求める者求めた物
男同士でわかりあえるって憧れますよね
漲る力と溢れ出すような魔力をよそに、溢れ出す汗が、風を浴びることで身体を冷やしていく。明らかに力を手に入れたはずなのに、生まれて初めて感じた恐怖という感情が胸を締め付ける。もはや衝動的にあの場を切り抜けたチャンバーは、自信の身に起きた変化に戸惑いを隠しきれなかった。
「はぁ……、はぁ……、何だこれは。こんなものが……。求めていたもの……?」
今まではただそこにあるものが羨ましくて、欲しくてしょうがない気持ちが強く、敵を前に恐怖したり逃げるようなことなどなかったのだ。クーゲル曰く完成したとされる心。魔物としての衝動、ロートから得た生への執着。今まで感じたことのない感情がぐるぐると渦巻いてチャンバーを混乱させる。
「すこし……、休まなくては」
空を飛んで逃げればさすがに追いつけはしまいと、少し冷静さを取り戻した頭で考える。気づいてみれば我武者羅に飛んでいたらしく、気怠い身体を休めようと、森の中へと木を押し倒しながら降り立った。
「煩わしい……」
慣れない巨体にもどかしさを感じ、もう少し小さければと思い呟くと、変化が生じる。みるみると巨体が縮んでいき、以前の人の姿程の大きさへと変わっていった。ただ、その顔は明らかに若々しい。
「これは……、これが完全体?」
ぺたぺたと身体や顔を触り自らの変化を確かめる。身体の動きも確かめると、明らかに身体能力があがっているようだった。ふいに腹が鳴り、空腹を身体が訴える。チャンバーは徐に地面を蹴り草むらに飛び込むと、様子を窺っていたフォレストエイプの頭部を鷲掴みに、はらわたにむさぼるようにかじりついた。
「くふ、くははは、そうか、そうだな」
口元を血で真っ赤に染めながらチャンバーは笑う。涙を流しながら悔しそうに、嬉しそうに。
「いずれ迎えに行くぞ。一緒になろう。家族だからな。くはは、くははははは――」
究極や完成を目指した果て、家族という愛情を得たクーゲル。その純粋とも言える感情はチャンバーに確かに受け継がれた。ただし――魔に魅入られ、歪んだ形となって。
狂ったような笑いが、森の中に響き渡っていた。
変わってアーキナでは、都市でも比較的大規模であった商会から魔物が飛び出し、一時的な混乱が生じていた。しかし、そこは商人達が実権を握る都市だけあり、ある程度各商人達が雇った傭兵や冒険者が状況を確認すると、トランス達も行動を制限されたりすることなく落ち着きを取り戻した。
大きな魔物が飛び立っていったものの、使役されていた魔物はチャンバーが吸収することで影も形もなくなっていたことも騒ぎにならなかった原因かもしれない。実態は、利益さえあればと裏でチャンバーと繋がっている商人達も多く、規模も武力も目の上のたんこぶであったライバルが潰れてくれてよかったと思っている商人達が多かったということもあるのだが。
「おう、大丈夫か?」
「……あぁ、問題ない」
トランス達と言えば、さすがにそのままの足で帰る事も出来ず、アーキナに宿をとっていた。そこそこ大きい宿であり、中庭のようなところで夜風にあたるトランスに、ベックが心配そうに話しかける。
「みんなは?」
「サラは、まだ起きないフラスちゃんをリーゼちゃんと一緒に看病してるよ。トニーは……、男の意地って奴だな。色々と触発されたんだろうよ。リトスさんは、今は一人にしといたほうがいいだろう」
「そうか……」
「ひでぇ顔だぞ?」
「む……」
魔力の充填のため、今兜は顕現していない。確かめるように顔に触れるが、余計に眉間に皺が入った。
「気にすんな……、っていっても無理だろうけどよ。割り切らないときっついぞ? あいつだって、意を汲んでもらって感謝してると思うぜ」
「……あぁ、それはわかっているんだがな」
「うん?」
トランスの煮え切らない態度にベックが怪訝そうに顔を覗き込む。
「罪悪感って感じじゃねぇな?」
「そうだな。わからなくてな」
「さっきわかってるって……、あぁ、違うことか?」
「そうだ。ロッシーの本意を汲めたとは思っている。悩んでいるのは逆だ」
さっきまで一人で悩んでいたトランスは、言葉を探すように視線を迷わせ、自嘲ぎみに笑うとベックと目を合わせはっきりと答えた。
「期間が短いとはいえ、仲間だとロッシーのことを認識していた……と思う。それなのに、その仲間が命を賭した行動をすることに、迷わなかった。当たり前のように、何の疑問もなく死地へと送り出した。そして今も、それを間違っていたと思っていない」
ベックは言葉を挟むことなく、ジッと目を見つめ返し、トランスの言葉を聞いている。肯定も否定もすることなく、その吐露を聞いてくれることに、トランスは心の中で感謝した。
「死ぬとわかっていることに、何の疑問ももたず協力することは信頼なのだろうか? いざとなれば、ベック、トニー、サラ……リーゼですら、喜んで死地へと送ってしまうのだろうか? それが答えだと、最適だと思ったらそうしてしまうのか、自分がわからないんだ」
自分でも、ひどい顔をしているとトランスは思った。良い大人が縋るような顔で泣きそうになっている。不安を、答えを、教えてくれないかとねだっている。そんなトランスを、ベックは真っ直ぐに見つめ返し、ゆっくりと口を開く。
「ちげぇよ。あんたは守ったんだ。ロッシーの想いを、男の意地を。……男だったよな? まぁいいや。あそこで躊躇していたら全員死んでたし、その意図を汲んで行動できたのはあんただけだ。現に今こうやって悩んでる。わかったつもりになろうとしているだけだ。なんとも思ってなかったら、そんなガキみたいな顔して悩むかよ」
「だが……」
「それにな、ロッシーは生きてる。あの生き様は確実に俺たちの中に生きてる。悩むんだったら今度こそ守ればいい。あんたが想いを継げばいい。そこに、想いは残ってんだろ?」
ベックが視線を落とした先には、ロッシーが死んでも尚、輝きを取り戻したままのグリーヴがあった。恩義の脛当てだ。
「何か思うところがあるなら、今度こそ守ってみせりゃいいじゃねぇか。お手本は見せてくれただろ? まぁ、そうしろって訳じゃねぇが……」
表現が難しいとばかりに唸り出したベックに、思わずトランスは眉間の皺を緩め破顔した。
「おいおい! 人が真面目に返してるってのによ……。ま、もう大丈夫そうだな?」
「あぁ、すまなかった。そうだな。全く、最初から最後まで振り回されっぱなしだったな」
「ちがいねぇ」
満点の夜空の下、トランスとベックの静かな笑いが響く。気のせいかも知れないが、恩義の脛当ての宝石が煌めき、年老いたロバの嘶きが聞こえた気がした。




