14話 相合傘は……王子系弟くんのもの
1年A組、圭介のクラスの放課後の風物詩――。
授業が終わるや否やクラス中の女子が桜子を囲む。
「桜子さん、今日こそあたしに駅まで送らせて」
「今日のお迎え、リムジンなの。駅なんて言わず、家まで送るわ。快適ドライブを約束するわよ」
「それより、うちにいらっしゃらない? パパがフランスに行ったお土産においしいチョコを買ってきてくれたの。一緒にお茶をしましょう」
桜子と少しでも近づきたいがために、手を変え品を変え、連中は毎日誘うのをやめない。
「今日はお天気がいいから、歩いて帰りたいの」とか「弟と妹と約束があるから」とか、適当な理由を作って桜子が断るのもいつものこと。
「でも、今日は雨でしょう? 駅に着くまでにずぶぬれになっちゃうわ」
関東はすでに梅雨入り。
確かに登下校時に雨にあたることが多くなり、歩くのが億劫なのは確かだ。
「んー、でも、瀬名くんが傘を忘れちゃったって言うから、入れていってあげないと」
それならば圭介も一緒に駅まで送る、と申し出る人間が一人もいない辺り、この学園らしい。
(おれを乗せると『貧乏菌』に感染するとでも思ってるのか?)
「瀬名くんって、傘忘れたとか言って、傘買うお金もないのよ、きっと」
「桜子さんがやさしいのにつけこんで、いけずうずうしい」
そんな陰口も聞こえてくるが、桜子はてんで聞こえないフリをして、「瀬名くん、一緒に帰ろう」と、鮮やかな笑顔を圭介に向ける。
「おい、桜子。おれ、傘持ってんだけど」
「知ってるよ。朝、差してたもの」
当たり前のように言われて、圭介はがくりと頭を落とした。
「そこでおれをネタにウソつくなよ。おれがますます貧乏に思われるじゃねえか」
「ごめん、ごめん。断るにもだんだんネタが尽きてきちゃって」
桜子に無邪気な笑顔を向けられると、圭介は毒気を失ってしまう。
「雨の日くらい送ってもらえばいいのに」
「あたしが圭介と一緒に帰ってることを知ってるのに、誰も一緒にって言わないんだもん」
「そりゃ言わないだろ。あいつら、おまえと一緒に帰りたいんであって、おれは完全部外者」
「あたしが濡れない方がよくて、圭介が濡れていい理由なんてないんだよ。そういう差別する人とは一緒に帰りたくないもん。そういうわけで、今日は二人で仲よく相合傘」
「で、傘持つのはおれなんだろ?」
「そりゃ、身長差からいったら当然?」と、桜子はニッと笑う。
「はいはい。傘をお持ちして差し上げます、お嬢様」
「なんか、そういうセリフ、圭介には似合わなーい」
くだらない話に笑い合って昇降口に着くと、桜子の弟、彬が立っているのが見えた。
その脇には薫子でない女子生徒がいる。
「お待たせー」と、声をかけようとする桜子を圭介は止めた。
「どうしたの?」
「遠慮しとけよ。あれ、告白の真っ最中だろ」
「え、ほんと?」
下駄箱の陰に隠れて覗けば、中等部の赤いネクタイを付けた女子が顔を赤らめて、何かを彬に訴えかけているのが見える。
話している内容までは聞こえなかったが、彼女が身をひるがえして雨の中を走っていく様子を見れば、断られたのだと一目瞭然だった。
(かわいそうに)
「相変わらずモテモテだねー、彬くんは」と、昇降口に立ったままの彬に、桜子が笑顔で声をかける。
「あ、姉さん。瀬名さんも」
振り返った彬の笑顔がさわやかなこと。
今さっき、一人の女を振ったとは思えない。
今年のバレンタインのチョコレートの数、中等部1番だった彬は、告白され慣れているし、断り慣れているらしい。
「今のは誰?」と、桜子が聞く。
「ああ、隣のクラスの子。今日は薫子が先に帰るって、僕一人だったから捕まった」
「薫子、帰っちゃったの?」
「うん。人に会う用事があるんだってさ。あれ、瀬名さん、傘は? 朝、持ってたよね? まさか、誰かに壊されたとか?」
桜子が傘を開くのをボサっと見ていた圭介に、彬が険のある顔で聞いてきた。
「そんなんじゃねえよ。誰かさんのせいで、忘れたことになってんだ」
「ごめんねー」と、桜子が一言。
「姉さんのせいなの? じゃあ、よかったら僕の傘使って。僕は姉さんに入れてもらうから」
「はい」と、彬に傘を渡され、圭介は「どうも」と受け取った。
(本当によくできた弟だ)
彬の眉目秀麗は言うまでもなく、圭介より一つ年下だというのに身長はほぼ同じ。品行方正、成績優秀、スポーツ万能。
まるでマンガに出てくるような完璧な王子様だ。
男の圭介から見ても、彬がモテるのは当然だと思う。
(とはいえ、せっかくの相合傘が……)
圭介は彬の気遣いに感謝しながらも微妙に残念な気分で、一つの傘を差す姉弟の隣を歩き出した。
「彬、傘、もっと真ん中でいいよ。肩濡れちゃってるじゃない」
「あのねえ、姉さん、自分が濡れても女の子は濡れないようにってのが男なの。こういう時は、男に花を持たせるんだよ」
「そういうものなの?」と、桜子が圭介に同意を求める。
(そういうものなのか? 女と付き合ったことがないからわからねえ……)
しかし、モテる男の言っていることなので、間違いないと判断した。
「そういうもんなんだよ」
「ふーん」と、桜子からは気のない返事が戻ってきた。
「姉さん、そんなんだと、いくら呪いがなくてもカレシなんかできないよ」
「彬くーん、人の傷口に塩塗るようなこと言うのは、男としてどうかなー?」
不毛な姉弟ゲンカの始まりを予感して、圭介は話題を変えることにした。
「あのさあ、前から気になってたんだけど、その『呪い』って、あんたらみんな信じてんの?」
「もしかして、瀬名さん、うちの父のことを疑ってる? 学校でウワサになってるでしょ」
そう答えたのは彬だった。
「なんだ、知ってんのか」
「僕が中等部に入学した時から、散々聞かされた噂だからね。父はそんなことしないって言ったんだけど、実際、姉さんに起こったことだし。まあ、もっともらしく聞こえる話だから」
「で、あんたら姉弟は父親がやってないと信じて、『呪い』を信じるわけだ」
「だってねえ、あのお父さんが娘のためにそこまでするとは思えないもの」
「だよねー」と、彬も桜子の意見に同意する。
「そりゃ、子供の前ではそんな汚い大人のやり取りなんか話さないだろうし、うまく誤魔化されてるんじゃねえ? なんせ『ウサギの皮をかぶった人喰いワニ』って言われるくらいなんだし」
「あたしからすると、ぐうたらナマケモノが気合いで背筋伸ばして、仕事に行ってるって感じだけど」
「父さんにそこまで言ったら悪いよ」と、彬はまるで悪いと思っていないかのようにケラケラと笑う。
「お父さんの好きなものってね、1に『お母さん』、2に『子供たち』、3番目が『こたつ』と『扇風機』なのよ。いかにグータラしているか、わかるってもんでしょ?」
「いや、でもさあ、大変な仕事して忙しくしてるから、家にいる時くらいのんびりしたいだけなんじゃねえ?」
「まあ、お父さん、ある意味忙しいのは確かだけど」
「ある意味も何も、普通に忙しいだろ。巨大グループを率いていれば。それこそ、寝る間も惜しんで仕事しなくちゃならないんじゃねえ?」
「て、みんなが思うのを逆手に取る人なのよ」
「どういう意味?」と、圭介は首を傾げた。
「たとえば、打ち合わせに行けなくても、接待に行けなくても、電話に出られなくても、一言『忙しい』って言えば、誰もが納得するでしょ? そうやって時間を作って、ゴロゴロしてるのよ」
圭介は写真で見たキリリとした男前の藍田音弥を頭に思い浮かべて、別人の話をしているような気分になった。
「じゃ、まあ、仮にそうだとして、そんなに家族が大事な人なら、余計に娘の男関係に気を張ってるってことはないのか?」
「多少は心配してると思うけど、基本的に子供の恋愛には口をはさまないって言ってるからね。恋愛も人生経験のうちって」
「けど、変な男に引っかかって、金せびられたり、妊娠させられたりしたら困らないか?」
「娘を持つ父親なら、それくらい誰でも心配するんじゃない?」
「けど、富と権力がある場合、普通じゃできないこともできるだろ?」
「権力はともかく、うちはそんなくだらないことにお金を使うなんて、お父さんがよくてもお母さんが大反対するよ」
「ああ、慈善事業をしてるとかいう」
「うん。お母さんの方針で、生活は必要最低限に、困っている人を一人でも多く助けられるようにって。グループの経理にも目を通しているから、明瞭会計。お父さん、ヘソクリ作るのも苦労してるんじゃないかなー」
「なんか、その話聞いてると、母親の方が社長職やってるみたいに聞こえるけど」
「圭介もそう思うよねー。そこまで仕事したいなら自分が社長になればいいのに、慈善事業に集中したいって、お父さんは泣く泣く社長就任」
「……ダメだ。まったくもって想像できん」
「じゃあ、会ってみる? うちのお父さん。どういう人かわかるよ」
「そりゃ、興味はあるけど、おれなんかがいきなり会えるような人だと思ってないし……てか、まさか、おれのこと、父ちゃんに話したりするのか?」
「うん、もちろん。学校であったこと、いろいろ話すし。ねえ?」
桜子の問いかけに彬があっさりうなずく。
(おいおいおい……?)
学校でウワサになっている方が正しいとしたら、『友達』と称して近づく貧乏男を今頃、排除にかかっているかもしれない。
過去3件のように母親に不幸が起こるのか。どちらにせよ退学処分は確定。
圭介は想像して、顔が蒼くなった。
「あ、そうだ。今度の日曜日なら、父さん、うちにいるはずだよ。庭木の手入れ、母さんに頼まれてたから」と、彬が余計な提案をしてくれる。
「あ、ほんと?」
桜子は『それはいい考えだ』と言わんばかりにニコっと笑う。
(おい、マジでヤバいぞ。このままじゃ、本当に会うことになっちまう!)
「日曜日にやることがあるのに、お邪魔したら申し訳ないような……」
「遠慮することないって。午前中には終わるだろうから、午後がいいかな。2時頃でいい?」
「あ、うん……」
「じゃあ、決まりね」と、その話はそれで終わってしまった。
(ええー……。おれ、マジで会うんか?)
桜子の父親は日本一のグループ企業の総帥。経済界を牛耳っているという大物。しかも、『人喰いワニ』とまで言われている人物なのだ。
(普通に怖えだろうが!)
トントン拍子に話が進んでしまい、圭介は半ば呆然としていた。
次話、先に帰ったはずの薫子が……本性見せます。