往診
「ケイイチさん、いらっしゃいますか」
昨日夢で聞いたのと同じように声を掛けながら、アカマ先生が縁側から室内に上がり込むのを、わたしは少し離れて眺めていた。
葬儀の片付けの後にこちらの往診に行く、とアカマ先生がおっしゃるので、かなり強引に頼んで、連れてきてもらっている。
診察の後で、もしケイイチさんがOKであれば、『はらはら様』 についてヒアリング調査をする。そういう手筈になっているのだ。
もしかしたら、ケイイチさんが嫌がるかもしれない、という懸念は、本人が直接縁側から顔を出してくれたおかげで、すぐに解消した。
「橘花ちゃんじゃろ、まあ入りんさい」
「お邪魔します。おじいちゃんをご存知なんですか?」
「知っちょるが、それより、うちのが、あんたのおばあちゃんの友だちでの。あんた、小さい頃しょっちゅう遊びにきちょったんよ」
まあ大きゅう、べっぴんになって、と懐かしそうに目を細められた。
「わたしが3歳頃……ですか?」
「ほうじゃ。お転婆でのー、ほれ、おばあちゃん同士がしゃべくるばかりで退屈なもんじゃけ、田んぼで遊ぼうとして転んで、上から下まで泥だらけになったじゃろ」
「はあ……」
残念ながら、覚えていない。
「じゃあ、まずは診察しましょうか」
アカマ先生が簡単な診察をし、捻挫した部分の湿布を取り替える。
昨日、夢の中で交わしていたのと、ほぼ同じ会話が繰り広げられる。
「どうして、前の先生が 『はらはら様』 なんですか」
気になっていた台詞がケイイチさんの口から出て、わたしは会話に割って入った。
「そりゃあのう」
ケイイチさんは、事も無げに言った。
「頼めば楽に死なせてくれるち、評判だったきに…… 大きな声じゃあ、言えんがの」
※ ※
※ ※ ※ ※ ※
山道は、下り坂の方が怖い。
そろそろと慎重に車を進める、アカマ先生の顔は、少々、青ざめてこわばっている。
髪をきちんと整えて、顔を洗ったらしいその顔は、葬式の時とは違って、なかなか仕事ができる印象だけど…… いかんせん、ちょっと怖い。
眼鏡の奥の切れ長の目が、話しかけづらい感じに真剣になっていて、表情って重要だな、と思わずにはいられなかった。
「……きっと、単なる噂ですよ」
道が平坦になったところで、わたしは先生に言ってみる。
「安楽死だなんて、法律では認められていないじゃないですか」
「法律で認められている方法なら?」
「そんなのがあるんですか?」
「たとえば、亡くなる直前の患者さんを、苦痛を軽減するため、という名目で、強い薬で昏睡状態に落としても、安楽死……つまり、自殺幇助には、ならないんですよ」
先生の手が、きつくハンドルを握っている。
「それは、そうでしょうね」
「けれど、意識の死は、死じゃないと言えるでしょうか?
考えようによっては、患者さんの周囲の人は、2度の死を体験しなければならない。意識の死と、身体の死です」
「…………」
想像しようとしたけれど、あまり実感はわかなかった。わたしにとって 『はらはら様』 は身近でも、『死』 自体はまだ遠いものなのだ。
「……きっと、つらいでしょうね」
「そうですよ。苦痛はいろいろな方法で軽減が可能です。もし、前の先生が安易にあんな方法を使っていたとしたら…… それは、許されていいことじゃない」
どうやら、アカマ先生の倫理観には強く反することらしい、ということしかわからず、わたしは少し戸惑った。
苦痛の軽減には、確かにいろいろな方法があるんだろうけど、この村でできることは限られている、と思う。
それに、この村の人たちはきっと、生まれた場所で死ぬ、ということを、とても大切にしているのだろう。
――― まだ、生まれた家に居られるうちに。まだ、見送ってくれる友だちがいるうちに。
苦しみなく、痛みなく、眠るように逝きたい……。
そうした気持ちをきっと、誰よりもよく分かっていたのは、前の先生なのかもしれないわけで。
「もう亡くなって、事実もわからないわけですし、一方的に責めるのも」
「僕の気持ちもわかってくださいよ。『はらはら様』 と呼ばれるだけでも嫌なのに、それが安楽死を求められてるのだとしたら、最低です」
「あ、それはわかるかも」
先生は妖怪でも神様でも、ないわけだから、人の命を左右できると思われても困るんだろう。
それも、先生にとっては受け入れられない方法を求められても、ストレスになるだけに違いない。
「じゃあ、とりあえず、事実をもう少し調査してみませんか」
わたしは先生に、提案した。
「対応は、事実を調査してからってことで」
※ ※ ※
※ ※
※ ※
「おばあちゃん、ただいま」
「お帰り」
家に戻ると、先に帰っていた祖母は昼食を作ってくれている最中だった。
湯気の立つ鍋から、野菜の煮える匂いがする。
手伝うよ、と言うと、じゃあお握りに海苔を巻いてちょうだい、と返されて、思わず笑ってしまう。
「なんね」
「おばあちゃんのお手伝いっていったら、それか、食器を並べてちょうだい、じゃったけえ、昔っから」
「ほうかねえ」
「ほうじゃ」
「橘花ちゃん、お握りが好きじゃもんねえ」
「おばあちゃんのお握り、美味しいもん」
「じゃあ、たくさん作ろう」
祖母が作るお握りが冷めないうちに、大きめの海苔で素早く包んでいく。
子供の頃にも手伝っていた作業の息は、ぴったりだ。
「図書室で、何か参考になるようなものがあったかね」
「ううん。図書室はやめて、ケイイチさんに話をきいてきた」
「ケイイチさんって、上の谷口さんのとこね」
「おばあちゃん、お友達じゃったって?」
「ほうよ。亡うなってからは、とんと行き来しなくなっての。おじいちゃんが時々、行く程度じゃ。橘花ちゃんもよう、遊んでもろうたけどのぉ」
「うん、それ聞いた」
祖母が懐かしそうに始めた思い出話を聞きながら、わたしはおにぎりに海苔を巻いていく。
「午後にでも図書室に行ってみるかね。街の図書館じゃったら、明日か明後日におじいちゃんに頼むとええが」
「うーん…… ちょっと、それより気になることがあって……」
わたしは曖昧に、言葉を濁した。
『はらはら様』 の調査だけでなく、前の先生の調査、となると、少し言いづらい。
「午後から診療所に行こうかな、と思ってる」
「具合悪いんかね」
「ううん。じゃなくて、前の先生が 『はらはら様』 って呼ばれちゃってたでしょ。どうしてかなー、と」
「そりゃあ、そうじゃろ」
祖母が、お握りを並べながら、アッサリと言った。
「だって、医師が見守っててくれるから、安心して死ねるんじゃもの。『はらはら様』 みたいじゃあ?」
ほうじゃね、と私は答える。
祖母の表情は、いつも通り明るく穏やかで、何か隠しているようには見えなかった。
やはり、ケイイチさんは勘違いしていて、わたしやアカマ先生は考えすぎているだけ、なんだろうか……。
「よし」
祖母が上機嫌で、皿に並んだお握りを眺める。
「これと漬物と味噌汁、それに卵で済ましてしまおう。簡単でごめんねえ」
「いや、御馳走じゃ」
お世辞ではなく、村でとれた米、卵、野菜に味噌は、めちゃくちゃ美味しいのだ。
祖父が帰ってきて、揃って手を合わせ、昼食は始まった。
子供の頃に食べていたのと変わらない味を、久々にほおばる。
「橘花ちゃんがここに居るなんて、夢のようじゃね」
「もっと、度々帰ってこられれば良かったんじゃけどねえ」
「そいなこと気にせんでも、元気でいてくれりゃ、それで御の字」
嬉しそうな祖父母に、大学の生活やバイトのことを話しながら、わたしは、やっぱり考えすぎだったかも、と思う。
高齢者ばかりで、1人暮らしで寝たきりの人もいるとはいえ、祖父母のように、村の人たちの大半は元気だ。
もしかしたら、 『死』 について平気な顔で話す彼らが、まだそこから遠いわたしにも、『患者さんを治す』 のが仕事のアカマ先生にも、異様に見えただけなのかもしれない。
――― けれども、もしかしたら、わたしは 『考えすぎ』 と思うことで、大事なことから目をそらしているだけかも、しれない。
どちらにしても、まずは、事実を確かめないことには。
――― 大事なことを口に出すには、それなりの裏付けが必要なのだ。
「ほいで、後でやっぱり診療所へ行くの?」
祖母にきかれ、わたしはお握りで口をいっぱいにしたまま、うなずいた。




