25話 神様からのお告げって……
目を覚ますと、圭介はいつの間にかベッドの上で寝ていた。
目の前にはホッとしたような母親の顔がある。
「ああ、やっと気が付いたのね」
圭介としては朝が来て、普通に目を覚ました気分だったのだが、母親はずいぶん大げさに喜んでいる。
「……おれ、どうしてたんだっけ?」
「覚えてない? おとといの夜、階段から落ちて気を失ったきり、ずっと目を覚まさなかったのよ」
「ウソだろ?」
(……ちょっと待て。まさか、妃那とのやり取りも全部夢の中の出来事だったのか!?)
それにしては生々しい夢で、細部までよく覚えている。
「お医者さんは軽い脳震盪だから、すぐに目を覚ますだろうって言ってたのに。昨日も目を覚まさなくて……心配したんだから。
足は痛む? 捻挫しているって言ってたけど」
「……普通に痛い」
「もうじきお医者さんが来るから、痛み止めを出してもらわなくちゃね。その前にお腹空いてない? ご飯食べる?」
言われて、思い出したように腹がグウと鳴った。
おとといの夜からというと、丸1日以上何も食べていないことになる。
「腹減った……」
母親が内線で食事を頼んでいる間、ふと枕もとを見ると、長い黒髪が一本落ちていた。
どう見ても圭介のものでないそれは、妃那のものとしか考えられない。
(やっぱ、夢じゃなかったんだよな……てことは、あの後、妃那はどうなったんだ?)
妃那の身に何かあったら、今頃家の中は大騒ぎになっているはずだ。
母親のいつもと変わりない姿を見る限り、これといって何もなかったのだろう。
(でも、それじゃダメなのに……)
昨夜のやり取りで、せっかく妃那を人間に戻すきっかけがつかめたと思えたのに、圭介が意識を失ってしまったせいで、中途半端なところで終わってしまった。
妃那が再び人形に戻ってしまったのではないかと思うと、居ても立っても居られない。
昨夜は気づかなかったが、松葉杖がベッドに立てかけられている。
圭介はそれをつかみながら、ベッドを下りた。
「え、圭介、どこ行くの!?」
母親が電話口で慌てたように振り返る。
「ちょっと妃那の様子を見てくる。すぐ戻るから、母ちゃんはそこで待っててくれ」
慣れない松葉杖を使いながら廊下を進み、二つ隣にある妃那の部屋のドアをノックした。
「あら、圭介様」
ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、妃那付きの若いメイド、和代だった。
「妃那様にご用事ですか?」
内緒話をするように、和代は声をひそめる。
「用事というか……どうしているのかと思って」
「今日はまだお目覚めになってませんの。久しぶりにゆっくりと眠られているみたいで」
妙に小声で話すのは、どうやら妃那を起こさないようにという配慮だったらしい。
「そうですか」
「お目覚めになりましたら、お知らせに伺いますね」
「じゃあ、お願いします」
妃那が昨夜から起きていないのなら、変化があったとしても、今の時点では誰も気づかなくても不思議はない。
圭介は再び自室に戻って、ベッドに腰を下ろした。
かいがいしく世話を焼く母親に従い、妃那が目覚めるのを待ちながら、その日1日をベッドの上でゆっくりと過ごすことになった。
医者によると少しは動いた方が身体が活性化し、ケガの治りが早いという。
そういうわけで、夕食の時間、圭介は松葉杖をつきながら1階の食堂に下りていった。
正式に離婚した母親も神泉家の一員となって、今は家族の食卓に加わっている。
「ケガはどうですか?」
相変わらず静かな食事が始まる中、祖母の琴絵が労わるように圭介に声をかけてきた。
「薬が効いているので、痛みはそれほどでもありません。歩くには不便ですけど」
「そうですか。あまり無理をしないように」
「ご心配ありがとうございます」
「そもそもおまえは夜中に部屋を出て、何をしておったのだ?」
源蔵の質問に、圭介は一瞬言葉に詰まり、それから慌てて笑顔を貼り付けた。
「ええと、どうもトイレに行こうとして、寝ボケていたのか、前の家と間違えたみたいで」
(桜子に内緒で会おうとしていた、なんて言ったらマズいよな? しかも、ダマされたし)
源蔵の鋭い視線が圭介のあからさまなウソを見抜いているように見えたが、それ以上、突っ込まれずにすんだ。
「まあ、大事に至らなくてよかったというところだ。以後、気をつけるように」
「はい」と、圭介は素直に返事をしておいた。
再び食卓に静寂が戻った直後、食堂の扉が音を立てて開いた。
「大変でございます!」
飛び込んできたのは和代だった。
妃那に何かあったのかと思って、圭介は思わず立ち上がった――が、バランスを崩してイスに座り込んだ。
「なんだ、和代。食事中だぞ」と、源蔵の冷たい声が辺りを震わせる。
「そ、それが……妃那様が……」
和代の顔は幽霊にでも遭遇したかのように青ざめて、言葉もうまく出てこないようだった。
「妃那に何があった?」
そう言って立ち上がったのは、妃那の父親である智之だった。
その質問に答えるように、和代の背後から妃那がゆっくりと現れる。
初めてこの食堂にやってきた時の妃那とはまったく雰囲気が違う。
赤い着物姿は変わらなかったが、きちんと帯を締め、髪もきれいにとかしつけている。
なにより、正面を見据える凛とした瞳には精気が宿っていた。
涼しげな切れ長の目とすっきりと通った鼻筋、ぽったりとした赤い唇。
人形のように美しい少女だ。
妃那は驚く面々に気を留めることなく、食卓にしずしずと進み、源蔵の正面に立った。
「神泉家の皆さま、先刻、神託が下りました」
声を発するはずのない妃那の突然の言葉に、圭介を除く全員が一様に驚いた。
圭介も初めて聞いた時は、耳を疑ったのだ。
ましてや、十数年、一緒に生活してきた家族にしてみれば、驚く以上に異様な光景なのかもしれない。
「妃那、おまえ……」
智之もまた突然変わってしまった娘に言葉を失っている様子だった。
(でも、まあ、妃那が普通の生活をする気になってくれたみたいで、よかった……けど、神託って何だ? 変な芝居でも始めるのか?)
「神託とは?」と、圭介の代わりに源蔵が聞いている。
普段から表情のよくわからない祖父だが、今回ばかりはその声がかすれていて、緊張している様子がわかる。
妃那はそれに応じるように目をほんのりと細め、ゆったりと口元に笑みを浮かべた。
「初代、久須児様がわたしの夢枕に立たれ、こうおっしゃいました。
わたしが『知る者』として神泉を繁栄に導けと。そうして、叡と智をお授けになったのです」
妃那の歌うような一本調子な話し方は、どこか神懸っているように聞こえる。
この食卓という空間さえ、別世界に変えてしまう雰囲気を持っていた。
「初代様は、妃那、あなたを後継者にせよ、そうおっしゃったということか?」
源蔵は確かめるように妃那に聞いた。
「ええ、おじい様。わたしは久須児様の意をそう受け取りました。
そして、もう一つ、皆様に告げなくてはならないことがあります。
悠久の時が過ぎ、神泉の血が薄まっていることに、久須児様は嘆かれておられました。ですから、わたしはここにいる圭介を伴侶といたしましょう。
神泉家、現当主であるおじい様も異論はございませんでしょう?」
「無論、それに従うまで」と、源蔵は神妙な顔でうなずいた。
(ちょーっと待て! 何なんだ、この茶番は!?)
次話、この場面が続きます。不可思議な雰囲気から、食卓は騒然。




