殲滅の錬金術師
あけましておめでとうございます。
世間は連休と騒ぐ中、やっとこさとれた休みで書けましたよ
しばらくは不定期が続きそうですが、今年もよろしくお願いします。
「戯言を! 」
チャンバーは、ポーションの力で治癒されたばかりのオーガの背後から、溶けた鉄のような粘着質な声で吠えた。彼の顔は怒りに歪んでいる。
リトスは、もはや怯える気弱な男ではなかった。彼の纏う白衣のような長衣は、無数の薬品ホルダーを帯び、そこから小さな瓶が取り出される。彼の瞳は冷徹な分析と破壊的な意図を宿している。
「クソが! あの老いぼれが何を望んでいた? 家族愛? 平穏? ぬるい! 偉大な力を持つ者が、なぜ世界を支配しない? 殲滅の錬金術師などと畏怖されながら、彼はその力を使いこなすことを拒否した、臆病者だ!」
チャンバーは唾を飛ばしながら叫ぶ。
クーゲルは、かつて自身を狙った国や人間を、水源への毒の散布、鎧を溶かす薬品、魔法無効化の霧などで、徹底的に滅ぼしたと伝わる。その畏怖と尊敬からついた異名だという。
リトスは、その偉大な祖父の才能を、今、この場で体現している。
「祖父は、その力を恐れていた。そして、私やフラス、シーレとの平穏を望んだ。貴様がそれを理解できないのは、自分以外の者を軽んじているからだ!」リトスは断言した。
チャンバーの怒りは頂点に達した。
「戯言を! 奴を殺せ! ウォーリアぁぁ!」
チャンバーの指示を受け、コボルトウォーリアーが再びトランス目掛けて、大柄な体躯を躍動させながら走り出した。その両手の頑丈な籠手が、獲物を引き裂く準備を整えている。
しかし、その足が床についた瞬間、コボルトは激しい抵抗に遭った。
リトスが事前に地面に投げ込んでいた瓶の液体が、瞬時に床を凍り付かせ、滑りやすい氷の層を形成していたのだ。
巨体は慣性に従って制御を失い、コボルトウォーリアーは「グルァ!」という情けない声を上げながら、両手を広げて豪快に転倒した。
その隙を見逃すリトスではない。彼は素早く次の瓶を投げ込む。今回は、内部で激しく化学反応を起こしている黄色い液体だ。
だが、コボルトウォーリアーも生粋の格闘戦士。転倒しながらも、その反射神経で瓶の軌道を捉え、籠手を装着した片手でそれを掴み取った。
「馬鹿め! 掴めば爆発は防げる!」チャンバーが勝利を確信したように叫んだ。
その直後、一筋の影が空間を切り裂いた。
『ヒュッ!』
音よりも速く、どこからともなく飛来した矢が、コボルトウォーリアーが掴んだ瓶の、正確に中央を射抜いた。
見えない射手の介入だった。それは、トニーの矢に違いなかった。
瓶はコボルトの手の中で炸裂し、黄色い液体が飛び散る。魔物特有の分厚い皮膚と籠手で守られていたはずの腕から、煙が上がり、皮膚が焼けただれていく。激しい出血が、籠手の隙間から滴り落ちた。
「グルガアアアアアア!」コボルトは苦痛の咆哮を上げた。
「くそっ、一体どこからだ! 射線は開けていないはずだぞ!」
チャンバーは苛立ちを隠せない。確かに矢はありえない軌道を描いていた。トニーは辺境の狩人であり、その斥候術と射撃は、魔法によるものではない、純粋な技術の極致だった。それだけでは、このような射撃はなしえなかっただろう。しかし、仲間達に追いつくため、軽薄に見えるあの男は、その技術を密かに昇華していたのだ。
チャンバーは即座に、懐から取り出したポーションをコボルトウォーリアーの腕に叩きつけた。傷は瞬時に塞がっていく。
「ふん、回復手段なら私にもある!」
傷の癒えたコボルトウォーリアーが、再びリトス目掛けて飛び出す。
リトスは、コボルトの猛攻を避けるため、素早く身を翻した。
「ロッシー!」
リトスは、いつの間にか傍に近付いていた、回復したばかりのロッシーの背中にしがみついた。
ロッシーは、リトスの動きに呼応するかのように、四肢に力を込め、その場から瞬時に離脱する。彼の動きは、老いたロバのそれとは思えないほど機敏だった。
トランスは、その光景を静かに見つめていた。リトスの冷静な判断力と、ロッシーとの信頼関係。彼らは、単なる旅の仲間ではなく、生死を共にする戦友となっていた。
チャンバーは、トランスとリーゼを人質に取るという当初の計画を思い出し、焦燥感を募らせた。
「こうなればあいつらを人質にすれば――」
その思考が完了する前に、彼の視界の上空で、何かが舞っていることに気づいた。
それは、トランスたちから離れた位置、天井近くの梁を伝って運ばれてきた、数本のガラス瓶だった。
チャンバーの顔面から血の気が引いた。彼は、クーゲルの錬金術の最も恐ろしい応用を知っている。
「オーガ! ウォーリア! 私を被さるようにして守れぇぇぇ!」
チャンバーは、悲鳴に近い絶叫を上げた。
巨体のオーガとコボルトウォーリアーは、反射的にチャンバーの身体に覆いかぶさった。二体の魔物が、貪欲な錬金術師を分厚い肉体で守る、異様な光景が展開する。
直後、上空で瓶が、再び見えない射手によって射抜かれた。
砕け散った瓶から、鮮やかな黄色の液体が、雨のように降り注ぐ。
リトスが、静かにその名を告げた。
「錬金薬、酸雨」
黄色の液体は、床に着弾する前から、空気中の魔素と反応し、白煙を上げながら、魔物たちの分厚い皮膚と装甲に降り注いだ。
「アオオオオオオォォォォ……」
「グルガアアアアア!」
オーガとコボルトウォーリアーからは、魂を削られるような悲鳴が上がった。
肉の焼け焦げる音と、鼻を突く強烈な酸の臭いが、狭い空間に充満する。それは、通常の魔法では再現できない、錬金術特有の、物質そのものを変質させる破壊だった。
コボルトウォーリアーの手甲は、酸に侵されてみるみるうちに溶け、その下の皮膚が焼けただれる。オーガの緑色の皮膚は黒く変色し、蒸気を上げていた。
リトスは、ロッシーの背から離れ、その光景を冷徹に見つめていた。
酸雨が止むと、魔物たちの巨体は、半ば溶けた肉塊のように、床に横たわっていた。
そして、その下から、激しく損傷したチャンバーの姿が露わになった。
巨体二匹に庇われたにも関わらず、彼の顔や身体は、酸によってひどく焼けただれていた。衣服はボロボロに溶け、彼の醜い欲望を象徴するかのような派手な装飾品も、光沢を失って変色している。
「ぎざま……。父にだいじてごのじうぢ! ゆるざんぞ!」
溶けた口が、辛うじて言葉を紡ぎ出す。それは、父の力を受け継いだリトスに対する、純粋な憎悪の叫びだった。
リトスは、揺るがなかった。彼の行動原理は、家族の安全。娘のフラスに手を出したこの男を、父と呼ぶことはできない。
「私の娘に手を出したような相手を父とは思わない。ここで確実に葬ることが、祖父への手向けだ」
その冷徹な宣告は、チャンバーの精神をさらに逆上させた。
「わだじも覚悟をぎめてやろうではないか」
チャンバーは呻きながら、焼けただれた懐から、最後の隠し玉を取り出した。
それは、他のポーションとは比べ物にならないほど透明で、フラスに無理やり作らせた、粘性の高い液体だった。
彼は、それを一気に飲み干した。
液体が体内に入った直後、チャンバーの身体からは、異様な圧が放たれた。それは、巨大な魔物が身を震わせるような、生理的な恐怖を誘う圧力だった。
彼の赤く揺らめく双眸は、病的な輝きを増し、その存在そのものが、この空間の魔素をねじ曲げ始めた。
トランスは、リーゼを抱くように庇いながら、無意識に一歩後ずさった。彼の内に潜む魔物への恐怖が、警鐘を鳴らしている。
「ごい。やくただずども。わだじがゆうようにづかってやる」
チャンバーが、溶けかけた口で、不快な呻きを上げる。
その言葉とともに、周囲で辛うじて息をしていたオーガやコボルトウォーリアーたちが、突如として痙攣を起こし、バタバタと倒れ始めた。彼らは、チャンバーの放つ異様な圧に耐えきれず、生命力を吸い尽くされたかのように、絶命したのだ。




