10話 理解不能のお嬢様
彬視点です。
桜子がデートに出かけている土曜日、彬は都民体育館にいた。
今日は剣道の都大会。
最後まで勝ち残ったおかげで、終わったのはそろそろ日が沈む頃だった。
体育館を出て駅に向かおうとする彬の前に、黒光りするロールスロイスが音もなく停まる。
ジャージに防具、竹刀を担いだ中学生がたむろする体育館前には、明らかに不釣り合いな豪華さだ。
藍田家の人間はこういうムダな贅沢はしないので、自分の迎えではないのは確か。
(貴頼の家の車か?)
同じ青蘭学園中等部から出ていたのは貴頼だけだった。
準々決勝で早々に下してやったので、表彰式を待たずに帰ったものと思っていたが――。
車から老齢の運転手が降りてきて、後部ドアを開ける。
そこに座っていた少女を見て、彬は少なからず驚いた。
「乗って」
紺色の清楚なワンピースを着た黒髪の少女は、まぎれもなく神泉妃那だった。
「……ええと、何か用?」
「お願いがあるの。車に乗ってから話すわ。家にも送ってあげるし、心配しないで」
神泉妃那は現在、要注意人物。
桜子の恋の相手である圭介を自分の婚約者にすると豪語している。
そんな彼女がわざわざこんなところに出向いてまでするお願いとは、どう考えても二人の恋路を邪魔する算段としか思えない。
ともあれ、自分がどうするかは話を聞いてからでも遅くはない。
妃那が何を考えているのかわかれば、それを回避する方法も見つけられる。
万が一、彬を拉致しようとしたところで、逃げるのは簡単だ。
運転手は年寄りだし、妃那も桜子と違って腕力は皆無。
家まで送ってくれるというのなら、1日何試合もした後の疲れた身体には助かる。
(まあ、問題ないか)
彬は束の間考えを巡らせた後、そう結論を出すと、妃那の隣に乗り込んだ。
待っていた運転手がドアを閉め、じきに車は走り出した。
「で、お願いって?」
「行ってみたいところがあるの。付き合ってもらえる?」
「どこに?」
「着けばわかるわ」
それきり妃那は口を閉じてしまった。
黙っているとまったくもって人形にしか見えない。
瞬き一つしない。姿勢も崩さない。
血管が透けそうなほど白い肌は青白くさえ見える。
整ったきれいな長いストレートの髪も市松人形を思わせる。
桜子とは違ったタイプの美少女だ。
(それにしても、極上の美少女二人に想われてる圭介さんって、すごいな……)
「ここよ」
車が停まって、ようやく妃那が動いたと思ったら、そこが目的地だったらしい。
窓の外を見て、彬は目を疑った。
さびれた街の裏側。
日暮れ時とはいえすでにネオン看板が安っぽく光っている。
『ご休憩』や『ご宿泊』の文字が見えるところをみると、ホテル街以外の何物でもない。
正直、テレビで見ることはあっても、中学生の彬が足を運び入れる場所ではなかった。
驚いている彬の前で妃那はさっさと車を降りてしまう。
おかげで彬も降りるしかなかった。
車はその場に二人を残して走り去っていく。
「あのさ、こんなところで何するの?」
彬の質問に妃那はキョトンとした顔を返した。
「カマトトぶっているのかしら? それとも本当に知らないの?」
「何するところかは知ってるよ。僕が聞きたいのは君の目的」
「最初に言ったでしょう? 1度、来てみたかったの。付き合って」
「いやいやいや、普通に無理だって。
だいたい、なんで僕なんだよ? 会って間もないし、よく知らないし。
好奇心を満たしたいだけなら、さっきの運転手にでもついて行ってもらえばいいじゃないか」
「彬ってば、面白いことを言うのね。あのおじいさんの歳で性欲があると思うの?
そもそも奥さんがいるから、いくら使用人だからってそういうワガママはさすがにどうかと思うわ」
「ちょーっと待って! 中を見るだけじゃないの!?」と、彬は慌ててさえぎっていた。
「やっぱり何をするところかわかっていないんじゃないの。
ここはラブホテルといって、最近ではブティックホテルやデザイナーズホテルと呼ばれる性行為を目的とした施設よ。見学するために来るところではないの」
妃那に淡々と説明され、彬は頭が真っ白になった。
「……つまり、君の目的はその性行為だと?」
「ようやく理解してもらえてよかったわ。あなた、思っていたより、頭のめぐりが悪いのね」
「頭の良し悪しは関係ないよ! 普通の人間はこんな突拍子もないことを言い出さないんだ!」
「彬、臨機応変という言葉を知っているかしら?
どんな困難な状況に陥っても、それを回避できるだけの余裕と機転が人間の器の大きさを表すものよ。
自分の器の小ささを棚に上げて文句を言うのは、昨今では『逆ギレ』というのでしょう?」
「……と、とにかく、君の目的がそういうことなら、僕は付き合えないから。
君と付き合ってるわけじゃないし、君のことが好きなわけでもない。
悪いけど、僕は好きな人としかそういうことをしたくないから、帰らせてもらうよ」
ようやく頭が冷えて、きちんと断りの文句を述べられた。
世間ずれしているとは思っていたものの、あまりにずれすぎていて、彬の方が狂わされてしまった。
普通のことを言っても、普通に通じないような気がする。
(圭介さん、よく相手してやってるな……)
圭介に対し、尊敬の念を隠せなかった。
次話もこの場面が続きます。
彬はどうなる?
 




