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亡国の騎士  作者: 黒夢


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チャンバーの思惑

じめじめとした薄暗い部屋の中、ガラスの容器が並ぶ棚の陰で、オーガに掴みあげられたリーゼを、チャンバーは薄暗い瞳で見上げていた。周囲には薬品の腐敗臭が漂っている。


「や、やめて! おとうさんのおとうさんってことは、わたしのおじいちゃんなんでしょ? なんでこんないじわるするの……」


両腕をゴブリンに抱えられ、身動きの取れないフラスが涙で潤んだ瞳でチャンバーを睨みつける。彼女の小さな体は、目の前の男が放つねっとりとした負の魔力に当てられ、小刻みに震えていた。


チャンバーは口元に軽薄な笑みを浮かべると、チラリと少しだけ視線を彼女に向け、まるでどうでもいい世間話を語るかのように答えた。


「んー、そうだな。君のおじいちゃんが先に意地悪をしたからだよ?」


「おじいちゃんが……?」


心底信じられないといった表情でフラスが狼狽する。彼女にとって、クーゲルは優しく、秘密の錬金術を教えてくれた、尊敬すべき祖父だった。


くつくつとチャンバーが笑う声が部屋に響く。それは、乾いた喉から絞り出されるような、耳障りな音だった。


「誇るべき才能があるにもかかわらずコソコソと生き、私という息子がいながら、孫に現を抜かしたことだ。我が息子ながら、偽善に満ちた行動の数々に吐き気すら覚える。父は本来であればもっと称えられるべきだった。国には重宝されるどころかもっと要求をするべきだったんだ」


チャンバーは高価な服の袖で、口元の笑みを隠すように拭った。


「自身が協力しなければどれだけの不利益があるのかを提示し、日々遊んでくらせるだけの暮らしを約束されて然るべきだったんだ。そうさえすれば、私はこんな惨めな思いをすることなどなかった。どこにでもいる有象無象の不幸に感化などされ、貴重な薬を二束三文でどぶに捨てるような行いは反吐がでるようだ。そもそも……」


つらつらと止まることなく理由を喋るが、行きつく先はいかに彼自身が苦労をせずいい暮らしを出来ていたかということに執着している。一見、父親の不遇を嘆いているように聞こえるが、その言葉の裏にあるのは、自身の保身と、満たされない渇望だけだった。


フラスはめまいのようなものを感じざるを得なかった。この男の言葉は、まるで泥水のように淀んでおり、彼女の純粋な心にまとわりつく。


呆気にとられていると、ぐるんと首がフラスのほうを向き、チャンバーは満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、目の下の深い隈と相まって、病的なほどに歪んでいる。彼は静かだが、強い口調で話しかけた。


「だから、君はそうはならないよう。()()()()()()のために頑張るんだぞ?」


「う……ぁ……」


大好きなおじいちゃんとは全く違う異質の存在を、おじいちゃんと改めて突き付けられたことと、どす黒い欲を小さな体に向けられたことに、フラスは身体がこわばってしまう。恐怖で言葉に詰まってしまった様子を見て、チャンバーは苛立ちを隠さずため息をついた。


「使えないな。感情的な制御はやはり厄介だ」


彼はオーガに向かって手を軽く振った。


「うあー! ああああああ!」


オーガが手に力を込め握りしめる。リーゼの悲鳴が部屋中に響き渡り、ガラス容器の影に隠された彼女の足元には、嘔吐と失禁による水たまりが広がっていく。その強烈な臭いに、指示した張本人であるチャンバーですら顔を顰めた。


「やめて! いうとおりにするから! いいこにするからぁ!」


フラスは、リーゼの悲鳴が自分の心臓を鷲掴みにするのを感じた。彼女の献身的な心と、母親を救うという目標が、彼女に屈服を強いる。


「ふむふむよろしい。では、指示通りに薬を作ってくれるか?」


「……はい、チャンバーおじいちゃん……」


フラスは声を震わせながら、その屈辱的な呼称を受け入れた。


「素直な子は好きだぞ。きちんとしてさえいれば、お友達は苦しい思いをせずに済むからな?」


「うぁ……あ……あぁ……」


リーゼを心配そうに見つめるフラスを、ゴブリン達がひきずるように錬金台のほうへ連れていく。観念したようにフラスが調合を始めると、満足そうにチャンバーは笑みを浮かべた。


「便利そうな装備だが、反射的なものは掴まれていれば使えないのか。身体だけは綺麗を保つが、床はどうにもならないのは面倒なものだ。薬品づくりするところが不衛生なのも考え物だし……」


ぶつぶつと独り言を言いながら、チャンバーはリーゼを掴んだオーガを伴い部屋を出ていく。


床を掃除するゴブリンと、自分を見張るゴブリンを横目に見ながら、フラスは涙を瞳に溜めながら呟いた。


「おとうさん、きしさま……たすけて……」


助けを呼ぶ少女の嘆きは、誰の耳にも入ることはなかった。……ただ一匹を除いて。


***


屋敷内部は、外部の豪奢な装飾とは裏腹に、迷路のように入り組んだ構造をしていた。


トランスは、先ほどロッシーの突進と連携して門番のオークファイターを片付けた後、無言で廊下に立ち尽くしていた。彼の全身を覆うくすんだ鉄色の古びた鎧は、周囲の闇に溶け込み、重厚な影を落としている。


「……臭いな」


トランスは短く呟いた。この屋敷には、魔物特有の生臭さと、薬品の異臭、そして微かな血の匂いが混ざり合っている。


その時、彼の足元で、ロッシーが鼻を鳴らし、静かに首を振った。老いたロバは、先ほどの戦闘で魔力活性による活力を得たとはいえ、その息遣いは荒い。しかし、彼の深緑の瞳は鋭く、何かを探している。


ロッシーはかつて、錬金術師クーゲルと長きにわたり旅をしていた。その経験から、彼は錬金薬の成分や、特定の魔物の匂いを感覚的に把握する能力を持っていた。


ロッシーは、先ほどフラスがいた部屋から漏れ出てきた、フラスの感情の揺らぎと、チャンバーが纏う病的な魔力の混ざった匂いを嗅ぎ分けていた。彼はその場で小さく円を描き、廊下の奥を指すように、前蹄を一度だけ地面に打ち付けた。


トランスは、ロッシーの行動原理を理解していた。このロバは、恩人であるクーゲルの血筋、つまりリトスとフラス、そしてその家族を守るという絶対的な使命に突き動かされている。


「……感謝する、ロッシー」


トランスは、無駄な言葉を省き、短く礼を述べた。


彼が動くたびに、古びた鎧が軋む。胸の中央に空いた大きな穴が、彼の致命的な失敗を物語るが、同時に彼が何者であったかを知る手がかりでもあった。記憶喪失由来の不安は常に彼を苛んでいるが、今はそれよりも、リーゼとフラスを守るという正義感が、恐怖を上回っていた。


(魔物と対峙すれば、身体は竦むだろう。だが、今は守るべき者がいる。動かなくてはならない。)


トランスは腰の獣王のベスティアファングに手をかけた。真紅に輝く剣は、彼の決意を映しているかのようだった。


「追跡を開始する」


ロッシーは小さく嘶き(いななき)、同意の意を示した。


二人は静かに、しかし迅速に屋敷の奥へと進み始めた。ロッシーは魔力活性により、老体とは思えないほどの静音性と速度を発揮し、トランスを目的の場所へと運び出した。

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