1話 高校、行っていいのか? ★
「おはようございます。圭介様」
朝、圭介は雪乃にいつものように起こされた。
なんだか今日はいつもより寝足りない気がする。
それもそのはず、枕もとの目覚ましを見ると6時を示していた。
このところ、7時に起きる生活をしていたので、いきなり1時間の早起きはキツい。
「なんで、こんな時間に……」
寝不足の頭がぼうっとしていて、ベッドの上に起き上がったものの、なかなか動き出せなかった。
「あら、いやですわ。今日から学校でしょう?」
「……え? おれ、学校に行っていいんですか?」
「何をおっしゃるのかと思えば」
雪乃はホホホ、と笑う。
(これは夢か?)
学校に行ったら、無茶をしなくても桜子に逢える。
また同じクラスで隣に席を並べて、休み時間は二人で過ごすこともできる。
恋人同士になった今、今度こそ本当の放課後デートをすることだってできる。
(母ちゃんが『冷静になれ』って言ってたのは、そういうことかよ!?)
あと数時間でそれが叶うと思うと、圭介はベッドから飛び起き、ぱぱっと顔を洗ってきた。
今は1分1秒が惜しく感じる。
「圭介様、こちらに制服を置いておきますね。7時半に車を用意していますので、遅れないように」
そう言いながら、雪乃は制服のかかったハンガーをソファの上に置いている。
圭介はそれをチラリと見て――固まった。
「……それ、どこの制服ですか?」
青蘭学園の夏服は白の半袖シャツにベージュのベスト、茶系のチェックのスラックスだ。
なのに、雪乃の手にしている制服は白のシャツはともかく、紺と黄色のストライプのネクタイがついて、スラックスも紺色だ。
「あら、聞いてらっしゃらなかったのかしら。こちら、白鷲学院の制服ですけれど。
圭介様、妃那様とご一緒にこちらの学校に通うのでしょう?」
圭介は頭に冷や水を浴びせられた気分だった。
「おれ、青蘭に通っていたはずじゃ……?」
「妃那様のご要望でそうなったのですよ。ほら、妃那様は初めて学校にお通いになるでしょう?
白鷺学院は国際交流が盛んで、帰国子女や外国人も多くて、編入する生徒も多いのだそうです。
そういう学校の方が、妃那様も通いやすいと」
「妃那が通いたいなら、一人で行けばいいじゃないか。なんで、おれまで一緒に転校させられなくちゃならないんだ……!?」
圭介の大声に驚く雪乃の前を通り過ぎ、部屋を飛び出した。
そのまま、妃那の部屋まで行って、ドアを激しくノックする。
返事を待たずにドアを開くと、妃那は白のセーラーと紺のミニスカートを身に着け、鏡の前に立っていた。
「妃那! これはどういうことだ!?」
「おはよう、圭介。どう、似合うかしら?」
妃那はスカートをひるがえして、笑顔でクルリと一回りして見せる。
「おう、すっげー似合ってるよ。だから、白鷺はおまえ一人で行け。おれは青蘭に戻るからな!」
「いやよ。わたし、初めて外に出るのよ。知らない人ばかりの中に、一人でなんて行けるわけないじゃない」
「……だったら、なんでいきなり高校に行くとか言い出すんだよ。おまえくらい頭いいなら、学校なんて必要ないだろ」
「でも、圭介が外の世界を見ろと言うから。
学校というのは、同じ歳の人が集まる一つの『社会』でしょう? そこから始めるのが妥当なところではないかしら?」
「そりゃそうかもしんないけど……。だからって、なにも、おれを転校させることないだろ。
おまえが青蘭に来ればいいだけの話じゃないか」
「圭介は青蘭でイジメにあっていたというじゃない。そんな学校、わたしは嫌だわ」
「おれがイジメにあってたのは、貧乏だったからであって、おまえがイジメにあうようなことは、地球が反対に回っても起こりえねえよ」
「圭介が青蘭に行きたいのは、桜子がいるからなのでしょう。そんなところにわたしが行かせると思う?」
ここで言い争っても、子供相手では意味がない。
妃那の納得するように話を持っていかなければ、振り回されるだけだ。
圭介はゆっくり息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「妃那、おまえの境遇には同情するし、おれにできることなら何でもしてやりたいと思ってるよ。
けど、それは血のつながったいイトコとして思うことであって、肉親の情に近いものなんだ。おまえに恋してるわけじゃない。
その違いがわかるか?」
「肉親の情というのは、哺乳類が自分の子供をお乳で育てることで生まれる感情で、恋というのは子を残したいという生存本能からくる異性に対する性の欲求でしょう」
(……話の次元が違う!)
圭介は一瞬言葉に詰まったが、気を取り直して先を続けた。
「おまえの知識に合わせるとすると、おれはおまえを産んだわけじゃないから、肉親じゃない。けど、『肉親の情に近い』感情はあるってことだよ。
桜子に対する感情は……まあ、子を残したいかどうかは、今の時点ではともかく、異性として惹かれるものがあるってことだ」
「つまり、圭介は桜子には性的欲求を感じるけれど、わたしに対しては感じないから、恋とは違う。そう言いたいのかしら?」
「端的に言うと、そういうことになる……のか?」
(……別に桜子とやりたいだけじゃないんだけど)
説明が難しいな、と圭介はしばらく考え込んでしまった。
「――ともかく! おまえは家族以外の男と話をするどころか、会ったこともないんだろ? これからいろんな出会いがある中で、おまえが将来幸せになれると思える相手を見つけるんだよ」
「それは圭介かもしれないでしょう?」
「その可能性だってあるかもしれない。けど、おれの桜子に対する気持ちは変わらないし、無理やりおまえと婚約したところで、おれはおまえを女としては愛せない。幸せにはなれねえ。
正式に婚約するにしても7カ月後なんだろ? それまでの間、おれ一人にこだわらず、世界を広げて、いろんな人間を見てみろよ」
妃那は黙ってじいっと圭介を見つめていたが、やがてコクリとうなずいた。
「わかったわ」
何度目の『わかった』だろうか。
本当にわかったのかのどうか不安になるが、圭介としては伝えたいことは伝えた。
相手はバカではないのだから、きちんと言葉の意味を考え、いずれ自分で答えを導き出すことだろう。
「そういうわけで、おれは青蘭に戻るからな」
「わかったわ。わたしも一緒に青蘭に行くことにする」
「……あ、そう?」
妃那があまりにすんなりと納得してくれるので、逆に拍子抜けしてしまう。
「そういうわけで、今日は学校に行くのは中止。圭介、デートに連れて行ってちょうだい」
「は!? なんで、いきなりデートになるんだよ!?」
「だって、圭介、退学届がすでに出てるのよ。復学するには手続きしなくてはいけないでしょう?
もちろんわたしの編入手続きもしなくてはならないから、今日、すぐに学校に行けるわけがないじゃない」
(おれ、知らない間に退学してたのか……)
夏休みが始まった時は、2学期に学校に戻ることができないとは考えてもみなかった。
バイトをして自分で学費を払ってでも通い続けようとしていたというのに、あっさり退学。
理不尽この上ないが、とにかく復学ができるのなら、この際なんでもいい。
学費も当然出してくれるのだろう。
桜子にはすぐにでも逢いたいが、事務手続きを待つくらいは仕方がない。
「だからって、なんでおまえとデートしなくちゃならないんだ?」
「外に出た方がいいのでしょう? それに、行ってみたいところがたくさんあるの。付き合ってくれるでしょう?」
外の世界への好奇心に目をキラキラさせる妃那を見て、仕方なしとはいえ、付き合ってやる気にはなれた。
「わかったよ」
(どう考えても、デートじゃなくて、子供のお守りだけどな……)
次話は新学期初日を迎えた桜子の話になります。




