11話 こんな『両手に花』は望んでいない
「皆様、誤解しないでいただきたいわ」
妃那の凛とした通る声に、場が一瞬にして静まり返った。
皆の注目を簡単に集めてしまうあたり、妃那は天性の女王の資質を持っているのかもしれない。
一方、圭介は妃那が言おうとしていることに気づき、慌てて口をふさごうとした――が、遅かった。
「圭介はわたし――神泉家後継者である、わたしの伴侶に選ばれた者よ。現当主、および次期当主が正式に認めた婚約者ということ。
桜子、今現在圭介とお付き合いをしていると言っても、二人の未来はないのよ。傷つく前に身を引くことをお勧めするわ」
桜子は妃那の挑戦的な視線を真っ向から受け止め、ふっと笑った。
こんな風に嫣然と人を見下すような笑顔は、圭介も初めて見たような気がする。
「正式に認められたといっても、正式に婚約したわけではないでしょう? 悪いけれど、圭介は藍田家の婿に入って、いずれグループ総帥の座を継ぐのよ。
あとから入ってきて、勝手に婚約者にしてもらっては困るわ」
「そのお話、どこまで本当かしら。圭介は神泉の現会長の外孫とはいえ、つい最近まではただの一般人。
ぽっと出のどこの馬の骨ともしれない男が藍田グループの後継者などと、そう簡単に皆を納得させられるとは思えないけれど?
だいたい、圭介がそちらに行くとなれば、神泉の名を使うことを許したりしないわ」
「圭介をバカにしてもらっては困るわ。あたしは圭介が神泉家の人間だって知る前から、たった一人の男として選んでいたのよ。
このあたしが、藍田の血を継ぐあたしが後継者にと望む男が、ただの馬の骨のわけがないでしょう? 圭介は誰もが認める後継者になるわ」
(……二人とも普通に怖いんだけど)
圭介は二人のにらみ合いの間に入ることもできずに、ハラハラしているしかない。
「コホン、コホン」というわざとらしい咳払いが聞こえ、黒板の方をちらりと見ると、すでに5時限目の古文教師がそこに立っていた。
「そろそろ授業を始めたいと思いますが……」と、気弱な教師が控えめに言っている。
「ほら、授業始まるぞ。この続きは後で」
圭介は桜子と妃那に声をかけたが、二人はにらみ合ったまま、興奮冷めやらない様子だ。
それでも、大きな「フン」を互いに引っかけ合い、自分の席にそれぞれ着いてくれた。
それを見届けて、薫子も逃げるように教室を飛び出していき、圭介も自分の席にぐったりと座り込んだ。
退屈な教師の話など誰も聞いていない。
今さっきの白熱した女の戦いに、クラス中にヒソヒソとささやき声が満ちていた。
「あの元貧乏人を日本のトップ企業の令嬢が奪い合いするって、納得いかねえ!」
「だいたいそんなタマかよ!?」
「どっちに転んだって、あいつばっかり得するってわけ? 冗談じゃねえ」
「そりゃ、こっちが負けたって思うくらいのイケメンとかなら、まだわかるけどさあ。どう見てもフツーだろ?」
男子のひがみいっぱいの声は圭介の耳にしっかり届く、というより、わざと聞こえるように言っているとしか思えない。
「ねえねえ、桜子さんも妃那さんも奪い合うってことは、神泉くんって、実は隠れた魅力があるってこと?」
「これぞ『両手に花』って感じよね。しかも、最高級の花」
「なんか、もったいないことした? 桜子さんが興味を持った時点で、タダモノじゃなかったってことよね?」
「でも、こうなったら、もう入り込む余地ないじゃない。あの二人を敵に回したら、うちなんか簡単にふっとんじゃうわ」
そんな風に、女子からは今まで味わったことのない好奇の目にさらされた。
モテ期到来か!? などと喜んでいる場合ではない。
(なんか、おれの人生、おかしくなってきた気がする……)
頭を抱えたくなるが、同時に藍田音弥の言っていたことが改めて思い出される。
圭介のような者が藍田グループの後継者になれば、妬みやひがみで足を引っ張ろうとする者が後を絶たない。
それをかわし、皆を納得させるのは至難の業だと。
その言葉がついに現実として、圭介の身に降りかかってきたのだ。
このクラスにいる男子のささやき声が現実。
自分より下だと思っていた奴が、いきなり上になっても、誰も認めない。
今まで『後継者を目指して頑張る』と自分に言い聞かせてきたものの、やはりそれはどこまでも漠然としたものだった。
他人がどう思うかまでは、圭介の頭にはなかったように思う。
(周りに認めさせるって、何をどう頑張ればいいんだ……?)
この問題は妃那の存在があろうがなかろうが、藍田家の後継者を目指す限り、確実に圭介に降りかかってくるものだ。
(愛だけで乗り越えられる問題なのかな……)
その点、妃那との婚約は血筋がある以上、誰も文句を付けないだろう。
そもそも、後継者は妃那なのだから、圭介はそれこそ子作りの道具でしかない。
要は能力を問われない。
それこそ必要な跡継ぎさえできてしまえば、遊んで暮らしていても文句を言われることもないだろう。
それがどんなに楽な道だとわかっていても、恋愛感情を持てない妃那と一生を共に生きていくのは、苦痛以外の何物でもない。
(とどのつまりは、どんなに大変な道でも、好きな相手と生きていくことが幸せってことなんだよな。けど、後継者って……)
圭介は授業もそっちのけで、ひとり頭の中で堂々めぐりを繰り返していた。
次話はこの日の放課後の話。
圭介は藍田三兄弟と妃那と帰ることになりますが……。




