4 取引成立
「いえね、貴女にも損はない取引だと思いますよ。——私が嫌味眼鏡と呼ばれているのはもちろん知っていますね?」
むしろ、あなたが知っていたんかい! といった淑女らしくない言葉は呑み込み、こくん、と首を縦に振る。
「私はその呼び方でも一向に構わないんですが……実際嫌味半分ですからね、自覚がない貴族とは嘆かわしい……、それは置いておくとして、こんな私にも一定数、秋波を送ってくる女生徒がいるんですよ」
「え……?!」
何がよくて? 見た目? 家柄? 能力? あ、全部兼ね備えてたわ……そりゃ、いるわ。いるいる。うん。私が意識したことがないだけで。
「という訳で、お互いの虫除けのために、卒業までの期間、清い交際をしませんか?」
「は?」
何言ってんだこいつ、までは呑み込んだが、は? は呑み込めなかった。
「何、別に休日や放課後に遊びに行こうとかそんなつもりはありません。学園内でそれっぽく見えればいいんです。休み時間に一緒に勉強をしたり、ランチをご一緒したり。もちろん生徒会室には二人で行って二人で出ましょう。帰りは馬車まで送ります。どうです? 貴女に得ばかりな条件だと思いませんか?」
私は並べ立てられる条件と言われる数々を慎重に頭の中でシミュレーションした。休日や放課後は縛られることもなく、生徒会の仕事もディーノ殿下と二人きりにならずに済む。
詰まるところ、バルティ様も辟易している訳だ。その秋波とやらに。
私とバルティ様は身分のわりに婚約者が決まっていない。
私の場合は将来の辺境伯として立ってくれる優秀な方を探したいので同年代から見つける気もなく、バルティ様のお父上は現国王陛下の弟君にあたる。新しい公爵家でありながら、王家にかなり血が近いので、新興貴族と侮る事はできない。
弟君と言っても、宰相として働く優秀な方だ。賢王と称される陛下に物が申せるのはバルティ様のお父上……マッケンジー公爵閣下くらいだともいう。
そのくらい隙がない。そんなお父上の子供なら、たしかにバルティ様が嫌味眼鏡と呼ばれても仕方ないほど、物怖じせずわずかな不正も正面から言葉で叩き潰す性分なのも頷ける。
そんな親子なものだから、下手な女性はバルティ様に嫁ぐことはできない。身分も低過ぎてもいけないし、身分だけ高くてもいけない。彼も同年代から探すのは諦めているのだろう。
私は今のところその嫌味の被害にあったことはない。だから悪感情はないし、清い交際とこの方は言った。婚約する訳でもないから、きっと触れるにしてもエスコートする程度だろう。
殿下のように急に手を取ったりは……あぁ、思い出すだけで虫唾が走る。
「………清い交際ですね? 卒業までの間の」
「えぇ。恋愛感情、などというものが我々の間に存在したことがありますか?」
「ないですね」
「外から、そう見えればいい、というだけです。私は身分が高く秀でた能力を持つ貴女に虫除けとして非常な魅力を感じています。取引ですよ。どうです? 乗りますか?」
取引の場では、持っているカードを見せずに長引かせ油断を誘う場面と、ぐずぐずとせずに即断即決をする場面がある。
少なくとも、私はこの嫌味眼鏡は嫌いじゃないし虫唾も走らない。
「いいでしょう。その取引、乗ります」
「では、明日の校門前から、という事で」
薄ら笑いを浮かべてはいたが、どこか少し満足そうだ。余程困っていたのだろう。確かに、婚約者も恋人もいないのだから好意を向けられたところでぶつける正論は無い。まして、ここは身分差が関係ないとされている学園だ。かと言って、下手な令嬢とくっつくわけにはいかない身分のお方である。
きっといい戦友になれるはずだ。残りの学園生活を平和に過ごすという意味で。
私とバルティ様は硬く握手すると、すんなりと手を離してそれぞれ帰りの馬車に乗った。