サラの魔法とその影響
サザンイースの冒険者ギルドの地下深く、修練場は分厚い石壁に囲まれた広大な空間だった。高位の魔術師の攻撃にも耐えうるよう、床や壁には複雑な魔術式が刻まれており、常に微かな魔力の波動が満ちている。
「こちらでございます。退出の際はお声がけください」
ギルドの職員は、トランスたちの姿を確認すると、簡潔な説明を残してすぐに扉を閉めた。
トランスは静寂に包まれた修練場の中心へ歩みを進めた。彼は周囲を見渡し、簡潔に問いかける。
「なぜ修練場に?」
サラは一歩前に出て、水色の瞳をトランスに真っ直ぐ向けた。彼女は魔力効率のために着用している露出度の高いローブの上に、外套を羽織っている。胸元には、魔力制御補助用の小さな銀細工のペンダントが微かに光っていた。
「母の形見の杖が壊れてしまいました。それに、トランスさんの兜と共鳴して生まれた《節制の栄冠》の効果を、本格的に確かめておきたかったのです」
彼女の声には、自身の致命的な欠点を克服しようとする強い決意が滲んでいた。ドラゴンとの戦いで、彼女は自身の能力を使い切り、杖は砕け散った。しかし、その結果、トランスの兜がサークレットへと変化し、彼女の頭に収まっている。
リーゼはトランスの背中で、ポンチョのように彼女を覆う慈悲のマントのフードから顔を少しだけ出し、サラが話す内容を理解したように、静かに頷いた。彼女はまだ魔力回復の途中だが、トランスの背中は彼女にとって最も安心できる場所だった。
「わかった」トランスは短く応じ、壁際に寄りかかり、彼女の修練を見守る体勢に入った。彼の古びた鎧は、修練場の魔力の光を鈍く反射している。
サラは深呼吸をし、サークレットに触れた。白磁の装甲に金の装飾が施されたそれは、彼女の魔力を穏やかに循環させているのが感じ取れる。額の菱形の赤い宝石が、静かに光を吸収しているようだった。
「では、連続発動を試みます」
彼女は以前のチームで「役立たず」とされたトラウマを胸の奥に閉じ込め、冷静に魔力回路を開いた。
「<ファイアーボール>」
トリガーワードが発せられると同時に、彼女の手のひらから、通常の数倍はあろうかという巨大な炎の塊が射出された。それは修練場の壁に激突し、爆音と共に高熱の煙を上げた。以前であれば、発動までに魔力を凝縮する時間が必要だったはずだが、その遅延は一切なかった。
「……遅延なし」サラは驚きを押し殺し、間髪入れずに次の魔法を放つ。
「<ウィンドカッター>」
風の刃は瞬時に生成され、唸りを上げて空間を切り裂いた。その速度と密度は、以前の彼女では到底実現不可能だっただろう。
「<アイスバーン>」
地面が凍りつき、まるで鏡面のように光を反射した。
「減衰もない……むしろ、出力が大幅に上がっています」
サラは感動に打ち震えた。魔力吸収体質である彼女は、これまで過剰に吸収した魔力を制御しきれず、威力を落として使わざるを得なかった。しかし、サークレットは余剰な魔力を吸収し、調整することで、彼女の魔力を完全に制御下に置いている。
トランスの背中にいたリーゼは、その様子を見て興奮したように「うー、あー!」と声を上げ、小さな手を宙で振り回した。彼女の翠色の瞳が、魔法の光を反射してキラキラと輝いている。
「すごい……本当に、こんなことが」
サラは、自身のコンプレックスだった欠点が、トランスの聖鎧とリーゼの慈悲と共鳴することで、克服される日が来るとは想像もしていなかった。彼女の顔に、久しぶりに心からの明るい笑みが浮かんだ。
彼女はさらに高難度の魔法へと移行した。
「次は、長時間の制御が必要な魔法を。<フレイムトルネード>」
彼女の周囲に魔力が渦巻き、地面から炎が噴き上がった。その炎は螺旋状に天へと伸び、激しい熱風を巻き起こす。炎の渦は、彼女の意図するままに修練場を暴れ回り、数秒後、サラが魔力を収束させると、まるで最初から何もなかったかのように消滅した。
成功体験は、サラの抑制されていた感情を解放させた。彼女の顔には、真面目な受付嬢の仮面が剥がれ落ちた、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「まだいけます。この魔力、抑える必要がないなんて……最高ね!」
彼女の口調がわずかに変化した。丁寧語の中に、以前の彼女にはなかった攻撃的な響きが混じる。彼女のブロンドの髪の毛先が、炎の属性に呼応して、一瞬、鮮やかな赤に染まったように見えた。瞳の色も、水色から魔族の血を思わせる灼熱の赤へと変わる。
彼女は次に水を司る魔法を連発した。
「<ディープミスト>」
今度は修練場の空気が一気に霧に覆われ、白いモヤが視界を覆う。彼女の瞳は深い青色に変わり、口調は一転して内向的になった。
「はぁ……こんな力、本当は使いたくないのに。私なんかが、こんな力を持ってしまったから……」
彼女は拳を握りしめ、自己否定的な言葉を漏らしながらも、魔法の発動は止めない。その姿は、まるで過去のトラウマを自ら再現しているかのようだった。
「<エアプレッシャー>」
風属性の魔法が発動すると、彼女の髪は明るい緑色に変化し、瞳は黄金色に輝いた。口調は陽気で奔放なものへと変わった。
「うわぁ、楽しい!解放って最高だね!あはは!」
そして最後に、彼女は土属性の魔法を放った。
「<ロックハザード>」
地面が隆起し、鋭利な岩の槍が突き上がった。彼女の髪は茶色に、瞳は深緑に染まり、口調は冷静沈着で非情なものになった。
「……無駄な感情は排除すべきね。この力を、最も効率よく、目的のために利用する。それが最善」
属性が切り替わるたびに、彼女の髪と瞳の色が変わり、それに伴って人格も極端に変化していく。彼女の魔力制御は安定しているが、過剰な魔力変換によって、属性の影響が精神にまで及んでいる証拠だった。
トランスは、壁を背にしていた体勢から、わずかに前に踏み出した。彼の全身を覆う古びた聖鎧が、微かに軋む音を立てる。
「――サラ! そこまでにしておけ!」
トランスの低い、抑揚のない声が、修練場に響き渡った。その声には、彼女の暴走を見過ごすわけにはいかないという強い意志が込められていた。
トランスの制止の言葉は、まるで冷水を浴びせたかのように、サラの熱狂を冷ました。彼女はハッと息を飲み、自身の髪と瞳の色が元の淡いブロンドと水色に戻っていることに気づいた。
「すいません。つい嬉しくて調子に……」
彼女は深く頭を下げた。以前の彼女なら、この時点で完全に魔力暴走を起こし、人格を乗っ取られていたはずだ。しかし、今回は意識を取り戻すことができた。
トランスはゆっくりと彼女に近づき、警戒を解かない姿勢で確認する。
「意識は……あったか?」
サラはペンダントを強く握りしめながら、震える声で答えた。
「はい……。完全に属性に飲み込まれたわけではありません。ただ、それぞれの属性の性質が、感情として強く流れ込んできて……楽しくなってしまって」
彼女は自嘲気味に微笑んだ。
「私の体質は、空気中の魔素を無意識に効率よく吸収できます。それが《クラウンオブテンペランス》によって魔力タンクに蓄積されるようになりました。しかし、この体質は、魔力の変換効率が極端に低いという欠点も併せ持っています。属性魔法を使う際、魔力を属性に変換する過程で、その属性の性質が精神に影響を与えてしまうのです」
「以前は、魔力そのものが暴走していましたが……今は、正気は保てています。でも、属性ごとの感情の影響は、完全には防げないようです」
トランスの背中で、リーゼが心配そうに身を乗り出し、サラの顔を覗きこんだ。彼女の翠色の瞳は、サラの不安を察しているようだった。
トランスは、その様子を静かに見つめていた。彼はリーゼを抱き直すと、簡潔だが力強い言葉をサラに投げかけた。
「問題ない。お前は、この装備によって暴走を免れた。属性の影響についても、徐々に慣れていけばいい」
彼の言葉は、常に不安を抱えていたサラの心を温めた。彼は、彼女の欠点を含めた全てを受け入れている。その事実に、彼女は安堵し、深く頷いた。
「はい!」
彼女は再び、穏やかな、以前の受付嬢としての笑顔を取り戻した。
魔法で作用したものは、それに込められた魔力により留まる時間は左右される。
地面から魔力の土塊を生やしても、しばらくすれば消えてなくなります。
エアプレッシャーと前回放った超過魔法は似ていますが、前者は風で抑えつけるのに対し、後者は魔力の塊で叩きつける感じです。




