リトス家の攻防
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屋敷の内部では、ロブ、リトス、シーレ、そしてフラスが、ロートに守られながら待機していた。
暖炉の火が、湿り気を帯びた空気をわずかに暖めている。シーレは、細くやつれた両手を胸元で固く組み、その灰色の瞳に不安の色を滲ませていた。
「トランスさん達は大丈夫でしょうか……? 雨が強くなってきましたわ」
彼女の声音は、常に穏やかで控えめだが、この時ばかりは心配の色が濃かった。彼女にとって、夫リトスと娘フラスの安全こそが全てであり、彼らを守るために戦うトランスたちに、深い感謝と懸念を抱いている。
ロブは、商人の冷静さを保ちながら、優雅な仕草で彼女を安心させようとした。
「えぇ、問題ないですよ。彼らに任せておけば、並みの魔物では歯が立ちません」
ロブの言葉は理知的で説得力があったが、誰もがその場に漂う緊張感を打ち消すことはできなかった。
リーゼは、トランスの背中から譲り受けた純白の慈悲のマントに身を包み、暖炉の前に座り込んでいた。彼女は普段、トランスの背中にいることで心の安寧を得ているが、今、彼がいないことに、不満そうに頬を膨らませていた。
「りーぜちゃんおこってるの?」
フラスが、おずおずと彼女の隣に近づき、小さな手をマントに触れた。フラスは極端に臆病だが、リーゼに対しては不思議なほど親愛の情を抱いている。
リトスは、娘の問いかけとリーゼの様子を見て、彼女の心情を推察した。彼は、自身が先日娘の心を傷つけてしまったことに、強い負い目を感じている。
「トランスさんは、私の情けない姿を見て、リーゼちゃんとフラスと重ねてしまったのかもしれないね。正直、傍目から見ればお二人はそんなことないと思うのだけれど」
ロブは、そんなリトスを見て、苦笑を漏らした。
「まぁ、それだけ大切だということですよ。トランス殿にとって、リーゼ嬢は守るべき存在の象徴ですからな。強い絆で結ばれているということでしょう」
ロブの言葉に、リーゼは渋々といった様子で、わずかに首を傾げ、不機嫌な表情を和らげた。
フラスは、リーゼの小さな変化を見逃さなかった。
「そーだよー。りーぜちゃんはきしさまといっしょのときの、わらっているときのかおが、いちばんだよー」
フラスは、自分の言葉が通じているのかどうかは分からないが、純粋な好意を込めてリーゼに話しかける。
リーゼは、フラスの純粋な優しさに触れ、小さな「あ~う~」という、か細い音を発した。それは、彼女の感謝と、わずかに機嫌が直ったことを示す合図だった。
その時、ロブの耳が、微かな異音を捉えた。
「……ロートさんですか?」
ロブは、警戒心を強め、屋敷の重い木製の扉の方に視線を向けた。扉の前には、護衛役のロートがいるはずだ。
「ロブさん?」
リトスが不安そうに問いかける。
「しっ……」
ロブは、人差し指を口元に当て、沈黙を求めた。床の古い木材が、微かに軋む音を立てている。それは、外から誰かが侵入しようとしている音ではなかった。まるで、既に屋敷の内部に、誰かが潜んでいるかのような音だった。
瞬間、外の暗闇を切り裂くように激しい稲光が走り、窓ガラス越しに、屋敷の奥まった廊下に黒ずくめの人影が浮かび上がった。その動きは異常なほど素早く、常人のものではない。
ロブは、迷うことなく腰に帯びていた短剣を抜き放ち、臨戦態勢に入った。
「貴様、何者だ!」
彼は短剣を構え、影に向かって飛び出した。彼の動きは、商人とは思えないほど機敏で、剣術の心得があることを示していた。しかし、その影はまるで油断なく、ロブの短剣による一撃を紙一重で回避した。
「ギィ!」
影は、獣のような甲高い声を発し、その正体がゴブリンスカウトであることを露呈させた。彼らは、通常よりも遥かに知性が高く、隠密行動に長けた魔物である。
ロブが一人目のゴブリンスカウトと交戦している間に、もう一体の黒い影が、室内の暗がりから飛び出してきた。その狙いは、最も弱く、無防備なシーレだった。
「きゃー!」
シーレは、悲鳴を上げながら、その場に崩れ落ちた。ゴブリンスカウトは、彼女の首筋にナイフを突き立てようと腕を振り上げる。
その瞬間、リーゼが、トランスから譲り受けたマントを翻し、小さな体でシーレの前に飛び出した。
「あーうー!<反転>!」
リーゼの口から発せられたのは、か細い嗚咽のような音だったが、その意図は明確だった。マントが、純白の光を放ち、ゴブリンスカウトのナイフの攻撃を反射した。
「ギィ!?」
反射された衝撃は、ゴブリンスカウトの腕に直撃し、その細い体は弾き飛ばされた。リーゼの能力は、彼女を守るという強い意志と連動している。
しかし、ゴブリンスカウトは賢い。彼らは、その発動には彼女の意識が必要であることを見抜いていた。
弾き飛ばされた一体は、すぐに態勢を立て直し、素早く身を翻すと、反射能力を持つリーゼを、その小さな体ごと片手で羽交い絞めにした。
そして、もう一体のゴブリンスカウトは、恐怖で身が竦み、その場に立ち尽くしているフラスの首元に、冷たいナイフの切っ先を突きつけた。
「りーぜちゃん! ひぅっ……!?」
フラスは、極度の恐怖により、声にならない悲鳴を上げる。彼女の茶色の瞳は、涙で潤んでいた。
リーゼは、羽交い絞めにされながらも、必死に抵抗しようと身を捩る。
「あぅぅぅ……」
しかし、小型の魔物であるゴブリンスカウトの素早い動きと、人質を取られた状況下では、彼女の反射能力は、その真価を発揮できない。
シーレは、蹴り飛ばされて床に倒れ込んでいたが、娘とリーゼの危機に、病弱な体を奮い立たせようとした。
「あぁっ! やめて! その子達に手を出さないで!」
ロブは、事態が単なる盗賊によるものではないことを悟った。この襲撃は、明らかにリトス一家を狙った、周到な計画に基づくものだ。
ロブは、屋敷の入り口を守っているはずのロートに、助けを求めた。
「ロートさん! 子供達が人質にされて……」
ロブがロートの名を呼んだ瞬間、事態は最悪の方向へと転換した。
ロートは、音もなくロブの背後に忍び寄り、その手に握られた剣の峰で、ロブの側頭部を迷いなく打ち据えた。
鈍い衝撃音と共に、ロブの意識は急速に遠ざかる。彼の体は、床に崩れ落ちる寸前、信じられないという表情でロートを見上げた。
「――な、ぜ……」
ロブの問いかけに、ロートは答えなかった。彼の目は、威圧的な外見とは裏腹に、深い苦悩と、どうしようもない諦めを湛えていた。ロブは、意識を失い、その場に倒れ伏した。
リトスは、突然の裏切りと、愛する娘、妻、そしてリーゼの危機に、臆病な性格を突き破るほどの激しい怒りを露わにした。
「ロート! なんてことを!」
彼は、激昂し、人質を取っているゴブリンスカウトに向かって飛び出そうとした。
ロートは、剣を抜き、その切っ先をリトスに向けた。彼の口調は、いつもの荒々しいチンピラのものではなく、感情を抑えつけた、硬いものだった。
「大人しくしてください……。俺はあなたを傷つけたくない……」
ロートの言葉は、行動とは裏腹に、本心だった。
「くそっ! その子達を放せ!」
リトスは、怒りに震えながらも、ロートの剣の前に立ち止まらざるを得なかった。彼は、自分の無力さを呪った。
その時、屋敷の重い扉が、ゆっくりと、しかし圧倒的な威圧感を伴って開かれた。
雨音すら掻き消すような、重く響く足音。そして、高圧的で知的な響きを持つ、第三者の声が室内に響き渡った。
「おっと、動かない方が身のためだぞ、リトス」
その男は、全身に過剰な装飾品と最高級の布地を纏い、疲労と病的な印象を強く受けた顔に、冷酷な笑みを浮かべていた。
リトスは、その男の顔を見た瞬間、全身から血の気が引くのを感じた。
「チャ……チャンバー」
リトスの口から漏れたのは、驚愕と嫌悪が混じった、憎しみの名だった。
チャンバーは、その名を呼ばれたことに満足したように、傲慢な笑みを深める。
「くくく、呼び捨てとはな。クーゲルの躾がなっていないんじゃないか?」
室内は、ゴブリンスカウトの卑劣な拘束と、ロートの裏切り、そしてチャンバーの登場によって、極度の緊張に包まれた。
倒れているロブ、怯えるフラス、拘束されたリーゼ、そして病弱な体で耐えるシーレ。
シーレは、状況を理解できず、ただ目の前の男の言葉に引っかかった。
「あなた……、誰なの……? おじいさまを知ってる?」
チャンバーは、シーレの純粋な問いかけを無視し、リトスに向かって冷ややかに続けた。
リトスは、意を決したように、シーレに向かって、重い真実を口にした。
「彼は私の父親です……。何故今更……」
その言葉は、シーレにとって、この上ない衝撃だった。彼女は、目を大きく見開き、信じられないという表情で夫を見つめた。
「お義父さま……?」
シーレの言葉は、か細く、屋敷の重い空気に吸い込まれていった。チャンバーは、その光景を満足そうに見つめていた。




