31話 ストーカーじゃありません
桜子視点です。
神泉家まで全力疾走した桜子は、息を切らせながら門に到着した。
門の鉄格子からテラスのある庭の方をのぞいたが、ここからでは見えない。
「圭介ぇー!!」
桜子はありったけの声で、何度も圭介の名を呼んだが、誰かがそれに気づいて出てくる様子はなかった。
それとも、桜子がここに向かっている途中で、家の中に入ってしまったのか。
最初に訪ねた時と違って、ここに圭介がいることは確信しているのだ。
しかし、チャイムを鳴らして圭介を呼んだところで、「こちらにはいません」と返されるのは、目に見えている。
(もう逃がさないんだから!)
桜子は意を決して、門の鉄格子に手をかけた。
木登りは小さい頃から得意だ。
高々3メートルにも満たない門を登るくらい造作もない。
幸い通りがかる人もいない。
桜子はするすると木登りの要領で鉄格子を登った。
そして、1番上まで登りつめ、家の敷地にヒラリと身をおどらせる。
瞬間、遠くでアラームのような音が響いていることに気づいた。
(うそお……!)
大邸宅にそもそも防犯システムがないわけがない。
門を超えた時点でセンサーに引っかかったのだろう。
今頃、家の中では、侵入者を察知してアラームが鳴り響いている。
忍び込んでしまった以上、目的を果たさなければ意味がない。
桜子はテラスを目指して駆け出したが、すぐに家の裏から黒ずくめのスーツの男が二人、飛び出してくるのが見えた。
「なんだ、君は! 待ちなさい!」
(待ちなさいって言われて、誰が待てるかっていうの!)
とはいえ、屈強な男二人に行く手を阻まれてしまえば、桜子も足を止めざるを得ない。
侵入者の自分がこの二人を蹴り倒したらどうなってしまうのか。
考える余裕はなかった。
桜子は空手の構えを作り、1回の呼吸で集中力を高める。
捕まえようと手を伸ばしてくる一人の男に回し蹴りを放った。
――が、間一髪、女性の怒鳴り声で、桜子は我に返った。
「何の騒ぎです!?」
桜子が振り返ると、水色のサンドレスを着た女性――圭介の母親がそこに仁王立ちしていた。
桜子の蹴りが入る寸前だった男はその場に尻もちをつき、もう一人の男が口を開いた。
「百合子様、この娘が敷地に無断で入り込んだようで」
「こんな小娘一人に、何を大騒ぎすることがあるんです? 誤作動だったと、さっさと警備会社に連絡しなさい。こんな昼日中に車が駆け付けて、ご近所の注目の的になったら、うちの恥でしょうが」
「しかし、この娘は――」
「圭介に付きまとっているストーカーよ。わたしが追い払うから、あなたたちは早く行きなさい」
百合子の睨みの効いた一言に、男はひっくり返っているもう一人の男を引きずって、家の中へ戻っていった。
そして、彼女は、改めて桜子を見た。
その表情は険しい。
自分が歓迎されていないことに気づき、桜子は思わずひるんでしまった。
「あ、あたし、ストーカーなんかじゃ……! ちゃんと圭介と付き合っていて……」
「そんなことは知っているわ。けど、さすがのわたしも、このようなことは感心しないわよ。
他人の家に無断で侵入したなんて、おかしなスキャンダルになったら、ご両親だって迷惑でしょう。
あなたも自分の立場というものを考えなさい」
「……そんなこと、わかってます。でも、どうしても、圭介に逢いたいんです。ここにいるのは知っているんです。
だから、お願いです。ほんの少し言葉を交わすくらいは、許してもらえませんか? それもダメなら、一目見るだけでも……」
桜子は百合子の表情が変わらないのを見て、どんなに願ってもムダなのだろうと思った。
それでも、願わずにはいられなかった。
ずっと逢えなくて、やっとの思いで圭介を見つけた。
すぐそこに圭介がいることが分かっているのに、逢えないなんて理不尽だと思ってしまう。
その理不尽さに、涙があふれてくる。
「いいから、今日はこのまま帰りなさい。それから、2度とここに来てはダメよ」
桜子は涙をポロポロと流しながら百合子に背中を押され、門のところまで戻らざるを得なかった。
圭介に逢えないこともさることながら、圭介の母親に拒絶されたことも、心に痛かった。
大好きになった人の母親には気に入られたかったのに、最悪の初対面。
醜態をさらして、気に入られるどころか、2度と息子には会ってほしくないと思われた。
百合子を振り切って、もう一度、圭介の元へ駆けることも可能だったが、そんな勇気はもう出てきそうもない。
「あたし、それでも圭介に逢いたかったんです……。家族のことなんか考えてあげられる余裕なんてないくらいに。圭介が好きで、大事で、誰よりも一緒にいたいって思ってるんです……」
そのまま通用門から外に出されても、桜子はそこから動けなかった。
無情にも扉の閉まる音と、鍵のかかる音が背後から聞こえてくる。
「連絡が取れなくなって、不安なのはわかるけど、相手の気持ちが信じられないのなら、そんな恋愛は最初からうまくいかないわよ。あなたもまずは頭を冷やしなさい」
桜子が振り返ると、門越しに百合子の姿がまだあった。
その表情は先程と違って、どこか呆れたような顔だった。
「それって、どういう……?」
百合子は桜子の問いに答えることなく、踵を返して去って行ってしまった。
(頭を冷やしてって言われたって……)
1度は収まったはずの涙が再びあふれてくる。
「桜ちゃーん」と、薫子がナップザックを揺らしながら駆けてくるのが見える。
「ダーリンには会えた? ……て、どうしたの? どうして泣いてるの?」
薫子は心配そうな顔で、桜子の頬を両手ではさんだ。
「会えなかった……ここにはもう来るなって……」
「誰に言われたの?」
「圭介のお母さんに……」
「それで、桜ちゃんはあきらめることにしたの?」
「あきらめられるわけないよ!」
「じゃあ、次の作戦立てて、また頑張ろう」
薫子が元気づけるように笑いかけてくれる。
協力してくれる誰かがいることに、ほんの少し心が慰められた。
「ねえ、薫子。あたし、間違ってるのかな……」
「何が?」
「圭介に逢えなくて不安になるのは、圭介の気持ちを信じてないからなの?
こんな風に早く圭介を見つけ出したいって思うのは、圭介の心が変わる前に、捕まえておきたいって焦るからなの……?」
「それは桜ちゃんが、1番わかってることじゃないの?」
連絡も取れず、居場所もわからず、『呪い』に遭った3人のように、2度と会えなくなってしまうのが不安だった。
それ以上に、会えない間に、あの時の3人のように、圭介もまた新しい生活を始めて、桜子のいない人生を選ぶことが1番怖かった。
「そうだよ! だって、何があっても圭介が自分を好きでいるなんて、そんな自信、あたしにはないんだもん……! 圭介だって、他のみんなみたいに、あたしのいない人生を選んだっておかしくないんだもん!」
「でも、ダーリンは桜ちゃんが選んだ人だよ。初めて恋した特別な人だよ。
すぐに心変わりするような人だったら、桜ちゃんは最初から好きになったりしないんじゃない?
ダーリンに出会ってからのこと、よく思い出して。どうして恋したのか、ゆっくり考えたら、答えもおのずと出るんじゃない?」
百合子が『頭を冷やせ』と言ったのは、そういうことなのだろうか。
(あたしはどうして圭介を好きになったの? 他の人とどう違ったの?)
「そうだね……。少し落ち着いて考えてみるよ」
桜子は涙をふいて、薫子に笑顔を向けた。
次話、第3章最終話になります。
桜子と会うことのできなかった圭介は……?




