20話 ヒナちゃん攻略法
桜子視点です。
桜子は圭介を見送った後、半ば駆けだす勢いで家まで歩いていった。
家に着くと、まっすぐ薫子の部屋へ行き、ノックもせずにドアを開ける。
「薫子ー!」
スマホを圭介に渡してしまったせいで、薫子に言いたいことをガッツリと胸の中にため込んで帰ってきたのだ。
デート中に送られて来た薫子からのメッセージには、彬からの伝言と合わせて、『ヒナちゃん攻略法』なるものが書かれていた。
『神泉妃那にダーリンを奪われたくなかったら、今日は以下のミッションをこなしてきてね』
とのことだった。
「あ、お帰り、桜ちゃん。思ったより早かったねー」
薫子は意味ありげな笑みで桜子を迎える。
「あんたのせいで、また圭介の前でいらぬ恥をかいちゃったじゃないの! せっかくのデートも台無しになるところだったわ!」
桜子は開口一番、たまりにたまっていたものを大声で吐き出した。
「また?」
薫子は「うん?」と、かわいらしく小首を傾げる。
告白した日、圭介に迫って断られたことを、薫子は知らない。
そして、今日、再び失敗に終わった。
これ以上の恥の上塗りは避けたいところだ。
「それはおいといて……あんたの送ってきた『ヒナちゃん攻略法 その1:ダーリンとHする』を、まともに信用したあたしがバカだったわ! しかも、それが『その1』って、なんですべてにおいて優先されるのよ!?」
「普通に重要だと思ったから? で、その様子だと、桜ちゃん、何もなかった?」
「見ればわかるでしょーが。ご飯食べて、そのまま帰ってきたわよ」
「でも、桜ちゃんもその気になったから、実行しようと思ったんでしょ? うーん、なんでうまくいかなかったんだろう」
「当たり前でしょ。あたしもテンパっててすっかり忘れてたけど、キスもまともにしたことないのに、いきなり初デートでHまで行けるわけないでしょうが!」
「それは気持ちの盛り上がりで? ていうか、キスもまだだったんだ。
いやいや、ダーリン、意外と手ごわいな。あたしの想定を外すほどの完全草食系男子だったとは」
薫子は腕を組んで真面目に悩んでいる。
「草食系男子って、失礼な言い方しないでよ。ちょっとはその気になったみたいだったし、こんなややこしい事態じゃなかったら、あっさり帰されたりしないからね」
(いや……? もしかして、あたしの誘い方が悪いの?)
『恋愛偏差値が低い』という茜の言葉がちらりと頭の隅をよぎった。
桜子の必死の弁解も薫子は聞いているのかいないのか、何かを考える時特有の無表情で、どこか遠くを見つめている。
「せっかくの切り札として取っておきたいところだったけど、こうなったからにはあきらめるしかないか」
ややあって、薫子はゆっくりと口を開いた。
「切り札?」
「そう。既成事実はあるに越したことないでしょ?」
「今時、そんな1度や2度Hしたところで、誰も取り合わないよ。妊娠でもしたならまだしも」
「そこは桜ちゃんの世間一般の評価が、『超箱入りのお嬢様』ってことになってれば、誰も文句言わないよ」
「だったら、本当にしなくても、したことにしておけば済むことじゃない」
「桜ちゃんは男女のことに疎いなー。よーく観察していればわかるよ。同じカップルでも、Hする前と後では触れ方が変わるから」
胸を張る薫子に、桜子は脱力した。
「そんなこと観察するの、あんただけだよ……」
普通の人はカップルの関係性なんて、じろじろ観察したりしない。
「あたしだけじゃない。神泉妃那もダマされないよ」
薫子は先ほどまでの軽い口調から一転して、いつになく厳しい顔をしていた。
「どうしたの……?」
「桜ちゃん、こっちがどんなに綿密に策を講じても、少しでも穴があったら、ひっくり返されるかもしれない」
「どういうこと?」
「桜ちゃん、ダーリンから聞いてる? あの人、神泉家の『知る者』だよ」
圭介から妃那について聞いたのは、今まで精神的な病気で学校にも通えず、家からも出たことがなかったということ。
家の意向だけでなく、妃那は外に出るきっかけを作った圭介になついて、婚約する気満々になっているということも言っていた。
「『知る者』って? それは聞いてないけど」
「天才児。神泉妃那は、直系の娘だから後継者になったんじゃない。神泉家が同族婚を繰り返して、待ちに待っていた『知る者』だったからだよ。
神泉一族を繫栄に導く象徴。頭脳はあたしなんかより、はるかに上を行ってるの。桜ちゃんたちを別れさせようと思ったら、どういう手に出てくるか想像もつかないんだよ。
幸い向こうは精神年齢低いし、知識はあっても経験はないから、いいハンデになってると思うけど、それでも勝負はよくて五分五分」
淡々と話をする薫子は、桜子が今まで見てきた妹とは別人だった。
息をつめて桜子が見つめていると、薫子ははっとしたように振り返って、ニカッと笑った。
「桜ちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫。『攻略法その2』は、ちゃんと遂行してきたんでしょ?」
「う、うん。圭介にスマホ渡してきたけど」
突然の薫子の変わりように、桜子の方がついていけなかった。
「少なくとも連絡は取れるから、善後策は打てるわけだ。あとはもう一つの策がどう作用するか、実は未知数だから、その結果を待つことにして」
「もう一つの策って?」
「それはおいおい。ところで、『攻略法その3』は?」
薫子は満面の笑顔で手を差し出してきたが、桜子はそのままパシッと叩いてやった。
「あれのどこが『攻略法』なのよ? 『お土産にラ・セーヌのチョコレートケーキを買ってくること』って」
「実はこのミッションが、重要な伏線を張ってるって、気づかなかった?」
「とんと気づかなかったわねー。『その1』があまりにインパクト強すぎて、深く考える余裕はなかったわ」
冷たく突き放す桜子に、薫子はよよと泣くフリをする。
「しくしく。せっかくデートをお膳立てしてあげたんだから、それくらいのご褒美はくれると思ったのに。よし、明日、ダーリンにおねだりしようっと」
「お願いだからやめて……」
桜子も時々、このちゃっかりした妹を扱いかねる。
(圭介も変なところで甘いからなー。まあ、妹をかわいがってくれるのはうれしいけど、その性格が災いして、妃那さんにもなつかれてるんじゃ……?)
「あ、そういえば、桜ちゃん、スマホ渡す前に、ちゃんとデータ消しておいた?」
ふと思い出したように薫子が聞いてきた。
「別に圭介に見られて困るものはないから、そのままだよ」
「そうなの? あたしからのメッセージは見られない方がいいかなって思ったんだけど。『ヒナちゃん攻略法』」
その瞬間、桜子の絶叫が藍田家の広大な敷地いっぱいに響き渡った。
「いやー! 圭介、お願いだから、見ないでー!」
ただでさえ、断られて恥ずかしい思いをしたというのに、これでは恥の上塗りだ。
明日、どんな顔をして圭介に会ったらいいのか、さっぱりわからない。
せめて、明日くらいは、神泉家に閉じ込めておいてほしいと、心の底から願ってしまった。
桜子の謎の言動は薫子のせいでした!
次話は家に帰った圭介の方の話になります。




