7話 もう少しで逢えるんだけど……
息を切らせた薫子が、圭介に向かってまっしぐらに教室を横切ってくる。
(『ダーリン』? おれのこと、怒ってたんじゃないのか?)
薫子と顔を合わせるのも話をするのも、伊豆に行った時以来だ。
つまり、『サイテー!』と罵られて以来。
再びそう呼んでくるということは、桜子と付き合うようになって、機嫌を直してくれたのか。
(だったら、遠慮なく『呪い』の件も相談すればよかったー……)
今さら悔やんだところで、時すでに遅しだが。
「何かあったのか?」
「何かあったか、じゃない!」
薫子は頬をふくらませて、圭介の両頬をむにっとつまんだ。その力は容赦ない。
「いひぇえ……」
(……やっぱ、怒ってんのかよ?)
「高等部に神泉から編入生が入ったって聞いて、まさかと思って来てみれば、本当にダーリンが来てるなんて! 退学したんじゃなかったの!?」
「……説明ふるかあ、その手を放ひへくえ」
薫子は「おっと忘れてた」と、トボけた顔で圭介の頬から手を下ろした。
「まあ、1回は退学させられちまったんだけど、どうにかこうにか復学できたんだよ。
それより、桜子はどうしたんだ? 今日、来てないみたいだけど、具合でも悪いのか?」
「ダーリンのバカ!」と、薫子に怒鳴られた。
「桜ちゃん、ずーっとダーリンのこと探してたんだよ! やっと見つけたのに、ダーリンのお母さんに追い返されて、ただでさえショック受けて泣いてたのに、学校に来てみれば、ダーリンは退学してるしで!
もうあまりのつらさに、学校なんて来たくないって、部屋にこもって出てきてくれないんだよ……!」
薫子は目に涙をためて、圭介に訴えかけてくる。
「桜子が……?」
「今頃、桜ちゃん、世をはかなんで早まったことを考えてたらどうしよう!」
圭介はそこまで聞いて、薫子の頭をポンと叩いた。
「このウソつき薫子。桜子がそんな状態で、おまえがノンキに学校になんて来るか」
薫子は「バレたか」と、舌を出す。
「ダーリンは簡単にダマされてくれなくて、つまんなーい」
「で、本当のところは?」
「あたしのウソはいつも半分本当なんだよ。気づいてた?」
「だから、最初から本当のことだけ言ってくれ」
「桜ちゃん、昨日早退してきてから、部屋にこもってるの。一人で考え事したいからって、ご飯の時も出てこなくて……。
ご飯は運んであげれば、食べてるみたいだから、そう心配したこともないんだろうけど」
「薫子、スマホ、持ってるか?」
「持ってるけど?」
「ちょっと貸してくれ。桜子に電話かける」
「うー、桜ちゃん、出てくれるかなあ。昨日から、あたしとも話してくれなくて」
薫子は首を傾げながらも、桜子の番号を表示させて圭介に差し出してきた。
薫子の言った通り、かけてみたものの、数回コールの後、留守電になってしまう。
――が、圭介はあきらめずに、桜子が出るまでかけ続けた。
ゴホン、ゴホンと、咳払いが聞こえる。
うるせえ、と思いながら咳払いのする方を見ると、教壇に1時限目の数学教師が立っていた。
「すでに授業の始まっている時間なのですが? しかも、部外者もいるようですが?」
今は授業を受けている場合ではない。
「すみません、1時限目、欠席します!」
圭介は薫子の腕をつかんで教室を飛び出した。
背後から妃那が自分を呼ぶ声が聞こえたが、そんなことに構っていられる状況ではない。
「ダーリン、どこ行くの!?」
「とにかく、桜子につながるまで、電話かけられるとこ!」
授業の始まる時間、昇降口まで来ると人気もなく、電話をかけるには好都合だった。
圭介はしつこく電話をかけ続け、10回を数えた頃にようやく電話が通じた。
「薫子、いったい何の用よ!? 授業中じゃないの!?」と、開口一番は桜子の怒鳴り声だったが。
「桜子? おれだよ、圭介」
電話口で絶句したように、桜子はしばらくの間、黙り込んでしまった。
「圭介……? どういうこと? 薫子と一緒なの?」
「今、学校。おれ、今日から復学したんだよ。桜子、なんでいないんだよ? せっかく逢えると思って、期待してきたのに」
「そっか……。ごめん、すれ違っちゃったね」
圭介は桜子の反応が意外だった。
自分が残念に思うように、桜子も同じだと考えていたのだ。
それとも、復学した以上、これからはいつでも会えるから、それほどがっかりする必要もないのか。
がしかし、それ以上に気になるのは、久しぶりに言葉を交わせたというのに、桜子から驚きも感動も感じられないことだった。
それが圭介を不安にさせる。
薫子の言葉の中で、桜子が圭介の母親に追い返されて、ショックを受けたというのは本当のことなのだろう。
「この間はごめん。せっかく逢いに来てくれたのに――」
「それはもういいの」と、桜子にさえぎられる。
「圭介、今日は学校にいるんでしょ? あたしもこれから行くから、二人で話をする時間、作れる?」
「話って?」
「会えなかった間の積もる話」
「それはもちろん。待ってる」
「うん、じゃあ、お昼休み頃には着くから、その時にね」
切れた電話を見つめて、圭介は不安がどんどん胸に広がるのを感じた。
こんな風に桜子に電話をかけて、自分が学校にいることを知らせたら、喜び勇んで飛んできてくれると思い込んでいたからか。
なのに、桜子には真っ先に話をしたいと落ち着いて言われてしまった。
その『話』が、圭介の望まない方向に持っていかれるのではないかと、不安でたまらない。
現状、圭介は神泉家に縛られ、妃那との婚約も完全に白紙になったわけではない。
この状況で別れ話にでもなったら、圭介には桜子を止めるすべはないのだ。
時間がもう少し欲しいと思った。
今、いろんなことに結論を出したくない。
あと数時間で桜子に逢えるというのに、今度は逆に会うのが怖くなってしまった。
「どうしたの、ダーリン?」
薫子に声をかけられて、圭介ははっと我に返った。
「いや、なんでもない。スマホ、サンキュ」
「桜ちゃん、来るって?」
「ああ。昼頃には着くって言ってた」
「ようやく感動の再会だね」
薫子の明るい言葉に合わせるように、圭介も笑顔を浮かべた。
それがいかに取りつくろった笑顔であっても、これ以上、薫子に心配をかけたくなかった。
「ほら、おまえは授業に戻れ。おれも戻るから」
「うん、じゃあ、またあとでね」
手を振って中等部の校舎の方へ駆けていく薫子を見送って、圭介も教室に戻った。
授業の邪魔をしないように、こっそりと後ろの戸から入って自分の席に座ると、隣の席の妃那が頬をふくらませて、圭介をにらんできた。
「圭介のバカ! 一人にしないでと言ったのに。どうして、また一人にするの!?」
妃那にしては空気を読んだのか、小声で叫んだ。
「悪い。いろいろあって……。話はあとでゆっくりするから、今は授業な」
ぷうっとふくれている妃那は、当然授業など聞いていない。
机の上に教科書もノートも出していないところを見れば、一目瞭然だ。
(こいつ、本当に勉強する気がないんだな……)
次話、不安を抱えながらも桜子と再会です。




