村の通夜
この村では、葬儀も祭りも、そう変わらず、どちらも、村人総出で賑々しく準備される。
葬儀は常に公民館、と決まっているらしい。
村の入口にある、クリーム色に塗られた四角い建物だ。古民家ばかりの中では、異世界から飛んできたような印象がある。
会場は、普段はヨガや太極拳の講習会が行われる体操場。葬儀の度、そこにビニールシートが敷かれ、パイプ椅子が並べられるのだ。
壇上に遺影が飾られ、中央に据えられた棺の周りは各々の家で育てている花で飾られるのも、恒例のようだった。
「それ。椅子はもうちいと、要ろうのう」
「写真が傾いちょるが。なおさにゃ」
「さっき真っ直ぐにしたばかりでよ」
「次郎さん気にくうてねえのではねえの」
「バカいんさんな。これ以上ええ顔のはねえのぞ」
男性たちが葬儀のためのあれこれを整える間、女性たちは煮しめや味噌汁、おにぎりを大量に作る。
「ちょっと塩気が多いかねえ」
「かまやせんよ。ちょっと水たしとけば、いいさぁ」
「おばあちゃん、おにぎりこれくらい」
「いんや、あと30個はいるのお。夜通しの番じゃけえ」
橘花ちゃんがよう働くけえ助かるねえ、と労ってくる祖母に笑顔で応じながら、わたしは耳をそばだてた。
「はらはら様じゃのう」
「羨ましいの」
「死ぬときゃ、はらはら様が一番でよのう」
村の人たちは高齢者ばかりなせいか、こうした会話はごく平然と交わされる。
彼らにとっては、死も、鍵のかかっていない扉の向う側に行くような、気安いものなんだろうか。
――― それとも、『はらはら様』 がいらっしゃる、と思うからこそ、こうも穏やかでいられるのだろうか。
. ※ ※
. ※ ※ ※
. ※ ※
葬儀の準備が終わった後は、宴会が始まる。
親しい者どうしで、ぼちぼちと飲み、煮しめなどをつまみつつ、思い出話に花を咲かせるのだ。
やがて、故人と仲の良かった人が、酔いも手伝って泣き出す頃になると、ひとりふたりと村人は帰っていく。
「橘花ちゃん、そろそろお暇しようかねえ」
祖母に声を掛けられて、わたしも立ち上がった。
「おじいちゃんは?」
「このまま、お通夜に残るんじゃって。次郎さんは同級生じゃったからねえ」
村のお通夜は、幼馴染みや友だちが夜通し火を絶やさず、棺を守り続ける、と聞いている。
ふと壇上を見ると、ほろ酔いの祖父が、棺の顔の部分を開けて何か話しかけているところだった。
「次郎さんは、まだ、良かったねえ」
祖母の呟きに、「はらはら様じゃったから?」 と聞き返す。
「それだけじゃないよ」
祖母は寂しそうに笑い、思い出したように、テーブルの上の菓子をまとめ始めた。
持ち寄られ、思い思いにつままれたそれを、盆の上にきれいに並べ直し、空いた箱を重ねて棄てる。
「おじいちゃんたちに、持っていってちょうだい」
言われて盆を手に持ち、なるべく静かに、祖父たちお通夜組に近づく。
そこでは、先ほどまでのお祭り騒ぎに近い明るさは、さすがに影を潜めていた。
「……なんで先に逝くのかのお」
「そりゃあのう、残るよりは、先に逝った方が幸せじゃろうよ。いちばん後は、つらかろうが」
「わかるけどよぉ、なんでかのお……」
ぼそぼそと続く会話には、哀愁が満ちている。
――― 声、掛けづらいな。
わたしは少し離れたテーブルに、そっと盆を置いた。後で誰かが気づくだろう。
ついでに、そこで所在なげに小さな紙コップに口をつけていた人に、小声で 「もう帰ってもいいと思いますよ」 と言ってみる。
年の頃27、8といったところだろうか。老人ばかりのこの村では珍しい。
「ああ、すみません。もう少し、いようと思って」
「もしかして、お孫さんですか」
「いえ…… かかりつけ医です。一応」
ぼさっとした髪に、なんだか洗っていなさそうな顔。喪服のジャケットの下のシャツが、よれている。
『医者』 というより、気まずそうにつけられた 『一応』 の方が、似合う感じがする人だ。
ごく近しい人たち以外が帰り始めていてもまだ残っているのは、故人に何らかの責任なり親しみなりを感じているのだろうか。
「そうですか。お世話になります。では」
わたしは彼に軽く頭をさげて、祖母の元へと戻った。
連れだって歩く屋敷への道は暗く、月と懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
「アカマ先生と話しちょったね」
「もう帰っていいですよ、って言ったんだけど、もう少し居るんだって」
「ふうん。やっぱり、律儀な人じゃねえ。赴任されてから、葬式続きでお疲れじゃろうに」
「先生いつ、来ちゃったの」
祖母は首をかしげて、ゆっくりと指を折り、ひいふうみい、と数える。
「3ヵ月……いや、もう、4ヵ月になるかねえ。久々のお医者さんで、皆、安心したみたいに、パタパタ亡うなるんじゃけえ」
その前3年ほどは医者がいなかったからね、亡うなった診断をしてもらうのでも、大変だったよぉ。
突然倒れて、息があるなら救急車じゃけどね。しばらく見んな、って家へ行ってもし、亡うなってたりしたら、まず、警察を呼ばにゃあならんから……
祖母の話を延々と聞くうち、わたしの脳裏に、ふと、妙な考えが浮かんだ。
――― もしかして、亡くなる人が急に増えたのは、先生が何かしているから、だったりして……
一瞬、足を止めたわたしを、祖母がいぶかしげに振り返った。
「どうしたんかね?」
「ううん、別に」
普通に考えれば、あまりにもバカげていて失礼な思いつきだった。
なんでもないよ、と、かぶりを振って、話題を戻す。
「良かったねえ、お医者さん来てくれちゃって」
「そうじゃねえ」
祖母は嬉しそうに 「これでおばあちゃんも 『はらはら様』 で逝けるかねえ」 と呟いた。
――― こういうのは、村では普通なんだろうけど、言われて気持ちの良いものじゃない。
内心では顔をしかめつつも、冗談めかして返事をする。
「まだ、そんなトシじゃないでしょ」
「まぁ、ほうじゃねえ」
「17歳じゃもんね、おばあちゃん」
「ほうよ。お肌もピチピチじゃ」
わたしたちは顔を見合わせて、笑った。
――― この時には、わたしはまだ、『はらはら様』 をそこまで異様なものとは、考えていなかったのだ。