依頼報告
騒然とした中心街から少し離れた宿屋の裏手では、ロブがテキパキと出発準備を整えていた。彼の柔和な顔つきには、いつもの余裕と、底知れない警戒心が入り混じっている。
「トニー、ベック、馬車の食料と水は十分ですな? 事が事なので、あまり長居はしたくない。トランスさんたちが戻り次第、すぐに出発しますよ」
ロブの声は静かだが、その背後には、ドラゴンとの遭遇という未曾有の事態がもたらした、情報戦の緊張感が漂っていた。
時を同じくして、トランス、サラ、そしてトランスの背中に静かに身を預けているリーゼの三人は、冒険者ギルドの重厚な扉をくぐった。
トランスの全身を覆うくすんだ鉄色の聖鎧は、激しい戦闘の痕跡を物語っている。特に胸部中央の巨大な穴が、彼の暗い影を象徴していた。彼は極度に寡黙で、感情の動きを一切見せないが、その内側には、魔物に対する強烈なトラウマと、リーゼを守りきった安堵が複雑に絡み合っていた。
リーゼは、トランスの背中で心地よさそうに眠っている。純白の生地に金の刺繍が施された慈悲のマントが、彼女の顔以外を優しく覆っていた。彼女の魔力回復のため、魔素吸収と魔力同調が静かに機能している。
受付カウンターに近づくと、トランスは無駄な言葉を一切省き、低い声で事実だけを伝えた。
「すまない。依頼の報告に来た」
カウンターの中にいた受付職員は、すぐに彼らが例の護衛依頼の冒険者だと気づいたのだろう。彼女は青ざめた顔で立ち上がり、深く頭を下げた。
「今回は大変な目に遭わせてしまい……本当に申し訳ありませんでした」
職員の謝罪は心からのものだった。サラは、彼女の過剰な謝罪に慌てて声をかけた。彼女自身も、自分の魔力制御の欠点から、戦闘中に仲間たちに迷惑をかけたという自責の念に駆られているが、理性的な彼女は、目の前の職員を気遣うことを優先した。
「あの、とりあえず頭をあげてくださいませんか? 私たちも無事でしたし、お気になさらず」
職員は顔を上げると、トランスたちを真っ直ぐに見つめた。
「ありがとうございます。実は、ギルドマスターがお会いになりたいと。奥の部屋へご案内してもよろしいでしょうか?」
トランスは一拍置いてから、簡潔に返答した。
「……承知した」
***
一行は受付職員に案内され、ギルドの奥にある重厚な扉の部屋へと通された。そこには、ギルドマスターのホセがいた。彼は細身で、軽い口調と落ち着いた雰囲気を持つ男だった。
ホセは彼らを認めると、ソファから立ち上がり、フランクな笑顔を見せた。
「やあ、君たちが例の英雄たちだね。ギルドマスターのホセだよ。よろしくね」
トランスは頭を下げて挨拶を交わす。サラは丁寧に「お世話になります」と告げた。リーゼはトランスの背中で、わずかに身じろぎをしただけだった。
ホセは彼らをソファに座るよう促すと、先ほどの職員とは打って変わって、真剣な表情を浮かべた。
「さて、本題に入ろう。まず、今回の件は、私からも深く謝罪させてほしい」
ホセは深く頭を下げた。
「君たちのように、来て間もない冒険者に、危険な依頼を押し付けてしまった。まさか、あのルートでドラゴンが現れるなど、前代未聞だ。我々の情報収集の甘さ、そして判断ミスだ」
トランスは、ホセが抱えるギルドの責任と、街の混乱を理解していた。
「……問題ない」トランスは簡潔に言った。
「ありがとう。では、報告内容の確認をさせてくれ」
ホセは手元の資料を広げ、確認事項を読み上げた。
「荷の護衛は完了。ドラゴンの強襲により、護衛に当たっていた王国兵士と騎士が死亡。冒険者と帝国側は、君たちの活躍により脱出成功。後日、現場調査予定……これで相違ないか?」
「はい、その通りです」サラが確認した。トランスも無言で頷く。
ホセは資料を閉じ、報酬の入った重い革袋をテーブルに置いた。
「報酬には、今回の迷惑料も上乗せしてある。受け取ってくれ」
彼は続けて、厳しい表情で忠告した。
「そして、重要なことだ。君たちの情報は、ギルドとして徹底的に秘匿している。だが、ドラゴンという大物が関わった以上、特に帝国の情報機関や、教会側の探りが入る可能性は高い」
ホセはトランスの胸の穴と、リーゼのマントを一瞥した。
「君たちの特異な状況を鑑みても、サザンイースにはあまり長居しない方が良い。ロブ殿とも、その点は意見が一致している」
トランスは、その忠告を重く受け止めた。
「そうか」
ホセは安堵したように息をついた。
「さて、私から言えることは以上だ。何か、我々ギルドが力になれることがあれば、遠慮なく言ってほしい」
その言葉を聞き、サラは少し躊躇した後、手を挙げた。彼女は、トランスの兜が**節制の栄冠**へと変貌した一連の出来事を思い返していた。魔力制御の課題は、今も彼女の最大のコンプレックスだ。しかし、トランスとリーゼを支えるため、彼女は一歩踏み出す必要があった。
「あのー、それじゃぁ一つお願いがあるんですけど」
サラは背筋を伸ばし、真剣な眼差しでホセを見つめた。
「修練場の使用を、特別に許可していただきたいんです。できれば、他の利用者がいない時間帯で」
ホセは意外そうな顔をしたが、すぐに合点がいったように頷いた。
「なるほど。君の魔術師としての能力は、噂に聞いている。制御の練習かね?」
サラは正直に答えた。
「はい。私は、魔力制御に難を抱えています。ですが、この旅で、トランスさんたちを支えるためにも、少しでも安定して魔法を使えるようになりたいんです」
魔族の血を引く彼女は、かつてその欠点のせいでチームを離れたトラウマがある。だが、今はトランスとリーゼを支えたいという献身的な思いが勝っていた。
ホセは愉快そうに笑った。
「いいだろう。君たちには迷惑をかけた恩義もある。特別に、今日の夕方まで、修練場を無料で使用させてあげるよ。誰もいない時間帯も調整させよう」
「ありがとうございます!」サラは心から感謝の意を伝えた。
ホセの計らいで待っていると、先ほどの受付職員がノックをして入室してきた。
「ホセ様、修練場の手配が完了いたしました」
「よし。では、彼女。この方々を修練場へ案内して差し上げなさい」
職員は恭しく頷き、トランスたちに優しく声をかけた。
「こちらへどうぞ、トランス様、サラ様」
トランスは再びホセに短い一礼をして、部屋を後にした。
彼は歩きながら、サラの決意を感じていた。彼女は、自分の弱点を克服しようと真摯に努力している。そして、その目的は、紛れもなく自分とリーゼを守るためだ。
(……そうか。お前の信念、受け取った)
トランスの内に秘めた決意が、古びた鎧の奥深くで、わずかな光を放っているようだった。




