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不思議な夢

「ただいま」


 誰もいないはずの室内に声をかけて、手探りで電気の紐を引っ張る。


 明かりに照らされたダイニングキッチンは広すぎて、一瞬、空っぽのような錯覚に陥ってしまう。


 ――― 昔、家族で住んだこともある広い屋敷。

 昨日帰った時も、まずは 『静かすぎるな』 と思ったものだが、祖母とわたし、2人だけの今夜は、ますます、がらんと寂しいように感じられた。


 もし、わたしがいなければ、祖母はここで、ひとりの夜を過ごすところだったのだろうか。



「疲れたじゃろう。明日は本葬じゃけえ、早くお風呂に入って()のうかね」


「おばあちゃん、先に入って。後で、掃除もしとくから」


 祖母が、じゃあそうさせてもらうかねえ、と、風呂の準備を始めた。


「何かあったら呼んでね」


 わたしも少し休もう、と自室に向かう。


 廊下の向こうの、中庭が見える8畳間。

 昔、曾祖父の病床があった部屋だ。


「ふううう」


 かつて曾祖父が寝かされていた位置に布団を敷き、仰向けに寝転んで、息を吐いた。


 明日は本葬。昼前には終わって後片付けがあるはずだ。


(その後は、公民館の図書室で調べものをしようかな)


『はらはら様』 は、村の伝承にあたるのだろうから、関係した本が見つかるかもしれない。


(どんな姿に描かれているのかな)


 それとも、わたしが幼い頃に見た、白い光、そのままなんだろうか。


 ――― 曾祖父の枕元にたまっていた、白くモヤモヤとした光。

 あれは今も、村の誰かの枕元に、いたりするのだろうか……。


 上目遣いに床の間の方を確認するが、それらしきものはもちろん、何も見えない。


 わたしが大人になったからなのか、それとも、単なる(まぼろし)だったのか。

 それとも、今はこの場に用事が無くて、よその命をはらはら散らしに行っているのだろうか……


『そげに白い目で見てもの、何も()えがや』


 不意に、記憶の底から曾祖父の声が聞こえた気がした。


『大事なものを見たけりゃの、目と口を閉じてみんさい』


 ――― 口も……?


『ほんとうに大事なことは、口にはできねえもんでよ』


 曾祖父と話したことなど、今まで思い出しもしなかったのに、その(なま)りのある口調は懐かしく、わたしは言われるままに、目と口を閉じた。



 ※  ※

 ※  ※ ※

 ※      ※



 ――― 「よろしければ、どうぞ」


 通夜の宴は、そろそろ酒も尽きようという頃で、わたしは、熱いお茶と盆に並べられた菓子を配っていた。


 屋敷の布団の上で目を閉じていたはずが、いつの間にか、公民館に戻ってきている。


「先生様に、えろうすみませんねえ」


「いえいえ、僕は新参者ですから」

 答える声は、わたしではない、男の人のものだった。


 ――― ということは、たぶん、これは夢なんだろう。

 そういえば、この村に住んでいた子供の頃は、時々こういうリアルな夢を見たものだ。

 『はらはら様』 といい、この夢といい…… 不思議、だけでは済まされない気がする。


 そんな、わたしの思いとは裏腹に、わたしの外側の男の人は、丁寧に祖父たちにお辞儀をした。


「では、そろそろ失礼します。まだ往診が残っているもので」


(カミ)のケイ坊じゃろ」


「ええ。毎日行くと約束していまして」


「次はケイ坊かの……」


「さあ。治るつもりがあれば、まだまだ長生きされると思いますがね」


 わたしがはぐらかすのを無視して、老人たちは口々に喋り始めた。


(カミ)は、はあ、全滅じゃねえ」

「あそこはもともと、不便じゃもの。仕方がないでね」

「ケイちゃんも寂しかろうに」

「頑固じゃもの、一緒に暮らそうっち、せっかく息子さんが言ったのに、怒鳴りつけたとよ」

「でもよお、街へ出てものお…… 友達もいない、田んぼも畑もねえで、毎日何をするともない」

「ほうよな。松坂のチヅちゃん見い、認知症んなってよ、結局は施設ゆきじゃとよ」

「あわれじゃねえ」


 盆の中の菓子は、いつの間にかなくなっていた。


「では、そろそろ……」


 もう1度、軽く会釈するわたしに、「どうもお世話になります」 「ケイちゃんによろしうお伝えくださいませ」 と声がとぶ。


「皆様も、ご無理されず、交代にお休みくださいね。では」


 わたしは更にもう1度、軽く頭を下げて踵を返し、考えた。


 ――― この場所以外では暮らせない彼らだが、誰も、最後のひとりには、なりたくないのだろう。

 だから彼らは、『はらはら様』 を受け入れているのでは、ないだろうか。



『鹿注意』の標識がかかった坂道を、ゆっくりと車で登ると、ぽつり、ぽつりと民家が見え出す。

(カミ)』 と呼ばれているこの辺りは、山間(やまあい)の小さなこの村集落の外れの、少々高台にあたる場所だ。

 村の中でも特に不便な立地のせいで、近年は人が減っていくばかり。

 ――― 見えている民家は、一軒を覗き、無人である。


 その残った最後の一軒が、ケイイチさんの家だった。

 奥さんには先立たれ、現在は糖尿病を患いながら、独り暮らしだ。


「ごめんください」


 電灯が()いたままになっているその家の庭にまわり、縁側から中を覗くと、強烈にクサい臭いがした。


「ケイイチさん、いらっしゃいますか。往診にきました。お邪魔しますよ」


 声を掛けつつ中に入る。いつも寝ている部屋の、敷きっぱなしの布団は――― (から)だ。


「ケイイチさん、どちらですか」


 嫌な予感を抑えて、患者を探す。


「ケイイチさんー? いらっしゃいますかー?」


「……くるな、くるなっちゃ。放っちょけ」


 廊下の奥から、呻くような声が聞こえた。

 最悪の事態を予想していただけに、心底、ほっとする。


「そうは言いましてもねー」


 穏やかに返事をしつつ、そちらへ向かい、やはり、と思った。


 ――― トイレに向かう途中で転倒し、失禁。


 もともと、病気が原因で脚が動きにくくなっていた人である。

 おそらくは、転倒の際に怪我をして動けなくなり、後始末の途中で力尽きたのだろう。


「えーと、ヘルパーさんは来た? その後、こけちゃった? 大変でしたねー 食事は? 終わってますか?」


 事情を聞きながら、床に漏れた尿を拭き、消毒し、タオルを湯でしぼってきて、渡す。


 ケイイチさんが身体の汚れを拭く間に、新しいオムツと着替えを探して、用意する。


 タオルを替えて、ひとりでは拭きにくい部分を 「ええっちゃ。余計なこと、せんでええ」 と断られながら、拭いてあげ、着替えを手伝う。


「歩けますか?」


 肩を貸して、なんとか部屋へと連れ帰った。



 一通りの診察の結果、ケイイチさんの足は、ただの捻挫(ねんざ)だとわかった。

 骨折でなかったことに安堵しつつ処置を終え、普段の食事について言及する。


「塩辛いのも油ものも控えた方が良いけど、甘いものはね、全く取るな、というんじゃないんですよ。

 羊羮ひとくち、とかね。あと、糖類ゼロとか、そういうゼリーやら飴やら、あるでしょう。

 そういうのは大丈夫だから」


「先生、けどのお、ありゃ、大きな問題があるのよ」


「なんですか?」


美味(うも)うない」


 ――― ここで苦笑するまでが、定番のやりとりなのだ、とわたしは理解している。


 そして、この次のやりとりも、また。


美味(うま)いものもくえん、満足に歩けんで田にも出られん。他人様(ひとさま)に迷惑かけるのも、もうええでよ」


「そんなこと言わずに、少し頑張ってくださいよ。息子さんも心配されてるんでしょう」


「ありゃあの、俺が生きちょるうちに、ここを売りたいだけじゃ」


「はあ……」


 そうでない、などと明確に言えるほど、わたしはケイイチさんも、その息子さんのことも知らない。


 ケイイチさんが、わたしを拝むのも、どうしてだか分からない。


「はらはら様よ、次は私をお願いします」


「僕は 『はらはら様』 とかじゃ、ありませんよ」


 分かるのは、ケイイチさんがこう言い始めたら、退去時(しおどき)ということだけだ。


「前の先生は 『はらはら様』 じゃったきに」


「僕は違いますよ」


「いいやの、もう 『はらはら様』 が宿っちょるじゃろ、先生」


 ――― なぜ、そう言われるのかがわからない。ただ、不穏な気配がする。


 ――― はやく、逃げなければ。


 わたしは、さりげなく立ち上がった。


「では、そろそろ。緊急用ボタンはいつも持っておいてくださいね。足元の方に尿瓶ありますから、無理せず使ってください。

 あとね、おやつは80kcalまでですからね。お大事にしてください、お休みなさい」


 ケイイチさんに布団を掛けなおして出ていくわたしに、ブツブツと呪文のような呟きが投げられる。


「先祖代々の土地がどうとは、言うてももう、(せん)ないじゃろ。けどの、せめて、生まれて育った家での、死にたいのよ。

 じゃけえ先生、『はらはら様』 。どうか、お頼み申し上げます……」


 背中にケイイチさんの声を受けながら、わたしは、胸の奥からわきあがる、怒りとも虚しさとも恐怖ともいえない感覚をもて余していた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「糖類ゼロは美味うない」 とても良くわかります! 後味が特に…… [一言] 思い込んだら間違っていたとしても意見を曲げない。 ……村社会の恐ろしさが伝わってきます。
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