12話 誰の『ダーリン』?
「圭介、一緒に帰ろう」
6時限目の授業が終わり、桜子がカバンを手に圭介のところまでやってくる。
「おう」と返事をしようとする圭介をさえぎって、妃那が間に割って入った。
「残念だけれど、圭介はわたしと一緒に帰るの。車が迎えに来ているわ」
圭介にとって、今日は家から解放されてようやく自由を満喫できた一日だった。
放課後の時間も、せっかくなら少しでも長く桜子と過ごす時間がほしい。
「妃那、おまえは車で帰れ。おれ、ずっと電車通学だったから、桜子と帰るよ」
「いやよ。一人にしないでと言ったでしょう?」と、妃那は怒ったように目を吊り上げる。
「だから、車までは送って行ってやるから。乗っちまえば知ってる運転手だし、家に帰れば、おれがそばにいなくても大丈夫だろ」
「だからって、桜子と二人きりになんてさせるわけにはいかないわ。おじい様が知ったら、圭介、2度と学校に来させてもらえないわよ」
「んなこと、わかってるよ。だいたい一緒に帰るって言っても、薫子や彬も一緒なんだから、二人っきりってわけじゃねえし。
学校来るからには、おれにだって人付き合いってもんがあるんだよ。それくらいジイさんだってわかって学校に出してるはずだろ」
妃那は納得がいかないといったようにぷうっと膨れたが、ややあって顔を上げた。
「そういうことなら、わたしも一緒に電車で帰る。わたし、電車に乗ったことないから、乗ってみたいわ」
「……それはやめとけ。下り坂とはいえ、駅まで15分は歩くんだぞ。慣れない外に1日中出てて、おまえ、相当疲れてるだろ。
電車はまた今度乗りにつれていってやるから。またぶっ倒れられたら、こっちが困る」
「大丈夫よ。さあ、帰りましょう。桜子も」と、妃那は圭介の話を聞いていない。
妃那の譲歩に桜子もイヤとは言えなかったのか、「いいわ」とうなずいて一緒に教室を出ることになった。
昇降口を出ると、教室でモタモタしていた圭介たちとは違って、薫子と彬がそこで待っていた。
「圭介さん、両手に花だねー」と、彬が感心したように言う。
それが嫌味でも何でもなく、素直に言っているから、圭介も苦笑するしかない。
「おれには分不相応だよ……」
「で、こっちがウワサのイトコさん? 初日早々姉さんとバトってたって、中等部まで聞こえてきたよ」
「マジで……? 妃那、こっちが桜子の弟の彬」
妃那が『誰かしら?』といった顔で彬を眺めていたので、紹介してやった。
「見ればわかるわ。薫子とそっくりだもの」
「あ、そう……だよな」
妃那は束の間彬をじいっと見つめていたが、やがて興味を失ったようにふいっと顔をそらした。
そして、圭介の腕を取って「帰りましょう」と促す。
「いくら桜ちゃんの同級生だからって、今日初めて会った人に呼び捨てされると、ムカつくんですけどー」と、薫子はかわいらしい仕草で口をとがらせる。
「すまん。こいつ、ほんと、人付き合いとか慣れてなくて。代わりに謝っておく」
「別にダーリンに謝ってほしいわけじゃないもーん」
「圭介、わたしもこの子、ムカつくわ。人の婚約者を捕まえて、何が『ダーリン』よ。
社会性を学んだ方がいいのはこの子の方ではないの?」
妃那も負けず劣らず言い返すから、二人の間に火花が散る。
「慣れてるんだから、別にいいじゃない。『桜ちゃんのダーリン』なんだから、はしょって『ダーリン』って呼んだって」
桜子が顔をほんのりと染めて、間に入ろうとするのを見て、圭介は初めて気づいた。
薫子とニセの付き合いを始めてしばらくして、薫子は圭介のことを『ダーリン』と呼ぶようになった。
ウソがそれらしく見えるように、わざと言っていると思っていたが、頭に『桜ちゃんの』がつくと、意味が全然違う。
桜子の気持ちの変化を薫子が知らないわけがない。
つまり、桜子が圭介を男として意識し始めたのが、その頃ということだ。
(ちくしょー。薫子の奴、完全におちょくってたな!)
圭介がさんざん片思いに悩んでいるのを知っていながら、桜子の気持ちなどおくびにも出さず、高みの見物をしていたということだ。
「ほら、せっかくみんなで帰るんだから、仲良く帰ろうね」
1番妃那とぶつかりそうな桜子さえも、不毛な子供のケンカは見かねたらしい。
空気を変えるようにふんわり笑顔で言った。
校舎前のロータリーに停まっていた神泉家の車の運転手には電車で帰ることを伝え、駅に向かう坂道を5人で歩き始めた。
――が、5分も歩いていないというのに、妃那が疲れたと言い出した。
「圭介、抱っこして」
「おい、冗談だろ。大丈夫って言ったんだから、自分の言葉に責任持てよ」
「もう無理。1歩も歩けないわ」
そう言って、妃那はその場に座り込んだ。
「仕方ない奴だな」
圭介があきらめて妃那のところへ行こうとすると、桜子に止められた。
「圭介、相手にしなくていいよ。どんな子供だって、甘やかしすぎたら、ただのわがままな子にしかならないんだから。圭介が今のままだと、妃那さんは変われないよ」
「……そうかな」
「そうだよ、ダーリン。そのうちあきらめて追いかけてくるから、先に行こう」
薫子にもそう言われて、圭介は道端に座り込んでいる妃那に後ろ髪を引かれながらも、とりあえず放っておくことにした。
(まあ、少しは荒療治も必要かもな)
妃那が追いかけてくることを願いながら、いつもの4人で駅までの道を歩き出した。
次話、妃那がどうなったのかはとりあえず置いておいて、四人での話が盛り上がります。




