10話 さっきまでの余裕はどこに行った?
圭介が桜子と一緒に教室に戻ると、妃那は自分の席に座っていた。
薫子がその前の席に座って、妃那をじっと眺めている。
(……思った通り、人形になってやがる)
「あ、ダーリン。この人、どうしちゃったの? さっきからずっと動かなくて、瞬きもしないの」
薫子が不思議そうな顔で圭介を見上げる。
「……ああ、うん、こういう奴なんだ。おい、妃那。戻ったぞ」
圭介がポンポンと妃那の頭を叩くと、彼女はパチパチと瞬きし、突然動いたかと思うと抱きついてきた。
「一人にしないでと、何度言ったらわかるの!? 圭介のバカ!」
「わかってるけど、いつまでもそういうわけにはいかないだろ。この校内にはいるんだし、少しずつ慣れていけよ」
圭介はしがみついている妃那をあやすように頭をなでてやった。
ふと気づくと、桜子が貼り付けたような笑顔で、かすかにこめかみを引きつらせていた。
「圭介、ずいぶん慣れたように妃那さんを抱きしめるんだね」
(おい、桜子、さっきの余裕はどこに行った!?)
桜子は妃那の襟首をむんずとつかむと、無理やり圭介から引きはがした。
「初めまして、神泉妃那さん。圭介のカノジョの藍田桜子です。よろしく」
妃那は無表情に桜子の頭の上から足まで、ずいぶん長いこと時間をかけて眺めていたが、やがて圭介を振り返った。
「圭介がどうしてこの人と子作りしたいのか、わたしにはさっぱりわからないわ」
「子作りって……」と、顔を赤くする桜子につられて、圭介もまた顔が真っ赤になってしまった。
「妃那、言葉を選べ! おれはそんな下世話な言い方してねえ!」
「でも、異性としての魅力を感じるということは、つまり性的魅力を感じるということでしょう。セックスに対する快楽的衝動は、自分の遺伝子を残したいという動物的本能からくるものよ。
つまり、圭介はこの人に自分の子を産んでほしいと思っている、ということでしょう?」
違うとも言い切れない妃那の問いに、圭介は言葉を失ってしまった。
「藍田桜子、思っていたより頭も悪そうだし、胸もわたしよりないわ。どう考えても、わたしの方が女性的魅力があるし、優秀な遺伝子を残せる。
圭介、落ち着いて考え直した方がいいわ」
桜子のこめかみにはさらに青筋がくっきりと浮かぶ。
おまけに妃那が薫子の胸を見て「こっちは論外ね」とつぶやいたものだから、薫子まで「はあー!?」と激ギレ。
「妃那さん」と、桜子は見たこともない恐ろしい笑顔を浮かべた。
「あなたの言葉のレベルに合わせてあげると、圭介が子作りしたい相手はあたしであって、あなたじゃないの。
つまり、あなたがあたしより魅力的な身体をしていようが、優秀な遺伝子を残せようが、圭介には異性として認識されていないということ。わかる? あなたこそ、論外よ!」
圭介は「でも――」と、反論しかける妃那をさえぎって、その口をふさいだ。
クラスメートたちが昼休みを終えて戻ってき始めている。
そんな中、これ以上女子二人に『子作り』だの『性的魅力』だの、大声で叫び合わせておくわけにはいかなかった。
「妃那、頼むから周りの状況を見て言葉を選んでくれ」
「どういう言葉を選べばいいのかしら?」
妃那は無理やり圭介の手を取りのけ、じっと顔を見つめてくる。
「どういうって……言葉を選ぶ前に、そもそも公衆の面前で性的話題は避けるものなんだよ」
「わかったわ」
妃那がいつものようにコクリとうなずくのを見て、ほっとしながら桜子に向き直った。
「桜子もこいつの言ってること、まともに相手しなくていいんだからな。子供と同じだって言っただろ?」
「聞いてはいたけど――」
桜子は恥ずかしそうに言葉を切った。
その続きを聞く前に、会話に隙ができたと悟った取り巻きたちが寄ってきて、桜子を質問攻めにし始めた。
「桜子さん、神泉くんとお付き合いしているって本当なの?」
「妹さんと付き合っているって言ってたわよね?」
「うん。夏休みの半ばくらいから。……その、妹には悪いとは思ったんだけど」
桜子はちらりと薫子を見て口ごもる。
その顔が『どうして、こんな面倒な状況になってるのよ?』と、言っているようだった。
そこはさすが薫子というべきか、余裕で話を作る。
「本当はあたしも二人が好き合っているのを知っていたの。でも、あたしはダーリンが好きで、桜ちゃんにどうしても取られたくなくて……。
ダーリンはやさしいから、『いいよ』って付き合ってくれたんだけど、やっぱり自分の気持ちにウソはつけないからって……。
つらいけど、二人が幸せそうにしてるならいいかなって。あたし、桜ちゃんもダーリンも好きだから」
薫子は目を潤ませて、こぼれそうな涙を振り払うように笑顔を浮かべた。
この迫真の演技に「なんてけなげな子なんだ」と、クラスの男子たちは切ないため息をつき、「いい妹さんをもって、桜子さんは幸せね」と、女子はなぐさめるように薫子の肩を優しくなでている。
(こ、この、ウソつき薫子……!)
この顔の裏で舌を出しているだろう薫子を想像して、圭介は唖然としていた。
それは桜子も同様だったのか、複雑そうな顔で遠くを見ていた。
次話もこの場面が続きます。
桜子と妃那のバトルはまだ終わりません……!




