警戒される鎧
だいぶ遅くなりました。お待たせしてすいません。
※ロートの一人称を私→俺に変更しました。
山間のビカ村は、夕刻を迎え、冷涼な空気に包まれ始めていた。全身を古びた鉄色の鎧で覆ったトランスが、ゆっくりとした足取りで進む。彼の背中には、純白のマントを纏ったリーゼが、ポンチョのようにマントに包まれ、静かに揺られている。
トランスの意識は、常に周囲の気配と、彼の特殊能力である《神眼》が捉える色の情報に向けられていた。
「……黄色(警戒)が多い。赤(敵意)も散見される。村人たちは我々を歓迎してはいないようだ」
トランスはそう呟いたが、その声は兜の奥に籠もり、彼自身の内省のようにも聞こえた。
彼の隣を歩くトニーは、そんなトランスの厳格な雰囲気を意に介さず、朗らかな声を響かせていた。
「まっ、普通はそんな便利なもんないんだし、地道に聞いてみようぜ。あっ、すいませーん」」
トニーは通りがかりの老農夫に、人懐こい笑顔で軽く会釈した。
「すいませーん、おじいさん。この辺でいい水場はありますか? 俺たち、今夜はリトスさんのお宅に世話になる旅人でしてね」
老農夫は最初、トランスの威圧的な鎧に怯え、身体を硬直させていた。トランスの神眼には、老農夫の周囲が濃い黄色に染まっているのが見えた。しかし、トニーの屈託のない声と、トランスの背中から顔を覗かせたリーゼの透き通るような翠色の瞳、そして彼女のふわりとした無垢な笑顔に触れると、老農夫の表情が緩む。
トランスが見ると、老農夫の周囲を覆っていた色が、ゆっくりと水色(無警戒・好意)へと変化していった。
「こんなところでいいなら、ゆっくりしていってくんな。リトスさんはいい人だ。奥方も可愛らしい。ただ、あの家は少し変わった人が出入りするから、あんまり深入りしないほうがいいかもしれんが……」
老農夫はそう言い残し、家の中へ戻っていった。
トニーは満足そうに笑う。
「な? 言った通りだろ、旦那。リーゼお嬢さんの力は、最強の交渉術だぜ。そういや、リトスさんて薬師だったんだな。あの家、やけに立派な石造りだと思ったが、薬の調合とか、そういう特別な仕事があるんだろうな」
トランスは返事をせず、ただ周囲を観察し続けた。村人の警戒心は解けつつある。このまま夜を迎えれば、彼らもようやく休息を取れるだろう。
その時、トランスの視界を、強烈な「赤」が貫いた。それは、単なる警戒や不快感ではない。殺意にも近い、攻撃的な敵意の色だった。
「……赤だ。強い。」
トランスは即座に足を止め、その敵意の発生源を突き止めた。それは、彼らの背後、石造りの民家の影に潜んでいる。
リーゼがトランスの背中で、不安そうに「うー」と小さな声を漏らした。
トランスは低く、しかし断定的な声でトニーに合図を送る。
「あそこに行くぞ。トニー、側面へ回れ。」
「了解、旦那!」
トニーは一瞬で表情を引き締め、弓を背負ったまま、隣の家の屋根へと軽やかに飛び移った。辺境で培われた狩人の機動力は伊達ではない。音もなく屋根伝いに移動し、トランスが目指す民家の影を挟み撃ちにする形で回り込む。
トランスは古びた鎧を軋ませながら、民家の影へと歩みを進めた。彼は、敵意を放つ存在が、自分たちを追跡していたことに気づいていた。
影に潜んでいたのは、筋肉質な体躯を持つ坊主頭の男性だった。派手な色の古びた革鎧を身につけ、場末のチンピラのような威圧的な風貌をしているが、その瞳にはどこか怯えのような色が滲んでいる。
男がトランスの存在に気付き、驚きに目を見開いた瞬間、頭上からトニーの声が降ってきた。
「男に尻を追いかけられるのは趣味じゃないんだよなぁ。悪いが、ここからは俺っちらのターンだぜ、あんた。」
トニーは屋根の上からロングボウを構え、男の逃げ道を塞ぐ。トランスは大柄な体躯で、正面を完全に封鎖した。
男は即座に腰に差していた粗末な剣を抜き、身構えた。
「俺か? くそっ、気づかれたか! お前らの目的は一体なんだ?」
男は額に脂汗を浮かべながら、トランスの胸に空いた穴を見つめ、明らかに動揺していた。彼は、トランスの鎧が放つ異様な気配、そしてリーゼの清らかな存在のアンバランスさに混乱しているようだった。
トニーは弓の弦に指をかけたままだ。
「おいおい、そんなに物騒な真似する必要ないだろ。俺たちは依頼で護衛してるだけだぜ? 今だって、平和に夕飯の準備をしようとしてる真っ最中だ。」
トランスは剣に手をかけたまま、感情を排した声で問い返す。
「……依頼を受けただけだぞ? 貴殿らの警戒は理解するが、我々に敵意はない。貴殿こそ、なぜ我々を監視していた?」
男はトランスの言葉に激昂した。彼の顔は恐怖と怒りによって歪む。
「敵意がないだと? ふざけやがって! お前らのような怪しい奴らが、リトスさんたちに近づくのが気に入らねえんだよ! 魔物をけしかけたのはお前らだろう!」
トランスとトニーは顔を見合わせる。
トニー:「はあ? 魔物? 俺たちはむしろ、リトスさんを助けた側だぜ?」
トランス:「……誤解だ。我々は依頼を完了した。」
トランスがさらに言葉を続けようとした、その瞬間だった。
ドォンッ!
村の静寂を切り裂くような、凄まじい爆発音が響き渡った。
一行が宿泊を許された、リトスの家の方角から、黒い煙が渦を巻いて立ち上るのが見える。爆発の衝撃は、この場所まで微かに振動を伝えた。
男は、その爆発音を聞いた途端、顔面から血の気が引いた。彼の瞳には、恐怖と、それ以上に強い焦燥感が宿る。
「リトスさん……フラス嬢ちゃん! くそっ!」
男は、トランスたちへの警戒を一瞬で投げ捨てた。
「お前たちはあとだ! くそっ!」
男はトランスとトニーの挟み撃ちを無視し、剣を鞘に納める暇もなく、爆発のあった方向へ向かって全力で走り出した。
トニーは屋根の上から慌てて叫ぶ。
「おい、待てって! 逃げるのかよ、犯人扱いしたまま!?」
トランスは男の背中を追撃しなかった。彼の意識は、すでに爆発の現場へと向かっている。
「……追うな。それどころではない。」
トニーは弓を下ろし、屋根から飛び降りてトランスの隣に着地した。
「状況がよくわからねぇな。リトスさんたちを魔物の夕飯にでもするって思ったっぽいな、あの男は。だが、あの爆発……何があった?」
トランスは背中のリーゼに視線を送った。リーゼは顔を上げ、トランスの兜の奥を見つめている。彼女の翠色の瞳には、動揺の色が濃く浮かんでいたが、すぐに強い意志の光が戻ってきた。
「……リトスの家へ急ぐ。リーゼ、しっかり掴まれ。行くぞ。」
トランスは、古びた鎧を軋ませながら、黒煙が立ち上るリトスの家へと、一目散に駆け出した。トニーとリーゼが、その騎士の背中を追う。村の夕闇が、突如として発生した混乱を静かに包み込んでいった。




