恩義の脛当て
遅れた分の投稿です。たまにアクセスが一気に増えることがあるんですけどなんでしょうね?
商業都市アーキナの富裕層区画。その境界線にそびえ立つ、鉄と石材で構築された城砦のような建物は、周囲の静穏とは裏腹に、深い悪意の澱を溜め込んでいるかのようだった。その厳重な門の前で、老いたロバ、ロッシーは、まるで巨大な魔獣のように鼻息を荒くしていた。
彼の四肢に具現化した純白の**恩義の脛当て《グリーヴオブフェイバー》**は、老いた身体に、命を燃焼させる代償として、驚異的な活力を与えていた。それは、彼がかつて相棒クーゲルに、そして今、その忘形見たちに捧げた、生涯を懸けた恩義の具現化だった。
クーゲルが亡くなって以来、ロッシーは生への執着を失っていた。長年の旅路で酷使された肉体は、いつ朽ちても構わないと静かに諦念を抱いていた。しかし、記憶を失った騎士トランスという存在、そして慈悲のマントを纏う少女リーゼとの出会いが、彼の凍てついた魂に再び火を灯した。トランスの治癒魔法は肉体の傷を癒したが、何よりも、リーゼがその小さな身体でトランスの背中に寄り添い、マントの温もりを共有する光景が、彼に生きる意味を思い出させた。
そして今、この場所で、彼の心臓を激しく打つのは、もう一人の少女、フラスの記憶だった。
フラスは、彼に「ロッシー」という名前を与えてくれた。
――フラス『ろっしー、きょうからあなたはろっしーよ!』
それは、純粋な愛と、無邪気な願いに満ちた、彼の第二の生だった。クーゲルは笑って言った。
――クーゲル『よかったなロッシーよ。おじいちゃん同士孫の成長を見届けないといかんな』
その約束は、彼にとって生涯の誓いとなった。
しかし、村が襲撃された夜。悪意の塊「チャンバー」は、ロッシーの存在を意に介さなかった。老いたロバなど、視界にすら入らない。その圧倒的な力の前に、彼はただ無力に打ち震えることしかできなかった。フラスを、リーゼを、そしてリトスを、守れなかった。その無力感は、彼の老いた肉体を内部から蝕む毒となった。
怒り。憤怒。それは、彼自身の寿命という制約から目を逸らせるほどの強烈な炎だった。
彼はトランスを見た。全身を覆う古びた鎧は、無数の傷と汚れに塗れている。兜の奥深く、暗い影の中に素顔は隠されているが、トランスは、強烈な恐怖心から、今もなお、足が竦んでいるように見えた。だが、彼の身体は、決して膝をついていない。
何かの制約か、全くと言っていいほど動けなくなったトランスは、それでも諦めることなく、這いつくばりながらも、大切なものを取り戻そうと、一歩一歩、前へと進もうとしていた。その這うような姿は、老いによる諦念にで足を止めた自分と重なり、それでも前進し続ける姿は、己を恥じるには十分だった。
「……立て」
ロッシーは、言葉を発せない代わりに、魂の奥底から強い意志を絞り出した。老いた身体の内部で、何かが軋む音を立てて覚醒する。
「膝をついている暇はない。このロッシーが運んでやる!」
彼の嘶きは、もはや老馬のそれではなく、魔獣の咆哮に近かった。四肢の脛当てが、彼の残り短い命を糧にして、純白の魔力で輝きを増す。
「そこです、トランスさん! 魔力反応はこの建物の中心部です。堅牢な門が待ち構えています!」
サラが、魔力制御補助用のペンダントを強く握りしめながら、目的地を指し示した。彼女の透き通る水色の瞳は、強い決意を宿している。
その言葉を聞くや否や、ロッシーは地を蹴った。老躯とは思えない爆発的な加速だ。彼の肉体は、老いた命を燃焼させることを代償に、戦場を駆ける活力を得ていた。
「うっし、じゃぁ相手の拠点もわかったし一度宿でも――っておいっ!」
トニーの軽妙なジョークは、加速するロッシーの背中に置いていかれた。彼は慌ててロングボウを構え直す。トニーは、この突拍子もない展開に、戸惑いつつも興奮を隠せない。
「ちょ、速度あがってません? トランスさん、ロッシーが急に!」
サラが驚愕の声を上げる。彼女は魔力吸収体質により、周囲の魔力の変化に極めて敏感だ。ロッシーの身体から放出される、異常な魔力の活性化を感じ取っていた。
「ろ、ロッシー! 止まるんだ! 正面から突っ込んだら、いくらなんでも危なすぎる!」
ベックが叫ぶ。彼の深緑の瞳には、プロの冒険者としての危機感が宿っていた。この城砦のような建物に正面から突入することは、経験上、極めて無謀な行為であると知っている。
トランスは、激しい疾走の振動を受けながらも、微動だにしなかった。彼は、兜の奥で、わずかに目を細める。彼らの動きを止めようとする者たちを、無言の圧力で制した。
「……行くぞ」
トランスは、最小限の言葉で、ロッシーの行動を受容した。
次の瞬間、トランスの兜が淡い白銀の光を放った。
「えっ? 勝手に!」
サラが再び驚きの声を上げる。トランスの兜が変化した**節制の栄冠**が、兜としてではなく、白い装甲と金の装飾を伴ったサークレットとして、加速するロッシーの頭部に顕現したのだ。菱形の赤い宝石が、魔力を吸い込むように輝きを増す。
節制の栄冠は、トランスとサラの魂が共鳴して生まれたものだったが、今、ロッシーの強烈な恩義の意志と、トランスの守護の衝動が共鳴し、サークレットはロッシーの魔力調整を補助し始めた。
ロッシーの身体が、さらに変貌を遂げる。枯木のようだった筋肉が、魔力活性により隆起し、体躯が巨大化していく。老いの皺は消えないものの、その姿はもはやロバではない。魔獣を思わせる、力強い突進力を秘めた戦馬へと姿を変えた。彼の身体は、限界を超えて力を引き出している。
「うぉー! ロッシーがかっけぇぇ! マジかよ、旦那の鎧って、馬にも効くのか!」
トニーが興奮気味に叫ぶ。彼は、目の前の光景を、辺境では見ることのできない、最高の見世物のように捉えていた。
「おぃおぃ! だからって突っ込んだらやばいだろぉ! 馬鹿か、テメェらは!」
ベックは焦燥を隠せない。彼の冷徹なプロ意識が、この無謀な突撃を拒絶している。彼は後方で、短剣を握りしめ、突入後の敵の奇襲に備えようと、周囲を警戒した。
リトスは顔面蒼白で、口をパクパクと開閉するばかりで、何も言葉を発することができない。彼の臆病な本性が、極限の恐怖に晒されていたが、彼の愛する娘フラスがその向こうにいるという事実が、彼を逃げ出すことから押し留めていた。
トランスは、加速するロッシーの背で、腰に携えた剣を抜き放った。それは、オーガの角と融合し、真紅に輝く重厚な片手剣、**獣王の牙**だ。トランスはそれを、前方に突き出すように掲げる。古びた鎧の全身から、微かに純白の魔力が噴き出し始めた。
彼らの目の前には、富裕層区画の境界線にそびえ立つ、分厚い鉄と石材で構築された堅牢な門が迫っていた。門を警備していた門番たちは、地を揺るがすようなロッシーの突進と、その異様な姿を見て、慌てて退避を開始する。彼らは、目の前の光景が現実のものだと理解できなかった。
トランスは、視界いっぱいに広がる鉄の門を見据えながら、感情を排した、低い声でトリガーワードを唱えた。
「……<衝撃>」
ロッシーの全身に蓄積された魔力が、獣王の牙を通じて一気に解放される。それは、まるで森の主が突進を行ったかのような、絶対的な衝撃のエネルギーだった。
騎士を乗せた魔獣化したロバは、一切の減速なしに、堅牢な門の真ん中へ、頭から突っ込んだ。
轟音。
それは、鉄と石材が、内側から爆発したかのような、凄まじい破壊の音だった。衝撃波が周囲の空気を引き裂き、塵と破片が嵐のように舞い上がる。門は、まるで紙細工のように中央から大きく抉られ、原型を留めないほどに砕け散った。
トランスとロッシー、そして背中にリーゼを乗せた彼らは、一切の躊躇なく、粉塵の中に開いた決定的な突破口を通り抜け、城砦の内部へと突入した。




