2話 顔がだらしないとか言わないでくれ
圭介視点です。
「圭介様」
圭介が支度をして玄関に降りてくると、執事の藤原に呼び止められた。
「はい?」
「こちらをお持ちいただくようにと、大旦那様からのお言いつけです」
差し出されたトレイに乗っているのは、預けてあった圭介のスマホだった。
「え、持ってもいいんですか?」
「昨夜のように遅くお帰りの際は、早めにご連絡ください。昨夜は個人レッスンに来ていただいた先生方にご迷惑をおかけしましたから」
藤原は相変わらずロボットのように抑揚のないしゃべり方をするが、今朝はそれでも怒りがにじみ出ているような気がする。
(う、怖い……)
「す、すみません……。今日は学校が終わったら、まっすぐ帰ります」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
「行ってきます」
何はともあれ、スマホが戻ってきたことは素直にうれしい。桜子に迷惑をかけずに済む。
圭介はウキウキとしながら車に乗り込んだ。
「圭介、うれしそうね。そんなに藍田桜子と連絡を取りたいの?」
昨日の件が尾を引いているのか、先に乗っていた妃那の口調は辛辣だった。
「別に桜子がどうとか別にしても、やっぱ、持ってると便利じゃん。1回、この便利さに慣れちゃうと、ない不便が余計に感じられるんだよな。
おまえも持ったら?」
「連絡を取り合う人はいないもの」
妃那はつーんとそっぽを向く。
「これから徐々に増やしていくんだろ? 友達になろうって時、アドレス交換できるように、今から準備しておけばいいのに」
「わかったわ」と、ここは妃那も素直にうなずいてくれた。
今朝、6時に起こされて朝食に降りていくと、妃那もすでに制服姿で食堂にいた。
桜子と放課後デートしていたことがバレた以上、学校に行かせてもらえなくても仕方がない。
それに、妃那も学校で一人にされて人形になったりしていたので、もう行きたくないと言い出してもおかしくなかった。
それが当たり前のように妃那が登校をする支度をしていたのだ。
圭介も驚かずにはいられなかった。
「学校、ちゃんと通う気になってくれてよかった」
「社会を見ろと言ったのは圭介でしょう。やりかけたことを途中で放り出したりしないわ」
「えらい、えらい」
頭をなでてやると、妃那は機嫌を直したらしく、ぴったりと身を寄せてきた。
その後、学校に着いても、教室までしっかりと腕にしがみついてくる。
(やっぱ、こういうところは子供とおんなじなんだよな。単にスキンシップを欲してるだけじゃないのか?)
妃那は葵のせいで幼いころに普通に得られたはずのスキンシップが、性的なものとごちゃまぜになっているのではないか。
圭介は恋人ではないから、キスもできないし、抱くこともできないが、愛情を込めてこうして頭をなでてやったり、手をつないでやったりすることはできる。
(少しずつその違いが分かれば、それが成長になるんかな)
専門家ではないので正直自信はないが、そうであってほしいと思った。
教室に入ってしばらくすると、桜子が戸口に姿を現した。
いつものようにクラスメートに笑顔であいさつしている。
(奇跡みたいな美少女だよなあ……)
一緒に登校していた時はすっかり忘れていたが、こんなふうに桜子の姿を戸口に見ると、入学式の朝と同じ気持ちがよみがえってくる。
「おはよう、圭介、妃那さん」と、桜子はそのまままっすぐ圭介たちの席までやって来た。
「おはよ」と、圭介は返したが、妃那はむすっとした顔で桜子を見ている。
「ほら、あいさつ。人間として最低限の礼儀だぞ」
「……おはようございます」
妃那はぷうっとふくれながらも、ボソッと言った。
「あ、そうだ。スマホ返すよ。おれの、今朝返してもらえたんだ」
カバンから桜子のスマホを出して渡した。
「ほんと? よかった。でも、どうして急に?」
「昨日、習い事すっぽかしたから、微妙に怒られた。そういう時は連絡しろって」
「かえってよかったじゃない。これで連絡取り合えるし」
「おう、これで一安心だよな」
「と、ところで、圭介、LI●Eの方は見たりしなかった……?」
桜子がどこかそわそわとした様子で聞いてくる。
「見るなって言われたから、見てないけど」
昨夜は圭介が連絡する前に桜子の方からショートメールが入って、『LI●Eの方は見ないでね』と書いてあったのだ。
もともと見るつもりもなかったのだが、わざわざ言われると逆に見たくなるのが心情。
とはいえ、桜子の信頼を失うわけにはいかないと、思いとどまった。
「それなら、うん、よかった」と、桜子がほっとしたような笑顔を見せるので、圭介は昨夜と同じ葛藤に悩まされてしまった。
(そこまで見られたらヤバい内容って、何? 相手はどっかの男とか……? いやいやいや、桜子に限ってそれはないよな?)
そんな圭介をよそに、桜子は教室の壁時計を見ていた。
「ああ、もう、話したいこといっぱいあるのに、ホームルーム始まっちゃうね」
「休み時間もあるし、帰りは一緒に帰れるから、その時ゆっくり話せるだろ?」
「うん。じゃあ、またあとでね!」
笑顔で手を振りながら自分の席にもどっていく桜子を眺めていると、昨日の別れ際のキスがよみがえってくる。
再びほんわかとした幸福感に包まれて、頬がデレっとゆるんでしまった。
(おれら、ようやく恋人同士になったって感じ?)
友達からカノジョになったはずなのに、今までその違いがいまいち明確ではなかった気がする。
昨日のデートでようやく付き合っているという実感が持てた。
(幸せ過ぎて、朝から頭がぶっ飛びそう……)
「圭介、顔がだらしないわ」
妃那のひんやりとした言葉に、圭介はあわてて顔を引き締めた。
「仕方ないだろ。恋してるんだから」
「恋をすると顔がだらしなくなるのね。よくわかったわ」
そうとも限らない、と否定しようと思ったのだが、あいにくホームルームが始まってしまったので、続けることはできなかった。
次話はこの日の夜の話。
藍田家と神泉家の間に何があったのか――本題に入ります。
 




