ロートとの再会
やっと今年度二本目です。
ご愛読して頂いているかたに感謝です。
今年は暖かい気がしますね。もう球根が芽を出し始めました。
それを見て慌てて樹木に寒肥を撒きましたが、ちょっと遅かったかな……
サラが放った<ウィンドカッター>は、虚空を切り裂き、目に見えぬ障壁を破ったかのような激しい衝突音を立てた。続いて、短い悲鳴と、何かが地面に崩れ落ちる鈍い音が、狭い地下通路に響き渡る。
「任せろ! っおらぁ!」
ベックは既に動いていた。彼の身体は、音の発生源へと滑り込むように加速し、右手に握られた短剣が、崩れ落ちたゴブリンスカウトの喉元へと、間髪入れずに突き立てられた。グツ、という粘着質な感触と共に、魔物の抵抗が途絶える。
ベックは即座に短剣を引き抜き、柄に結ばれた魔力糸を操作して、それを腰の鞘へと戻した。彼の動きには、一切の無駄がない。
「ふぅ。見えないのが厄介だが、見えちまえば上位種といってもこんなもんか」
ベックは、倒れた魔物の死骸を見下ろしながら、わずかに肩で息をした。彼の背後で、サラは魔力の余韻を鎮めるように深呼吸を繰り返している。彼女の額には、トランスの兜から分離し融合した白磁のサークレット――節制の栄冠が、静かな光を放っていた。彼女の瞳は澄んだ水色のままで、属性による極端な人格変化は起こっていない。
「すみません、ベックさん。ご迷惑をおかけしました」
サラは、丁寧に頭を下げた。彼女の声には、以前の彼女が抱えていた、魔法を使うことへの極度の恐怖は感じられない。
ベックは、彼女の落ち着いた態度に、安堵を覚えた。「迷惑なんざ、今さら気にするかよ。それより、アンタのその……宝石が戻ったおかげか? 随分と落ち着いているじゃねえか」
ベックの視線は、サラの額のサークレットに向けられていた。それは、かつて彼女が抱えていた魔力の暴走という致命的な欠点を、トランスとの共鳴によって克服した証だった。
サラはサークレットにそっと触れながら、説明した。「はい。『節制の栄冠』が、私の魔力調整を補助してくれています。以前であれば、強力な魔法を使うたびに魔力回路が過負荷を起こし、属性に応じた人格に変貌するだけでなく、暴走していました」
彼女は言葉を選びながら続けた。「そして、その暴走状態の時でさえ、私は――ほとんど記憶がないような状態になっていたのです。まるで、自我を失った獣のように」
彼女は自嘲気味に微笑んだ。
「しかし、今は違います。魔力吸収過多による性格の変化は避けられないものの、少なくとも制御を失うことはなくなりました」
サラは、ふと顔を赤らめた。その表情には、知性派としての彼女には珍しい、親愛の情と恥じらいが混ざっていた。
「以前よりマシではあるんですけど……。自我があるぶん冷静になると恥ずかしいです。まるで、**暴れても全てを覚えている酔っ払い**みたいですから」
ベックは、その表現に思わず苦笑を漏らした。「まあ、酔っ払っても、アンタの魔法が正確なら問題ねぇさ。トランスの旦那も、アンタを受け入れたんだ。俺が文句を言う筋合いじゃねえ」
彼はゴブリンスカウトの死骸を蹴り、その傍から小さな透明なガラス瓶を拾い上げた。中には粘性の高い、無色透明の液体が入っている。
「それより、このゴブリンが持っていたもんだ」
「フラスちゃんの作ったポーションでしょうか? こんなものを、なぜゴブリンが」サラが訝しげに尋ねた。
「さあな。だが、これがフラス嬢ちゃんの薬なら、リトスたちが関わっている可能性が高い。警戒は怠るな」
その瞬間、耳をつんざくような爆発音と、獣のような雄たけびが響き渡った。それは、トランスがチャンバーと激突している音だった。
ベックとサラは顔を見合わせ、急いで音の方向へと駆け出した。
「この先に反応があります、フラスちゃんもいるみたいです!」サラは神眼でフラスの魔力反応を捉え、焦りを滲ませた。
地下通路はさらに狭く、閉塞感が強まる。ベックは短剣を抜き、サラは杖を構え、緊迫した沈黙の中で小走りに進んだ。
しかし、突然、サラの表情が困惑に満ちたものに変わった。
「ベックさん……魔物の反応が……消えた?」
「なんだと?」ベックは足を止め、周囲を警戒した。魔素の匂いは濃いにもかかわらず、生命反応が一切感じられない。
「はい。つい先ほどまで、この先にはチャンバーが使役していた魔物の群れの反応があったはずです。それが、一瞬で全て……まるで、存在そのものが消し飛んだかのように」
ベックは眉間に深い皺を寄せた。敵の状況が好転したのか、それとも悪化したのか、判断がつかない。
「いなくなったならなったで好機だ。どうせ、トランスの旦那が片付けたか、あるいはチャンバーが何か仕出かしたか、どっちかだ。急ごう」
ベックは即座に判断を下し、再び走り出した。彼らは、重厚な石造りの扉の前にたどり着いた。
そして、目的の人物はすぐに視界に入った。
「フラスちゃん!」サラが思わず声を上げた。
フラスは、倒れ伏していた。彼女の身体からは魔力が枯渇したような微弱な波動しか感じられない。
そのフラスのそばに、一人の男がかかみこむようにして寄り添っている。スキンヘッドで、派手な装飾を施した革鎧を身に着けた、場末のチンピラのような風貌の男――ロートだ。
ベックの警戒心は瞬時に最大レベルに達した。彼はロートがフラスに危害を加えていると判断した。
「離れろぉぉ!」
ベックは叫び、右手に握っていた短剣をロート目掛けて投擲した。それは高速で回転し、ロートの頭部を狙う。ベックは、魔力糸で短剣を回収する準備を整えていた。
ロートはベックの殺気に気づき、顔を上げた。その眼差しには、確かに怯えの色が浮かんでいた。しかし、彼はフラスから離れようとはしなかった。
短剣はロートの耳元をかすめ、岩盤に深々と突き刺さる。ベックは投擲した短剣を魔力糸で素早く回収し、再び構えを取った。
ベックとサラは、倒れたフラスを背にするようにしてロートを遮り、戦闘態勢に入った。
「動くな、ロート。お前がフラス嬢ちゃんに何をした?」ベックの低い声が、地下室に響いた。彼の瞳は深緑の光を宿し、獲物を狩る獣のように鋭い。
ロートは両手を上げて、怯えたように後ずさりした。
「ひぃっ! 怖い顔しないでくれよ、オイ! 俺は何もしてねえ! 死ぬ、死ぬ、やべぇ、死ぬ……」
彼はすぐに弱音を吐き、パニックに陥りかけたが、フラスの存在を思い出し、努めて冷静になろうとした。
「落ち着け、俺。違うんすよ、アンタ方。俺は、フラス嬢ちゃんを助けようとしていただけっす」
ロートは、その威圧的な外見とは裏腹に、震える声で釈明した。
「薬の作りすぎで、魔力枯渇になっただけだ。酷く消耗している。だから、マナポーションを飲ませようとしていたんすよ」
ロートはそう言って、懐から小さなポーションの瓶を取り出してみせた。
ベックは信じなかった。「チャンバーの犬が、そんな殊勝なことをするかよ。貴様がフラス嬢ちゃんを連れ去ろうとしているのは見え透いている」
ベックは短剣の切っ先を彼に向けたまま、一歩踏み込んだ。
その時、サラが静かにベックの腕に触れた。
「ベックさん、待ってください」
サラはロートの瞳と、彼が放つ感情の波動を『節制の栄冠』の神眼で読み取っていた。
「彼は……全くといって敵意がないようです。フラスちゃんを害する意図は、完全に水色――無警戒、あるいは信頼、好意の色を示しています」
サラの鑑定は、ベックの長年の経験と直感に真っ向から反するものだった。ロートは、ロブを気絶させ、チャンバーの悪事に手を貸していた。信頼できるはずがない。
しかし、サラの『節制の栄冠』は、真実を見抜く力をトランスから共有されている。彼女が冷静な今、その判断は信頼に足る。
ベックは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ちっ……。お前がそう言うなら、そういうことなんだろうな。だが、今はフラス嬢ちゃんの身の安全が先か」
ベックは渋々、短剣の切っ先を下げた。彼は、ロートの言葉を受け入れたわけではない。ただ、目の前で倒れているフラスの回復を優先する必要があった。
「いいか、動くな。少しでも怪しい動きを見せたら、今度こそ頸動脈を切り裂くぞ」
武器を降ろしたベックに対し、ロートは心底驚いたような顔をした。彼の瞳には、ベックの行動に対する純粋な戸惑いが浮かんでいる。
「え、あ、本当に武器を降ろしてくれるんすか? ありがと……」
ロートが気の抜けた声を出し、安堵に顔を緩めた、その瞬間だった。
ベックは、一瞬の隙も許さず、ロートとの距離を一気に詰めた。彼の身体は、長年の冒険で鍛え上げられた鋼のような硬さと、斥候術で培った驚異的な速度を誇る。
ロートが反応する間もなく、ベックの左拳が、彼の頬骨の最も弱い部分に、容赦なくめり込んだ。
「だが、これはロブさんのぶんだ」
ベックの低い声が、凄まじい衝撃音と共に地下室に響き渡った。
「ふがっ!」
ロートは、予想だにしなかった一撃に、蛙が潰れたような声を発し、体勢を崩してそのまま後ろに倒れ込んだ。彼の頭部は地面に打ち付けられ、意識が飛びそうになる。
ベックは、倒れ伏したロートの前に仁王立ちになり、息を荒げた。
「敵意がないだ? ポーションを飲ませようとしただと? クソッタレが」
ベブはロートの胸倉を掴み上げ、その怯えた瞳を覗き込んだ。
「チャンバーの犬として動いていたにせよ、お前のせいで苦しんだ人間がいるんだ」
ロートは、痛みと恐怖に顔を歪ませながらも、ベックの言葉に反論できなかった。
「ひ、ひぃ……。俺は、ただ……」
「言い訳は聞きたくねえ」ベックは冷たく言い放ち、ロートを地面に叩きつけた。
「フラス嬢ちゃんは絶対に連れて行かせない。お前が本当に助けたいなら、そこで大人しく見てろ。余計な手出しは、死に繋がるぞ」
ベックはロートを放置し、フラスの元へと膝をついた。サラは既にフラスの脈を取り、容態を確認している。
「フラスちゃんは、命に別状はありません。ただ、極度の魔力枯渇です。マナポーションを飲ませてあげましょう」
サラは、ロートが持っていたポーションではなく、自身が携行している高品質なマナポーションをフラスの口元に運んだ。
ベックはフラスを抱き上げ、サラに背中を預けるようにして周囲を警戒した。
「トランスの旦那はどこだ。この魔物の消失……妙な圧力がかかっている。チャンバーが何かとんでもないものを引き起こしたに違いねえ」
ベックの視線は、爆発音が響いた方向へと固定されていた。
ロートは、地面に倒れたまま、ベックの背中を見上げていた。彼の頬は腫れ上がり、口の中は血の味がした。




