。
「もしかして、何か企んでいるの?」
「仮に企んでいたとしても、この件には関係ないわ。わたしは純粋に性欲を発散したいだけよ。
そういうわけで、問題ないでしょう? いつがいいかしら?」
なんだか、いつの間にかいろいろ納得させられてしまったような気がする。
彬が抵抗の意を示したところで、『バカ』の一言で簡単に言いくるめられてしまう。
そもそもここまで来てしまったのも、妃那の話術に軽く乗せられてしまったからだ。
(抵抗するだけムダなのかな……)
「……平日は毎日習い事が入ってるから、週末」と、なし崩し的に次の約束をするハメになっていた。
次話はこの後の彬の話になります。




