14話 ホラーハウスへようこそ?
家の案内をしてもらった後、圭介はその足で母親の部屋に向かった。
母親を訪ねるのに部屋のドアをノックするのは、圭介にとって生まれて初めてのことだ。
今までは狭い家の中、まったく必要のないものだった。
もっとも思春期に入ってから、母親が突然部屋に入ってきて、「いきなり入ってくんなよ!」と圭介の方が何度か怒鳴ったことはあるが。
それはもちろんエロ画像相手に自慰にふけっていた時限定の話だ。
「どうぞ」という声にドアを開くと、母親は窓辺のイスに座ってコーヒーを飲んでいた。
「ああ、圭介」
振り返った母親は、昨日より穏やかな表情をしていた。
「昨夜はゆっくり休めたか?」
「まあね。あんたもコーヒー飲む?」
「いや、いい。それより今、話してもいいか?」
圭介がためらいがちに聞くと、母親はクスクスと笑った。
「なに、遠慮してんの? そこ座れば?」
圭介は母親の向かい側に座って、ぐるりと部屋を見回した。
天蓋付きのベッドにはフリルのついたカーテンがついていて、リネンも白いひらひらレース。
棚には所狭しとクマの人形が置いてあって、ピンクで統一された空間は、さながら10代の少女の部屋のようだ。
「ここ、母ちゃんの部屋?」
「そう。家を出た時から全然変わってないから、時間の感覚がおかしくなりそう」
「部屋、そのままにしておいたってことは、やっぱ母ちゃんがいつ帰ってきてもいいようにしてたってことじゃないのか?」
「さあね。あたしがいなくなってから、開かずの間だったらしいから、単に片付けるのもイヤなくらい、頭に来てたのかもしれないけど」
そんなところで意地を張る必要はないのに、と圭介は思ってしまう。
「離婚のこと、どうするつもり?」
母親はふうっと大きく息を吐いて、窓の外を見つめた。
「あんたくらいの歳の頃、自由に憧れてたのよね。この家の外には楽しいことがいっぱいあって、逢いたい人もいて――。
だから、親や使用人の目を盗んで、この家から抜け出してたのよ。この家を離れても、恋しいなんて1度も思わなかったわ。あたしの大事なものは、いつも外にあったから」
「うん……」と、うなずきながら、圭介は母親の話に耳を傾けた。
「けど、今、戻って来てみれば、あんたはここにいるし、外の世界にはもうあたしの欲しいものは何にもなくなってたのよね。それに気づいたら、出ていく気にもなれなくなっちゃったわ」
「父ちゃんと離婚したくないんだろ? 母ちゃんがそのつもりなら、おれも一緒に出ていくよ。そしたら、やっぱり外の世界で生きたいって思うんじゃないか?」
母親は困ったように小さく笑って、圭介に逆に問いかけてきた。
「あんたはどうしたいの? お父さんはあんたを後継者にしたいみたいだけど」
「正確には候補の一人って感じだけど……正直言うと、あんまりこの家の後継者ってのは興味ないんだ。けど、桜子と付き合っていくなら、やっぱり家柄みたいなのはあった方がいいだろ?
後継者云々はともかく、桜子を貧乏生活に引きずりおろしたくないってのもあって、このままジイさんの孫でいた方がいいかと思ったりする」
「同じ後継者なら、藍田グループの方がいいってわけ?」
「桜子は絶対に家を継がなくちゃいけないわけじゃないから、最悪、おれがこの家を継ぐことになっても問題ないと思うけど――」
「残念ながら問題大ありよ」と、母親にさえぎられた。
「なんで? ジイさんにも別れろって言われたんだけど。もしかして、藍田の家と仲が悪いのか?」
「そうじゃないわよ。問題はこの家、神泉家の方」
「神泉家って、特別な何かがあるのか?」
母親の深刻な顔を見て、圭介はゴクリと息を飲んだ。
「あたしも家を出てるし、あんたも関係ないと思っていたから言わなかったけど……神泉家って神社なのよ」
「は……?」と、圭介は意外な言葉に間抜けな声が出ていた。
この洋館といい、西洋の城のような内装といい、あまりに神社のイメージとはかけ離れている。
「どう見ても神社とは思えねえけど……」
「ここはただの家よ。地下にご神体が安置されてるけど。京都と東京にも『神泉神社』っていうのあるのよ」
「へえ……。ご神体って、何を祀る神社なんだ?」
「神泉家の初代様。うちのご先祖様ね」
「……ちょっと待て」と、圭介は手を挙げた。
「ご先祖って、普通に人間だよな?」
「人間じゃなかったら、何だとでも?」と、母親は怪訝そうな顔をする。
「そうじゃなくって、そのご神体が地下にあるってことは、まさか死体があるのか?」
母親が真顔でうなずくのを見て、圭介はゾワッと鳥肌が立った。
このきらきらしい屋敷が、急におどろおどろしいものに思えてくる。
(だって、地下に死体って、つまり墓ってことだろ!?)
「よ、よくそんな家で生活していられるな……。気味悪くねえのか?」
「そうよねえ。普通に幽霊とか出てきそうでしょ?」
「まさか……出るのか?」と、圭介はゴクンと息を飲む。
「残念。1度も見たことなかったわ」
母親はそう言ってニッと笑う。
「……まあ、だいたい母ちゃんって、そういう怪奇現象とかと縁なさそうだもんなー」
圭介がははっと乾いた笑いを上げると、母親はむっとしたように口を尖らせた。
「かわいげがないって言いたいのかしら? あたしだって初めてこの話を聞いた時は、怖くて眠れなくなって、お父さんのベッドに……なんて話は、今はどうでもいいわ」
母親が恥ずかしそうに口をつぐむので、「そうだな」と圭介も同意しておいた。
(母ちゃん、小さい頃はジイさんのことが好きだったんじゃねえか)
「よし、話を戻そう。それで、この家が神社っていうのと後継者の話、どう関係あるんだ?」
「あんたもここに居続けることになるなら、そのうち習わされると思うけど――」
母親がそう前置きして話してくれた内容は不思議な話で、なんだか現実味がなかった。
神泉家の発祥は飛鳥時代まで遡る。
初代神泉家当主、久須児は神通力を持っていて、当時の朝廷に大きな影響を及ぼしていたという。
その神通力を後代にも残すために、一族は近親婚を繰り返してきた。つまり、当時は異母兄弟間の婚姻が普通だった。
今は法律が厳しくなったが、それでも神泉家では初代の血を濃く残すために、後継者は血の近い者と結婚する同族婚の習わしが残っている。
琴絵は源蔵の叔母、智之が結婚した早苗もイトコにあたる、といったように。
全国には神泉家の分家がいくつもあって、この神泉本家に嫁や婿を差し出すために、脈々とその血を継いでいる。その血の濃さで分家の序列まであるらしい。
その分家として認められる条件は、神泉本家との姻戚関係を持つことを始めに、二代目以降も同じ血筋の者との結婚が条件になる。もちろんその先も血が途絶えた時点で、分家は抹消。
つまり、今は『どこの馬の骨』である圭介も、神泉一族の血筋の女性と結婚して子供ができると、『瀬名家』も新しい分家の一つとして数えられることになる。
その特典は、莫大な資産を持つ神泉本家からの援助。
そういう利点があるので、分家同士での婚姻は今でも続けられているらしい。
そんな分家の中でこの神泉本家の当主というのは、初代久須児の血を1番色濃く継ぐ者で、神にも等しい存在――カルト教団でいうところの教祖様レベルとなる。
(なんか、ヤベえ家じゃねえか?)
圭介の感想はそのひと言だった。
源蔵の妙にこだわる『血筋』や家を守ろうとする気迫、血族以外の者に対する冷たい態度を思い出す。
今さらながら、あれはどこか神懸っているような気がした。
(神泉家の当主って、タダ者じゃねえよな)
次話、この場面が続きます。