3話 金持ちと天才の考えることはわからない
圭介視点です。
朝から妃那とひと悶着あって、圭介はすでに疲れているような気がした。
とはいえ、一緒に出かける約束をしたので、朝食の後は部屋に戻って着替えを始めた。
コンコンとドアがノックされ、執事の藤原が部屋に入ってくる。
「……おれ、出かけていいんですよね?」
相変わらずの藤原の無表情を見て、『出かける許可は下りておりません』と、言われるのではないかと身構えた。
「ええ、もちろんです。妃那様が圭介様を大変お気に召したこと、大旦那様も旦那様もたいそうお喜びで。本日の記念すべき初デートを楽しんでいらっしゃるように、との言付けです」
「……はあ、それはありがとうございます」
別にデートじゃないんだけど、と突っ込むのはやめておいた。
(ていうか、朝食の時に顔合わせてるんだから、直接言えばいいだろうが)
相変わらず会話のない食卓なのだ。
ともあれ、どんな理由であっても、この軟禁生活から解放されて、ようやく外に出られる。
変な茶々を入れて、中止などということにはしたくない。
「お出かけになるにあたり、おこずかいを用意させていただきました。こちらをお持ちください。
カードと現金が少々入っております。カードの暗証番号はこちらに」
藤原の差し出すトレイの上には、二つ折りの黒い革財布が乗っていた。
(そういや、おれ、出かけるとか言って、金持ってなかったっけ)
バイトに出る時に持っていた自分の財布には、小銭くらいしか入っていない。
圭介はありがたく受け取って、中を確かめてみた。
(……う、なんか『少々』どころじゃない札が入ってねえか?)
ざっと見たところで、10枚以上の万札が入っている。
「……ちなみにカードって、いくらまで使っていいんですか?」
「大旦那様は特にはおっしゃっておられませんでしたが、限度額はないので、ご自由にお使いになられてよいと思います。
あまり大きなお買い物をする時は、大旦那様に事前にご相談した方が良いとは思いますが」
「大きな買い物って、例えば?」
「マンションとかクルーザーとか、といったところでしょうか」
とにかく数千万円単位のものでなければ、何でも買っていいということだ。
(……んなもん、高校生が買うか! 金持ちの感覚は全然わからねえ!)
圭介はこの財布の重みに負けてひっくり返りそうだった。
それより、こんな大金を持ち歩いたことがないので、財布をなくす方が恐ろしい。
「圭介様、神泉家の男児たるもの、デートで女性に支払わせるようなことはなさいませんように」
「……それはこの家のしきたりのようなものなんですか?」
「教育の一環となっております」
「はあ……」と、気の抜けた返事しか出せなかった。
(金持ちなのに、ケチって思われないようにするためか?)
「では、失礼いたします」と、用事のすんだ藤原が出ていくのと入れ違いに、妃那がドアの陰からひょっこりと顔をのぞかせた。
「圭介、支度はできたかしら?」
妃那が涼し気な白の着物をまとっているのを見て、少なからず驚いた。
「おまえ、着物で出かけるのか? もしかして、正装しなくちゃならんとこに行くとか?」
「そういうわけではないけれど。わたし、和装しか持っていないの。お兄様が好きだったから。圭介は洋服の方が好き?」
妃那は袖を広げてやはりクルリと一回転して見せる。
人形のような切れ長の目をした和風な顔立ちに長いストレートの髪は、確かに着物の方が似合いそうだった。
「まあ、どっちでもいいんじゃねえ? おまえの好きな方で」
「圭介が好きな方を聞いているのよ」
「服なんて、自分の着たいものを着りゃいいだろ。金に困ってるわけでもあるまいし」
妃那は困ったように圭介をじっと見つめている。
(……こいつ、人形だったこと忘れてた)
着せ替え人形よろしく、着るものでさえ、自分で決めたことがないらしい。
「ま、ともかく、出かけるんだろ? どこ行くんだ?」
妃那は気を取り直したように懐から1枚の紙を取り出して、圭介に突き付けた。
「今日のスケジュールを作ってみたの。圭介はこれでいいかしら?」
紙に細かい字で書かれた内容を見て、圭介はぐらりと倒れそうになった。
行く場所はともかく、時間まで細かく書かれている。
「おい、なんで全部分刻みなんだよ? 12時8分に『麺屋さがみ』って、こんなの12時でいいじゃねえか」
「でも、スカイツリーからの距離と、この時間の車の渋滞状況を合わせて計算すると、12時には到着できないもの」
「けど、途中でアクシデントがあって、時間がずれる場合だってあるだろうが」
「本日の天候状況、イベント情報、過去の事故記録等、すべて加味した上で作成したスケジュールなのよ。完遂できない可能性は5パーセント以下と計算されているわ」
どうやってその5パーセントが算出されるのか。
聞きたいところだったが、難しい話になりそうだったのでやめておいた。
「けどさあ、このラーメン屋、人気の行列店だろ? 最低でも1時間は待ち時間があるのに、12時18分に食事って、普通に無理じゃねえ?」
「お店にお願いして、12時から1時まで貸し切りにしてもらったわ。メニューを選んで、作る時間を聞いたら、およそ10分くらいとのこと。食べる時間は平均20分だそうよ」
「……あ、そう。てか、ラーメン屋、貸し切りにすんなよ。そういう店じゃねえだろ」
「でも、1時間も待っていたら、時間がもったいないじゃない」
「いやいやいや、そこまで並んででも食べたいっていうのが、人気ラーメン店の醍醐味……て、その前になんでラーメン屋なんだよ?」
「いろいろな人がブログを書いていて、ラーメンというのはとてもおいしいもので、国民的な食事だと言っていたわ。うちのシェフは作ったことなかったので、ぜひ食べてみたいと思って」
「わかった……。まあ、せっかくスケジュールを作ったんだから、この通りに行くか」
妃那はうれしそうに笑って圭介の手を取ると、引きずっていった。
玄関にはピカピカに磨かれた黒いロールスロイスが、デンと停まっていた。
白い手袋つけた運転手らしき初老の男が、うやうやしく後部ドアを開けてくれる。
圭介は妃那と並んで乗り込み、10時ちょうどに神泉家を出発した。
「ねえねえ、圭介。わたし、車に乗るのが初めてなのよ。思ったよりずっと速いのね。乗り心地もいいし、静かだわ。あ! これで窓の開け閉めができるのね。すごい、動いたわ!」
妃那はふかふかのシートの上で跳ね、パワーウィンドーのボタンを押して、窓を開けたり閉めたりと大興奮だった。
「圭介、高層ビルって、本当に本当に高いのね。てっぺんが見えないわ」
「あ、パトカーが走っているわ! ランプをつけているから、近くで事件があったのかしら?」
妃那はそんな調子で窓の外をのぞいては、何かを見つけて、うれしそうに圭介を振り返っていた。
(ほんと、子供みたいだな……)
圭介からすれば、別に驚くものは一つもなく、どちらかと言えば、見慣れたものだ。
しかし、テレビやネットでしか見たことのなかった妃那にとっては、すべてが新鮮なのだろう。
(まあ、二次元だけで満足できるなら、誰もわざわざ旅行したりしないもんな)
知識はあっても、妃那に圧倒的に足りないものは経験だ。
こうして外に出るようになれば、天才だけあって、その経験も常人よりずっと早く自分のものにしていくのだろう。
12年の遅れもあっという間に取り戻して、普通の15歳の少女になる日も遠くないのかもしれない。
娘を見守る父親のような気分で、圭介は妃那がはしゃいでいるのを微笑ましく見ていた。
次話も圭介と妃那のデート(?)は続きます。
 




