事情
黒煙が、山間の村の清涼な空気を台無しにしていた。焦げた木材と、硫黄のような刺激臭が鼻を突く。
鉄色の騎士トランスと弓使いのトニーは、爆心地であるリトス家の離れに到着した。建物の一部は吹き飛び、壁は煤けている。
「おいおい、派手にやったもんだぜ。爆発系の魔法使いでもいるのか?」トニーは、背中のロングボウを握りしめながら、状況の深刻さとは裏腹に、どこか楽しげに言った。
しかし、現場には、既に先客がいた。
坊主頭の男、ロートが、気弱そうな薬師リトスを庇うようにして、その場に立ち尽くしている。ロートは、その威圧的な外見に似合わず、心底怯えた様子でリトスを抱きかかえていた。
「だ、大丈夫ですか、リトスさん! 怪我は! この、この爆発は、鎧を着た男ですか? それとも軽薄そうな男にやられたんですか!」
ロートは、爆発のショックで判断力が麻痺しているのか、到着したばかりのトランスとトニーを交互に指差した。彼の瞳は、恐怖と混乱で揺れていた。
トランスは全身を覆う古びた鎧の隙間から、無言でロートを見つめた。
「脅されているのなら心配しないでください! 俺が、俺が必ずリトスさんたちを守り抜く! まさか、まさか、おぶさっていた子供が黒幕で、爆弾を……」
ロートは一瞬、トランスの背中にいるリーゼに視線を向けた。リーゼは、純白のマントに包まれ、トランスの背中で微睡んでいる。彼女は、ロートの殺意のない、純粋な怯えと混乱の波動を感じたのか、わずかにトランスの鎧に顔を擦り付けただけだった。
「うー……」
「……」
トランスは一拍おいて、感情を排した声で言った。「……違う。爆発の直後に到着した」
トニーは天を仰いだ。「おい、聞こえてんのかよ! 黒幕とか、人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇ! 俺たちはただの護衛だぜ! つーか、なんでそこの嬢ちゃんが黒幕なんだよ、どうやったんってんだよ!」
トニーの直接的なツッコミに、ロートは目を丸くした。
「そ、それはこう……不思議な何かだ! 俺の勘がそう言っているだけで、根拠はねえ!」
「勘って……お前、ただの臆病者じゃねぇか!」トニーは呆れて弓を下げた。
その時、リトスが弱々しくも毅然とした声で、ロートを制した。
「ロートさん、無礼な真似はやめてください。彼らは、王都への旅路で偶然私たちを助けてくれた、恩人なのです」
リトスは咳き込みながら、トランスに視線を向けた。
「トランスさんは……確かに鎧を着た怪しい人かもしれませんが、その心は優しい人です。フラスのことも助けてくれた。彼らが、私たちに害をなすはずがない」
ロートは、リトスからの言葉に、急にしゅんとした。彼の威圧的な態度はどこへやら、耳まで真っ赤にして深々と頭を下げる。
「は、はひ! まことに申し訳ありません、リトスさん!」
トランスは、ロートの極端な態度の変化に、何を言えばいいのか分からず、ただ静かに佇んでいた。彼の内面では『怪しいかもしれないが優しい人』という評価に、わずかながらダメージを受けているようだった。
リーゼが、そんなトランスの頬に優しく手を伸ばし、「うー」と小さな声で慰めた。
「……問題ない。気にするな」トランスは、微かに温かみのある声で返答した。
***
状況が収束しかけた頃、ロブとフラスが、爆発音を聞きつけて現れた。ロブはいつものように涼しげな笑顔を浮かべている。
「これは派手にやりましたね。リトスさん、お怪我はありませんか?」ロブは、その場に漂う緊張感を一瞬で和ませるような、穏やかな口調で尋ねた。
フラスは目をキラキラさせながら、リトスの足元に駆け寄った。
「おとうさん、またしっぱいしてるー!」
リトスは、娘の無邪気な暴露に、顔を真っ赤にして項垂れた。
「ふ、フラス! 人前でそんなことを言ってはいけません!」
ロブは、フラスの言葉を聞き、さらに笑顔を深めた。彼はリトスに視線を戻す。
「ふむ、失敗、ですかな。もしや、例の『万能薬』の調合を試みていたのでは?」
ロブの言葉に、ロートの警戒心が再び跳ね上がった。ロートは即座に腰の剣に手をかけ、ロブに向けて切っ先を突きつける。
「――やはりお前ら! 万能薬だと!? 何が目的だ! リトスさんの秘術を奪おうとしているのか!」
ロブは剣を向けられても、表情一つ変えず、優雅な仕草で肩をすくめた。
「落ち着いてください、ロートさん。私はただの商人です。優れた製品には関心がありますが、秘術など、私には荷が重い」
リトスは、三度ロートを制止した。
「ロートさん、やめなさい。彼らは恩人です。それに、万能薬の製法は、秘術というほどのものではありません。祖父が残した、ただの古いレシピです」
ロートは、リトスの強い口調に、再びしょんぼりした。
***
ロブは、ロートの態度にはもう慣れた様子で、リトスに向き直った。
「失礼ながら、リトスさん。あなたから漂う薬草の匂い、そしてこの爆発の痕跡。あなたは、錬金術師ですね?」
リトスは驚いた様子もなく、静かに頷いた。
「その通りです。正式には、錬金術師の孫ですが。私は、祖父から基礎を学んだだけで、とても錬金術師などと名乗れる身分ではありません」
「ご謙遜を。では、そのご祖父様は?」
リトスは遠い目をして、過去を語り始めた。
「祖父は、偉大な錬金術師でした。しかし、身体を患い、数年前に亡くなりました。酒好きでしてね……晩年は、ほとんど酒浸りでした」
リトスは、自身の身の上を丁寧に話し始めた。
「私の父は、祖父の弟子でありましたが、祖父と意見が合わず、勘当されました。私は父と離れた後、祖父に師事し、この村で細々と薬師を営んでいました」
「やがて、私はシーレと出会い、結婚しました。彼女は病弱でしたが、私にとって、彼女こそが生きる希望でした。そして、フラスが誕生した」リトスは、娘フラスに優しい目を向けた。
しかし、その平穏な生活は長く続かなかった。
「祖父が亡くなってから、シーレの薬の調達が困難になり、ついには、薬の材料となる特別な薬草の群生地が、何者かに荒らされてしまったのです。どうしても材料が必要で、私は路銀を稼ぐため、そして護衛を依頼するために、王都へ向かう旅に出たのです」
リトスは、自身が世間知らずゆえに、旅の途中で悪人に騙されかけたこと、そしてトランスたちに救われたことを語った。
ロブは、静かに話を聞いていたが、ある一点に疑問を投げかけた。
「なるほど。錬金術師の家系ですか。では、なぜあなたは、フラスちゃんを連れ出したのです? 彼女はまだ幼い。危険な旅に連れ出す必要はなかったのでは?」
リトスは、苦しそうに顔を歪めた。
「それは……祖父からの手紙に、そう記されていたからです。『錬金に関わる際は、必ずフラスを連れていけ。それが、この家の未来を繋ぐ』と」
ロブは、確かめるかのように問う。
「それはなぜ?」
リトスは思い出すかのように唸った。
「最初はわかりませんでしたが、仕入れの際、資料などからではわからない材料などをすぐにわかったりして助かりました。今思えばフラスは祖父にいつもくっついていたんですよね」
フラスは、その話を聞き、嬉しそうに飛び跳ねた。
「おじいちゃん、やさしくてだいすきだったよ!」
ロブは、フラスの無邪気な言葉の中に、真実の響きを聞いた。この少女こそが、この家の錬金術の才能を最も強く受け継いでいると告げていた。
「言いつけ通りであれば、やってみる価値はあるんじゃないですか?」ロブはリトスに微笑みかけた。「万能薬のレシピが古く、あなたが失敗を繰り返しているなら、もしかしたら、フラスちゃんにしか見えない『何か』が、そのレシピにはあるのかもしれません」
リトスは、恐る恐る娘の顔を見た。フラスは、自信満々に胸を張って宣言した。
「そうだよ! おとうさんへたっぴなんだもん。ふらすやってみる!」
その言葉には、幼いながらも、家族への強い献身と愛情が込められていた。
リトスは、娘の強い意志に押され、観念したように頷いた。
「……分かりました。フラス、やってごらん。私も手伝うよ」
ロブは、リトスの肩を叩き、優しく導いた。「さあ、製造室へ向かいましょう。トランスさんには、引き続き護衛をお願いします」
トニーは、まだロートと小競り合いを続けていた。
「うるせぇ、行くぞ! 旦那の護衛は俺っちの仕事なんだから、あんたは大人しくしてろ!」トニーはロートの腕を引っ張り、爆発した離れの奥にある、錬金術の製造室へと向かった。
トランスは、リーゼを背負ったまま、静かに彼らの後を追った。




