錬金薬
かなり遅くなってすいません。意欲があるのに時間がない。師走って感じですね。
名ばかりの昇進があって仕事に追われる毎日です。日本の仕事と責任だけ増えて、給料がほぼ変わらないっていうのやめてほしいですよね。異名みたいなものでしょうか?
円満接客の山田、人事掌握の佐藤、責任転嫁の鈴木……みたいな?
いい意味でも悪い意味でも恥ずかしい感じになりそうですね。ちょっと人事掌握が語呂的にかっこいいと思ってしまうのは精神が子供なせいでしょうか。
更新は遅れても続けるつもりです。12月~1月にかけては落ち着くまで更新頻度が落ちそうなのはご了承ください。これからってときなのになぁ……。
トランスは、オーガの断ち切られた腕から滑り落ちた瀕死のリーゼを、左腕で強く抱きしめていた。彼の右手に握られた真紅の剣、獣王の牙は、オーガの血で濡れ光を放っている。
「……治癒」
彼の口から漏れたのは、ほとんど息のような短い単語だった。
トランスの全身を覆うくすんだ鉄色の鎧の隙間から、青白い光が溢れ出す。その光は、抱きかかえられたリーゼの全身を優しく包み込む。彼の魔力は既に底を尽きかけているはずだが、トランスは自らの生命力を燃料とするかのように、治癒魔法を全開でかけ続ける。その回復力は、まるで時間が逆行したかのように傷を修復していく。トランスは、リーゼの生命を維持するために、極限の集中を強いられていた。
一方、トランスを突き飛ばして加速させたロッシーは、その激しい衝撃と突進の反動で、近くの太い柱に激突していた。老いたロバの体は、脳震盪を起こしたようにぐったりと横倒しになり、微動だにしない。
この一連の出来事、特にトランスの治癒魔法の発動は、黒幕チャンバーの冷静な仮面を打ち破った。
「治癒魔法……だと?」
チャンバーは、その目に驚愕の色を浮かべた。彼の知る限り、これほど強力で、瞬時に致命傷を癒す治癒魔法は、神殿の最高位の聖職者でも困難であり、ましてや、全身をボロボロの鎧で覆った騎士が使えるはずのない奇跡だった。
驚きはすぐに、彼の内に渦巻く醜い強欲と苛立ちに塗り替えられた。
「クソッタレが……! 私を馬鹿にしているのか!」
チャンバーは、その派手な装飾品がじゃらつくのも構わず、憤怒の叫びを上げる。
彼の怒りとは裏腹に、広間は一瞬の静寂に包まれた。先ほどまで乱舞していた炎や雷の魔法の嵐は止んでいる。オーガやコボルトウォーリアーたちも、主であるチャンバーの激しい感情の動揺に呼応するかのように、動きを完全に停止させていた。
その静寂を破ったのは、天井の梁の上から音もなく舞い降りた、一匹の黒装束のゴブリンスカウトだった。彼は俊敏な動きでチャンバーの足元に滑り込むと、透明な液体が入った小瓶を、恭しく差し出した。
チャンバーは、その小瓶を受け取ると、深い呼吸を一つ吐き出し、表面的な冷静さを取り戻した。目の下の深い隈が、彼の精神的な疲労を物語っている。
「そうか、出来たか……」チャンバーは低く呟いた。「下がれ。上の奴らには劣化版の方でいいからマナポーションを配ってやれ。この失態は、あとで必ず清算してもらう」
ゴブリンスカウトは、一瞬で姿を消した。
チャンバーは、トランスによって腕を断たれたオーガへと向き直った。オーガは激しい出血で苦悶の表情を浮かべている。
チャンバーは懐から取り出した別の瓶の中身を、惜しげもなくオーガの断端に振りかけた。液体が傷口に触れた瞬間、激しい蒸気が上がり、オーガの巨大な傷口は瞬時に塞がれ、出血が止まる。それは、高純度の回復薬――ポーションだった。
トランスは、リーゼの治癒を終えたのを確認し、彼女を背中へと抱え上げる。彼は立ち上がり、剣を構え直す。
「ポーションか……、装備に薬にと、魔物相手に贅沢なことだな」トランスは寡黙な口調で、必要最低限の事実を指摘した。
チャンバーは、トランスの言葉に鼻で笑う。
「ふん、持たざるものは持てるものを駆使しなければどうにもならないだけだ。お前たちには一生わからんだろうな」
チャンバーは、トランスの古びた鎧と、彼の背景にあるであろう「正義」や「才能」といったものを嘲笑した。彼の視線は、再び天井を見上げた。上階のメイジたちは、魔力の枯渇と、トランスの治癒魔法による動揺で、まだ攻撃態勢に戻れていない。
トランスは治癒魔法でリーゼの傷を癒したが、自身の魔力は使い果たし、回復はわずかだ。今の彼は、ただの疲弊した騎士に過ぎない。
チャンバーは、この好機を逃すまいと、その腕を振り上げ、上階のメイジたちに最後の指示を出そうとした。
「メイジども! 騎士を殺――」
その時、トランスは一歩踏み出し、兜の奥でわずかに不敵な笑みを浮かべた。
トランスは、気づいていた。後に続いていた、頼もしい仲間達の存在を。
チャンバーの指示が完了するよりも早く、広間の上空、天井近くの梁に向かって、銀色の液体が入った小さなガラス瓶が三本、高速で投げ上げられた。
直後、別方向の影から、二本の矢が放たれた。その正確無比な射線は、投げられた瓶の胴体を正確に貫き、ガラスは砕け散る。
銀色の液体は、瞬時に霧状となり、広間の上空を漂う。
チャンバーは「せ――!」と叫び、指示を急いだ。しかし、彼の叫びは届かない。
上階のメイジたちが、再び杖に魔力を集結させようとした瞬間、彼らの杖の先端に集まったはずの魔力は、霧散し、まるで熱気のように空中に溶けて消えてしまった。魔法を放つことができない。
そして、広間の入り口に、一人の男が静かに立っていた。
男は、普段の地味な旅装ではなく、白衣のような長衣を纏い、胸から腰にかけては無数の試験管状の薬品ホルダーを装着している。その瞳は、トランスたちに見せていた不安や怯えとは無縁の、冷たい光を宿していた。
「――錬金薬魔素攪乱剤」
リトスは、魔法が無効化された理由を、静かで固い口調で告げた。彼の声は、もはや気弱な中年男性のものではなかった。
チャンバーは、リトスの姿を見るや否や、激しい憎悪と驚愕に顔を歪ませた。
「リトス! よりにもよって貴様がそれを私に見せつけるか!」
チャンバーは、リトスがかつてクーゲルのもとで学んでいたこと、そして彼伝説と呼ばれた錬金術師の血を引いていることを知っている。
リトスは、チャンバーの怒声を無視し、広間を悠然と歩いた。その歩き方は、臆病さの欠片もなく、まるで戦場を支配する将軍のようだった。
彼は、倒れているロッシーのいる柱の陰に向かって、ポーション瓶を一つ放り投げた。瓶は、柱の影にぶつかる直前、再び放たれた矢によって正確に射抜かれ、中の液体がロッシーの全身に降り注ぐ。
液体を浴びたロッシーは、何事もなかったかのように、頭を振って立ち上がった。彼は武骨な頭部の装甲が消え、疲労から解放されたように見える。まるで、「遅かったな」と言わんばかりに、リトスに向けて嘶いた。
リトスは、まっすぐにチャンバーと向き合った。彼の冷徹な表情は、一切崩れない。
「さて、父さん……いや、チャンバー。覚悟はできているか?」
リトスは、自分に言い聞かせるように、そして、宣告するかのように、実の父親としてではなく、チャンバー個人と相対することを言い放った。
チャンバーは、その言葉に、侮蔑を込めた笑みを浮かべた。
「クソッタレ。私と同じく才能の欠片もなかったお前が何を言う? 私を討つだと? 笑止千万!」
リトスは、チャンバーの侮蔑を真正面から受け止めた。
「…そう。私も才能はなかった」リトスは、静かに認めた。「――人々を助ける薬に限っては」
その言葉を区切りに、リトスの動きは一変した。彼は右手の五指の間に、赤、黄、緑の異なる色を帯びた三本のガラス瓶を挟み込んだ。
「だが、私の祖父クーゲルは、私に一つの真実を教えてくれた。私には、破壊の才があるとな」
リトスは、その三本の瓶を、上階のメイジたちが集結している梁の上へと、驚異的な速度で投げつけた。
三本の瓶は、梁に着弾するのと同時に、轟音と共に爆発を起こした。赤色の瓶は火炎を、黄色の瓶は強酸を、緑色の瓶は猛毒のガスを放出し、メイジ数匹は悲鳴を上げる間もなく、炎と酸によって焼き殺された。
その光景は、トランスやチャンバーが目にしてきた魔法や剣技による戦闘とは全く異なる、予測不能な「化学兵器による攪乱殲滅戦」だった。
リトスは、白衣の裾を翻し、冷たい眼差しでチャンバーを射抜いた。
「殲滅の錬金術師と呼ばれた男、最後の弟子リトス。私の錬金薬は破壊特化だ」
彼の口調は、もはや敬語さえも冷徹な武器と化していた。
「祖父クーゲルに代わって、チャンバー、お前を討つ」
リトスは、その五指に再び別の色の瓶を挟み込み、トランスとロッシー、そしてチャンバーの間で、戦場を支配する戦術家の顔を、完全に露呈させた。彼の登場は、トランス一行の戦況を、決定的に逆転させたのだった。




